温泉城を訪問する際にイベントで温泉町に寄りました。今は合併して「新温泉町」になっているようです。「ゆの」では無く「おんせん」と読むようです。ゆっくり温泉に入ってる時間は有りませんでしたが、良い雰囲気の温泉街なので少し散策させてもらいました。
吉永小百合さん主演のドラマ「夢千代日記」のロケ地にもなったようで「夢千代の像」が立っています。ドラマでは夢千代が神戸の病院に行った帰りに山陰線で余部鉄橋を通過しており、ドラマの冒頭にもそのシーンが使われているようです。
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2025/11/02 11:34
温泉町・夢千代日記 (2025/10/11 訪問)
温泉城を訪問する際にイベントで温泉町に寄りました。今は合併して「新温泉町」になっているようです。「ゆの」では無く「おんせん」と読むようです。ゆっくり温泉に入ってる時間は有りませんでしたが、良い雰囲気の温泉街なので少し散策させてもらいました。
吉永小百合さん主演のドラマ「夢千代日記」のロケ地にもなったようで「夢千代の像」が立っています。ドラマでは夢千代が神戸の病院に行った帰りに山陰線で余部鉄橋を通過しており、ドラマの冒頭にもそのシーンが使われているようです。
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2025/11/02 11:09
岬の展望台 (2025/10/11 訪問)
防己尾城を再訪しました。湖山池に突き出た丘陵上に築かれていて西の丘陵に本丸が置かれ東の丘陵にも三の丸(二の丸?)が配されています。余湖さんの縄張りを見ると南西に竪堀群が有るようなのでいずれまた訪れたい。腰郭の数は多いですが堀などの遺構はあまり無いようです。埋まっていて見づらいのかもしれません。
今回は岬の展望台まで足を延ばしてみました。見晴らしはとても良く、湖山池や団子島が良く見えます。
防己尾城は吉岡定勝によって築かれたとされ、羽柴秀吉の鳥取城攻めの際に兵糧攻めにされ落城したようです。
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2025/11/02 10:53
熊のいないお城を探して (2025/10/31 訪問)
時節柄、山城はちょっと怖いので市中のお城を探して登城しました。
駅前公園ということで、遺構はあまりないのかと思っていましたが思いのほかしっかりと遺っていてありがたいです。
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2025/11/02 09:47
見晴らし良し (2025/11/02 訪問)
車で攻城。
途中 アスファルトが途切れた所に駐車場がありますが、砂利道の所をもう少し先に進めます。
砂利道の突き当たりが馬場跡で駐車場になっています。
そこからは本丸まで約10分もあればいけますし、二の丸、三ノ丸もすぐまわれます。
一通りまわって約30分
三ノ丸からの景色はなかなかのものです。
尚、馬場跡から本丸に行くルートでは、三ノ丸への道が25/11/01現在通行止めですが、三ノ丸へは二の丸からまわれます。
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2025/11/02 06:06
富山ドライブでの攻城⑦ (2025/10/25 訪問)
日中城からの転戦です。2020年には城びとのポイントが打ってある常福寺近辺に脚を伸ばしましたが、今回はグーグルマップの布市城を目指しました。グーグルマップのクチコミには「興国寺の北東に位置する水田内とし、現在は桃井氏被官の子孫という小柴氏の墓所がある」との記載があります。確かに田の中に、墓らしきものを視認いたしました。
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2025/11/01 10:32
カメ駅長 (2025/10/11 訪問)
道の駅あまるべには某アプリのイベントで訪れました。けっこう時間がタイトだったのですが、せっかくタダでエレベータで上まで行けるので空の駅も訪問しました。
道の駅あまるべにはかつての鉄橋の模型が展示してあります。ただ、転落事故に関する記事や展示は無く、そのことはあとで知りました。広場の片隅に空の駅の駅長の「かめだそら」ちゃんがいました。メスのようですな。
道の駅あまるべのサイトに詳細が出ています。甲羅の長さ50cm、体重21kg、胸囲99cm・・種類はケヅメリクガメだそうです。
同種のカメは映画「小さき勇者たち〜ガメラ〜」にも出演しているそうです。見てないけど。
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2025/11/01 09:24
余部クリスタルタワー・道の駅あまるべ (2025/10/11 訪問)
余部鉄橋は1912年に完成し、JR山陰本線を支えてきました。2010年に新たにコンクリート製の橋となり余部鉄橋「空の駅」展望施設として無料で公開されています。余部クリスタルタワーは「空の駅」と地上を結ぶエレベーター付きのタワーで45秒で橋の上までたどり着くことが出来ます。橋の上からは日本海や周囲の景観を楽しむことが出来ます。
ある御人から教えてもらったのですが、余部鉄橋では凄惨な転落事故も起きています。1986(昭和61)年に回送中の御座敷列車「みやび」が強風にあおられ転落し、真下に会った工場を直撃し死者6名、重傷者6名の大惨事になってしましました。そんな歴史もあったんだな~。
