みねやまじょう

峰山城

和歌山県田辺市

別名 : 丸山城
旧国名 : 紀伊

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芳養川越しの峰山城
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イオ

北東の頂部? 西の頂部? (2023/11/25 訪問)

室町期に湯川光長が芳養川流域を支配するために築いたとされますが、詳細は不明です。

縄張図どころか城びとにもニッポン城めぐりにも口コミ投稿さえなく、ネットを探しても見付けられたのは古城盛衰記さんとちえぞーさんの登城記録のみ。何とも情報不足で心もとなくはありますが、出たとこ勝負で行ってみました。

まず古城盛衰記さんの案内にある県道199号線からミカン畑に続く作業道に向かいましたが、道があまりに狭すぎて対向車が来たら…と考えると進入する勇気が持てず断念。第2案として検討していた「東麓から直登」プランに切り替えるべく東側に回り込んで、芳養川に架かる境橋北詰の道が広くなったあたりに駐車して登城開始。芳養川越しに眺める峰山城の比高は40m。これくらいなら直登でも何とかなりそうです。

境橋を渡って山に取り付けそうなポイントを探しつつ進むと、山麓に建ち並ぶ民家への道が分岐し、民家の奥には山の中腹へと続くU字溝が見えます。U字溝があるなら道もあるはず、と民家の間を抜けてU字溝沿いの道を登って行くと、途中でU字溝を離れたり道が荒れていたりはしたものの、中腹の谷地形に設けられた貯水池に到着。貯水池の排水用のU字溝だったんですね。城びとやニッポン城めぐりの位置情報によれば、峰山城(の主郭)は貯水池の北側ですが、道は貯水池の前を西へと続いているので、まず西側に行ってみると、竹藪と化した谷の斜面のあちこちに後世のものと思しき石垣が築かれていました。このまま道を進んでも主郭から離れる一方なので、谷を回り込むように西から北東へと向かい、稜線に出ると右手は竹藪の下に貯水池、左手は果樹園の下に県道199号線が走っているのが見えます。そのまま稜線を進んで頂部に到着。ここが主郭のようです(たぶん)。

主郭だと思って見渡せば、北辺から東辺にかけてうっすらと土塁がめぐっている…ような気もします。東には木々の合間に芳養川の流れが見渡せる位置にあります。南東には何段かの腰曲輪があり、切岸には石垣らしきものもあったはずですが、写真を撮りそびれたようです。そのまま南東に下りて行くと、鞍部に大規模に石垣が築かれていて、北東辺には土塁っぽい地形も見られました。さすがに峰山城の遺構ではないと思いますが……何だったんでしょうね。そして鞍部から西に下りて行き、貯水池から来た道を戻りました。

…ということで、一応、城びと(とニッポン城めぐり)の位置情報の地点には行きましたが、古城盛衰記さんでは貯水池西側の頂部を峰山城としており、私の見ていない堀切と竪堀の写真を掲載しておられます。ちえぞーさんとは同じ場所に行っているように思いますが、ちえぞーさんご自身も「イマイチ自信なし」としておられるように、私も正直なところあまり自信がありません。ただ、峰山城が芳養川流域を掌握するための城であるとすれば、芳養川を見下ろす北東側の頂部を峰山城(少なくともその一部)と考えても間違いではないのかな、ということで、疑問もありますが「行った」をポチさせていただきます。

> ごちろうさん

古城盛衰記さんですが、うちのWindowsPCではChromeでは表示されませんが、Edgeなら見られます。ブラウザを替えて試してみてはいかがでしょうか。
 

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 湯川光長
築城年 室町時代
主な城主 湯川氏
遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀
住所 和歌山県田辺市芳養町境