ぬくゆじょう

温湯城

島根県邑智郡


旧国名 : 石見

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征3日目:温湯城 (2026/05/13 訪問)

市山城から車で35分くらいで、登り口付近空スペース(34.982770、132.503592)に着き車を駐車した後、登り口(34.982367、132.501944)に向かいました。

築城年代は定かではないようですが、小笠原氏によって築かれたと云われています。
当初は赤城を居城としていましたが、四代小笠原長氏または五代小笠原長義の頃に温湯城を築いて本城とし、赤城は出城になったと伝わっています。
1335年(建武2年)足利尊氏が反旗を翻すと、小笠原氏は七尾城主益田兼見とともに北朝方として戦っています。
小笠原氏は尼子氏についていましたが、1558年(永禄元年)に吉川元春によって攻められると、翌1559年(永禄2年)開城・降伏しています。
1560年(永禄3年)吉川元春の管理下になり、番衆が置かれたそうです。

登り口から登りはじめ、分岐点を左に進み山頂にある主郭を目指しました。右に行くと蔵屋敷と呼ばれる曲輪があるようですが、時間の都合で断念しました。
畝状の竪堀群(結構埋まってます)を過ぎると寺屋敷と呼ばれる曲輪、バセンバ(馬洗場?)と呼ばれる曲輪を経由して主郭に着きました。
主郭の東側に、堀切と竪堀が確認できました。下りきって反対側へ登って行くと、毛利方が布陣した絵下山城に着くようですが、時間なく断念。
案内あれど登山道は細く、落葉で滑り易く危険です。軍手は必須。
攻城時間は60分くらいでした。次の攻城先=二ツ山城に向かいました。

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しんちゃん

畝状竪堀もあるのだが・・ (2025/06/30 訪問)

温湯城は石見小笠原氏によって築かれたとされています。14世紀には築かれていたとされ、永禄元年(1558)小笠原長雄が城主の時に、毛利氏と尼子氏の石見銀山の争奪戦で毛利元就に攻められ、なんとか持ちこたえるも翌永禄2年、江の川が増水したため尼子氏の援軍を得られず、小早川隆景の説得を受け、降伏・開城しました。
城址北側の道沿いに案内があり登城道が付いているので、すぐわかります。本丸や周辺の曲輪まで道が付いてるので迷いはしませんが、この山の土は砂礫を含んでいて崩れやすいため、道が各所で斜傾化しているので注意が必要です。
道沿いに畝状竪堀があるのですが、形状が判別しづらいので良く見ないと解りません。改めて、写真を確認しても、やはりわかりにくい。
的場と呼ばれる曲輪を見た後は城址の南側を西に迂回し二の丸に向かいます。東の尾根の先へ進むと、毛利元就が温湯城攻略のために築いた会下山城へたどりつくようです。
二の丸の次は本丸へ向かいます。本丸は二段の構造になっています。ここからは元来た道を戻りながら訪れていない曲輪を回ります。今回はバセンバはパスして、寺屋敷と蔵屋敷を確認してから下山します。
正直、朝から暑いですが、まだ今なら山の中や日影なら耐えられます。すでに一年の内1/3は暑い状況ですので、登れるうちは夏場でもたまに山城に登りたいですね。熱通称対策として某アプリで購入した経口保水液が重宝しています。夏山で飲むと、メチャメチャ旨いです。体にしみこんできますね。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 小笠原長胤
築城年 南北朝時代
主な城主 小笠原氏
廃城年 永禄2年(1559)
遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切、畝状竪堀
住所 島根県邑智郡川本町川本
問い合わせ先 島根観光連盟
問い合わせ先電話番号 0852-21-3969