(続き)
大徳寺から西側の御土居跡のラインまで戻って、御土居めぐり続行。北大路通から眺めても紙屋川(天神川)と御土居跡の高低差はかなりのものがあります。御前通(ほぼ御土居跡のライン)には御土居の説明板があるようですが、見落としてしまいました…。
鷹ケ峯(南)御土居(京都市北区鷹峯旧土居町・国史跡)
公園として整備された御土居で、土塁頂部に上ることもできます。土塁上から見下ろし、また下から見上げることで土塁の高さを実感できました。なお、城びとでの御土居の位置情報は此処です。
鷹ケ峯(北)御土居(京都市北区鷹峯旧土居町・国史跡)
御土居の北西角、京の七口・長坂口の脇に柵で囲まれた土塁が状態良く遺っています。道向かいの和菓子屋・光悦堂で柵の鍵を借りて中に入れるようなので行ってみましたが、店主さん(たぶん)が接客から電話対応までお一人で忙しそうにしておられたので、余計な用事(鍵貸して)を頼むのも気が引けて、御土居餅を買っただけで店を出てしまいました…(根性なし)。赤えんどう豆の入った羽二重餅でこし餡を包んできな粉を振りかけた御土居餅は鷹峯名物をうたっていますが、なるほどこれは美味しい! 光悦堂で御土居の鍵を借りがてら、お土産には御土居餅がおすすめです(写真は撮り忘れました)。
ところで、これら二つの御土居は直線距離で約450mほど離れているところ、史跡名ではともに「鷹ケ峯御土居」なのは何故なんだろう? と思っていましたが、鷹ケ峯(北)御土居を角として南に約880m、東に約400m続く御土居跡の削平地は全て「鷹峯旧土居町」なんですね。町名が同じだから(地番は違うでしょうけど)同じ名称になったということでしょうか。御土居自体は失われても地図上にはっきり残る御土居の形状。ぜひGoogleマップで「鷹峯旧土居町」と検索してみて下さい。
大宮御土居(京都市北区大宮土居町・国史跡)
大宮土居町のほぼ全域に巨大な土塁と堀がそのままの姿で遺っています。柵で囲まれていて中には入れませんが、柵越しに見るだけでも大迫力! こんなもの凄い代物が22.5kmにわたって続いていたかと思うと、改めて秀吉の権力の絶大さを感じます。
大宮交通公園御土居(京都市北区大宮西脇台町)
国史跡指定は受けていませんが、交通公園の南辺に土塁が遺っています。両端には階段が設けられて土塁の上を端から端まで歩くことができます。土塁の北裾が窪んで見えるのは堀の名残でしょうか。
交通公園に着いたところで15時を過ぎ、残る国史跡は2か所のみ。北東角の紫竹御土居に向かいます(続く)。
+ 続きを読む