備中松山城、鶴首城と歩き、足はパンパン。
少し早いけど大返し、と思いつつ帰りに寄れる城は無いか、と探してしまう悲しい性。
備中福山城と幸山城は登城路も整備されているとのことなのでちょっと立ち寄って帰ることにしました。
清音ふるさとふれあい広場のグラウンド奥に登城口があります。
その後は案内板があるので迷うことはありません。
が、少し登ったところで脚があまり残っていないことに気づきます。
やめときゃよかった、と思いながも登ってしまいます。
登城路脇には畑の跡と思われる地形もありますが私有地で立入禁止。
ひたすら登ると幸山城への案内板があります。
まずは巨岩がお出迎え、その上が東の曲輪です。
さらに進むと広く深い堀切があり、その先が西の曲輪です。
幸山城は東西2つの曲輪から成っています。
戦国時代は吉備津神社の社務代だった石川氏が居城としましたが、石川久智が明禅寺合戦で戦死。
その子、久式も毛利氏と三村氏の戦いの中で自刃しました。
その後は毛利氏のものとなります。
最後の城主は清水宗治でした。
もちろんここまで来たら福山城を目指さないわけには行きません。
とりあえずさらに登ります。
【見どころ】
・東の曲輪下の巨岩
・西の曲輪からの眺望
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