温湯城は石見小笠原氏によって築かれたとされています。14世紀には築かれていたとされ、永禄元年(1558)小笠原長雄が城主の時に、毛利氏と尼子氏の石見銀山の争奪戦で毛利元就に攻められ、なんとか持ちこたえるも翌永禄2年、江の川が増水したため尼子氏の援軍を得られず、小早川隆景の説得を受け、降伏・開城しました。
城址北側の道沿いに案内があり登城道が付いているので、すぐわかります。本丸や周辺の曲輪まで道が付いてるので迷いはしませんが、この山の土は砂礫を含んでいて崩れやすいため、道が各所で斜傾化しているので注意が必要です。
道沿いに畝状竪堀があるのですが、形状が判別しづらいので良く見ないと解りません。改めて、写真を確認しても、やはりわかりにくい。
的場と呼ばれる曲輪を見た後は城址の南側を西に迂回し二の丸に向かいます。東の尾根の先へ進むと、毛利元就が温湯城攻略のために築いた会下山城へたどりつくようです。
二の丸の次は本丸へ向かいます。本丸は二段の構造になっています。ここからは元来た道を戻りながら訪れていない曲輪を回ります。今回はバセンバはパスして、寺屋敷と蔵屋敷を確認してから下山します。
正直、朝から暑いですが、まだ今なら山の中や日影なら耐えられます。すでに一年の内1/3は暑い状況ですので、登れるうちは夏場でもたまに山城に登りたいですね。熱通称対策として某アプリで購入した経口保水液が重宝しています。夏山で飲むと、メチャメチャ旨いです。体にしみこんできますね。
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