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2025/11/01 08:25
2025/11/01 07:38
2025/10/31 20:49
ヘイ奥方 (2025/10/11 訪問)
村岡陣屋跡は兵庫県立村岡高等学校として利用されていましたが、現在は移転して御殿山公園になっています。山名豊国が慶長6年(1601)に七尾五郷6700石を徳川家より与えられ村岡山名氏の初代となりました。初代と二代は領地に入らず代官を置きました。
三代矩豊は寛永19年(1642)に陣屋を黒野村に移し、初めて国入りし地名を村岡と改称しました。八代義方は文化3年(1806)に陣屋を尾白山(おしろやま?)に移し、中腹に陣屋を置いて大手門・中門・長屋・鎮守社・煙硝蔵・練兵場を設けたとのことです。
駐車場から下って行ったところに奥方の為に建てられた奥方部屋があります。裏庭から入れそうなので忍び込みますが、何か・・
「間男」みたいな気になりますな。表からも入れるみたいなので「間男」じゃイヤだって方はそちらからドウゾ。
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2025/10/31 20:09
久美浜駅 (2025/10/11 訪問)
京丹後市立久美浜小学校が久美浜陣屋の跡地とされています。寛文6年(1666)に丹後宮津藩京極家が改易になり、その後は天領と宮津藩領の間で行ったり来たりになり、最終的に天領となり7万石を管轄しました。
南に程なく行った神谷太刀宮(神谷神社)にかつての正面玄関を利用した建造物がありますが、かなり朽ちて来ています。周辺では祭の準備をしていて、その中の一人に久美浜駅がこの建物を模して造られていることを教えてもらいました。訪れてみると確かに似ている。
なかなか威厳のある駅舎であります。
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2025/10/31 18:33
2025/10/31 07:09
ポテンシャルが高いのが歯がゆくもあり (2025/02/24 訪問)
土塁と切岸に守られた主郭周辺だけはよく見えるが山を覆っていたと目される帯曲輪や出城の類は薮に阻まれてどうにもならない。町に近いし湯河氏の本拠だしポテンシャルは高いお城だと思うが、このままではちょっと勿体ないか。
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2025/10/31 06:52
延暦寺 滋賀県大津市 (2025/09/20 訪問)
予定より大幅に遅れてしまいましたがこの日のメインとしていた延暦寺へ。
城びとには登録されていませんが歩いてみるとやっぱり城でした。
比叡山坂本ケーブルを利用、途中のほうらい丘駅には信長による焼き討ちでの犠牲者を慰めたとされる石仏が安置された霊窟があります。
ケーブル延暦寺駅からは歩いて東塔地域へ。
根本中堂を目指しますが現在改修中。
外からその姿を見ることは出来ません。
せっかくなので中に入ってみました。
修理中の様子をみることも無いのでこれはこれで良い経験でした。
向かいの文殊楼に行ってみると土塁で囲まれ、まさに城でした。
延暦寺が武装化されていたことが良くわかります。
次に東塔へ、建物も素敵なのですがやっぱり土塁に目が行きます。
やっぱり城です😊
ここから西塔地域に行く予定でしたが時間をロスしたため断念。
ここの規模を舐めていたのもありますが・・・
なので最後に駐車場から下に降りたところにある東塔北谷の遺構を見学。
曲輪が段になっていてやっぱり城だな、と確信しケーブル駅に戻りました。
この日行けなかった西塔エリア、横川エリアを全て巡るには1日でも足りないかもしれません。
【見どころ(この日行ったところに限ります)】
・文殊楼の土塁
・東塔の土塁
・東塔北谷の遺構
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2025/10/31 06:52
富山ドライブでの攻城⑤ (2025/10/25 訪問)
坪野城からの転戦です。坪野城で大きなダメージを受けてしまったのでもう山城に攻め入る気力なんてありません。予定していた続100名城の増山城はパス。日曜の献血もキャンセルして、日帰りで帰着することにしました。帰りがてら、気楽に攻略できる城に立ち寄った次第です。西養寺門脇に説明板が建っています。濠には水が湛えられていましたが、あまり見栄えはよろしくありませんでした。周囲を一回りしてみましたが、濠の外側に一列に墓が並んでいるなどちょっと変わった雰囲気でした。
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2025/10/31 00:44
2025/10/30 19:55
竪堀マシマシ戦国時代 (2025/09/11 訪問)
主郭と二郭の間には堀切があり竪堀となって下に続いています。城が造られたのは南北朝に期限が有りますが、戦国時代に改修が施されています。土塁などはあまり残っていませんが横堀や竪堀が念入りに付け加えられています。
主郭の北側に降りて行くと腰郭が有り、北側に畝状の竪堀が複数配されています。さらに尾根を北に下って行くと広めの郭が有り周囲には堀切や竪堀が多数ありました。後は来た道を戻って行きましたが山肌を歩いていると急な斜面に大きな竪堀が彫られています。
竪堀の底はさらに角度が付いているようで、これは危ないなと思って迂回しました。竪堀の掘り方一つで堀底の角度を増すことができます。えげつないけど戦場の知恵ですな。
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2025/10/30 18:17
南朝方奈良左近の城 (2025/10/11 訪問)
イベントがらみで訪問しました。タイトな日程の中訪問しましたが、思った以上の遺構が残っていて楽しめました。とはいえ、散策路が十分整備されているとはいえず、危ない箇所もあります。特に巨大な竪堀のある場所は滑り落ちたら止まらないと思います。
途中まで車道が通じていますが、いやな予感がするので空きスペースに車を留め途中から歩きます。
城址東側を北上してから北東か城址に回り込んで行きます。北東の尾根には二重堀切がありそこから尾根沿いに城址に登って行くことが出来ます。帰りには尾根沿いに降りて行って二重堀切の所から道に降り下山しています。
話を登城時に戻すと、二重堀切を見上げながら進んで行くと大きな竪堀が見えます。途中から直登して三郭に取りつき尾根上を主郭に向かいます。尾根の上の高低差は少ないですが三郭、二郭、主郭と有る程度の段差があり、二郭と三郭の間には北側に土橋が付いています。
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2025/10/30 17:07
芦屋河原の合戦 (2025/10/30 訪問)
永正8年(1511年)細川高国と細川澄元による芦屋河原の合戦の舞台となった城です。日本城郭大系によると鷹尾城は平城と山城とがあり、平城部は宅地化により遺構は消滅しているようです。山城部にはいくつかの削平地、土塁、堀切、竪堀などが見られますが、戦時中、高射砲の観測塔が建てられ、それに伴って塹壕が掘られ曲輪の形状が不明になっています。ハイキングコースとしても整備されているため、正確な縄張り図は示すのが困難で推定図が掲載してありました。推定図に記載されている空堀跡は二重空堀でいい感じに残っています。塹壕跡かもしれないとも思いましたが、日本城郭大系に空堀跡と掲載されているので空堀跡と思うことにしました。ただ空堀跡だとすると変わった縄張りです。登城口からNHK山芦屋テレビ放送中継所を経由して鷹尾山山頂まで行き引き返してきました。NHK山芦屋テレビ放送中継所を過ぎると空堀跡などがあります。城跡らしい場所を撮影してきましたが、上記の理由で確信はありません。
阪急芦屋川駅より徒歩約15分で登城口に行くことができます。途中に案内板がありました。
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2025/10/30 08:35
広島城の景色を堪能 (2025/10/14 訪問)
広島城の天守最上階に登って、天守からの景色を眺めてきました(写真①②③)。天守は耐震基準に満たないため、2026年3月22日をもって閉館となります。
私が広島城の天守に初めて登ったのは50年前の、まだ小学生で夏休みの時に父に連れられて訪れました。当時は新幹線など無かったので、別府から船で広島へ渡りました。それから数えると今回で通算7回目となります。でももう生きている内に天守へ登る事ができるのは、この先無いだろうな~と思い、最上階からの景色をじっくりと目に焼き付けてきました。
1599年に、毛利輝元(写真⑤)が秀吉の聚楽第を参考に建てた天守は、昭和20(1945)年8月6日に原爆が投下されるまで現存していました。その後に市民の強い要望で、昭和33(1958)年に鉄筋コンクリートで外観復元されて現在に至っている事は、みなさんも御存知と思います。この復元天守からは、原爆ドームがかすかに見えます(写真③)。50年前に見た時は、うる憶えですが、高いビルや樹木はほとんど無く、もっと遠く海まで見渡せたような、原爆ドームや平和公園ももっとはっきり見えたような、そんな気がします。よってこの天守は、復興し高度成長を遂げていく広島の街を、ずっと見守ってきたという事ですね。そしてその時は、隣接していた広島市民球場で野球を見て帰ったのを憶えています。多くのカープファンが初優勝に酔いしれた50年前の、赤ヘル旋風が初めて巻き起こったあの日も、この天守は見届けてきたという事になります。本当に長い間お疲れ様でした。
閉館後もしばらく天守は壊されず、外から外観のみ見る事はできるようです。三ノ丸には歴史館が建設中で(写真③⑨の黄色のクレーンがその工事現場)、閉館後に収蔵品はそちらに移され展示されるとの事でした。その先に天守をどうするかは、木造で再建の話もあるようですが、同様に木造で再建を目指す名古屋城の動きなどを参考にしながら、進められるのではないでしょうか。よって仮に木造で再建するとなれば、完成までには少なくとも、まだ20~30年はかかりそうな感じがします🤔。
そして今回は!・・・千田嘉博先生が小倉城のセミナーでおっしゃっていた、先生も泊まれなかったという、あの【広島城が一望できるホテル】に、私は何と・・・宿泊してきました~!!!(トリバゴで安く泊まれました😊)。その高層階の部屋から見えた広島城は感動の絶景です。さらに夜景はもっと美しく、部屋の窓はまるでシアターのよう。時間を忘れて深夜まで、グラス片手に眺めてしまいました(写真⑥⑦⑧⑨)。予約する時は、キャスルビューの部屋を希望と伝えた方がいいようです。
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