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送りバント

20171220久留米城(福岡県久留米市) (2017/12/20 訪問)

何度も近くを通っていたが、こんな立派な石垣が残っているとは…

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20210927岩石城(福岡県田川郡添田町) (2021/09/27 訪問)

岩石山頂を中心に、複数の曲輪、大きな堀切、石垣、井戸、柱穴列などがよく残っている

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小城小次郎

さすがは伊賀三大上忍の城 (2025/03/30 訪問)

石川五右衛門や霧隠才蔵の師として物語に登場する百地三太夫と混同されるが三太夫は架空の人物。でも百地丹波は伊賀三大上忍の一人に数えられるほどなのでいわばホンモノ。その居城はさすがに土塁がでかくて高かった。

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天守無しがアツい

工事中 (2025/12/29 訪問)

https://numazukanko.jp/spot/10078

沼津駅から500mほどの場所にある
中央公園という場所の中にある
公園内には本丸址と階段下に(江戸時代の城区域が紹介された地図を主にした)案内板くらいしかない

その公園も…工事中のため通れる場所が制限されており、本丸址は離れた場所からの撮影に

ちなみにこの場所には最初…三枚橋城という城が武田勝頼により築城されており、江戸初期に廃城…江戸中期に老中水野忠友により沼津城が建築…明治維新の際に兵学校の校舎に使用されましたが、明治5年に解体されました

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20200720岩屋城(福岡県太宰府市) (2020/07/20 訪問)

本丸周辺を回り、堀切や腰曲輪などを確認

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20170815岩屋城(福岡県太宰府市) (2017/08/15 訪問)

本丸から少し離れた二の丸跡にある高橋紹運とその家来衆の墓前に手を合わせることをお忘れなく

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20220110柑子岳城(福岡県福岡市西区) (2022/01/10 訪問)

1年半ぶりの再訪で、夜明けの海を見下ろす眺望を楽しむ

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20200620柑子岳城(福岡県福岡市西区) (2020/06/20 訪問)

遺構の確認は難しいが、山頂から見下ろす弧を描く海岸線や能古島などの眺望は抜群

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20191005蔦ヶ嶽城(福岡県宗像市) (2019/10/05 訪問)

山上の城域はかなり広く、階段状に連なる曲輪、要所にいくつも施された二重・三重の堀切などが明確に残る

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20180131花尾城(福岡県北九州市八幡西区) (2018/01/31 訪問)

半年ぶりの再訪。前回見逃していた井戸や、圧倒的な存在感の登り石塁を中心に確認

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20170722花尾城(福岡県北九州市八幡西区) (2017/07/22 訪問)

はっきりと残る石垣や堀切は見事

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20171021岡城(福岡県遠賀郡岡垣町) (2017/10/21 訪問)

小さな丘上にあるコンパクトな城址だが、曲輪、堀切、虎口などがわかりやすく残る

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20170730益富城(福岡県嘉麻市) (2017/07/30 訪問)

多岐にわたる遺構が残っている

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20171117宇留津城(福岡県築上郡築上町) (2017/11/17 訪問)

石碑と案内板のみだが、案内板にあった「落城のきっかけとなった白い犬」のエピソードは興味深い

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20180312荒平城(福岡県福岡市) (2018/03/12 訪問)

縄張図持参のうえ山中を探索

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20171117旭城(福岡県豊前市) (2017/11/17 訪問)

低いがしっかりした石垣が残っている

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朝田 辰兵衛

アウシュヴィッツ平和博物館(福島県白河市) (2025/11/29 訪問)

戦後80年の2025年,母と想い出づくりに出かけました。ついでに近くのお城へも行きましたが,メインはココです。
実際の囚人服と,その着用者の写真。なんだか現場のニオイまで漂ってきそうで,衝撃でした…。
場所がわかりづらく,フツーの古民家のようなたたずまいです。事前にグーグルマップで調べてからどうぞ。
最寄り駅は,JR白坂駅になります。最初にビデオ鑑賞してから巡るスタイル。時間に余裕を持って。
ご厚意により,館内はすべて撮影可能でした。

みなさん,今年も一年ありがとうございました。
城びとスタッフのみなさんも,大変にお疲れさまでした。
2026年もどうぞ宜しくお願いいたします。

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巨大礫岩の露頭 (2025/12/13 訪問)

 12/26のWESTさんの投稿と被りました。豊織期以降の本格的な城はやっぱりすごいですねえ。
 上の城が建つ、三熊山の地質は、泥岩砂岩礫岩互層で、城域にも礫岩の露頭があります。石垣にも礫岩が採用されおり、他ではあまり見ないですよね。三熊山は諭鶴羽山地の北端にあります。諭鶴羽山地の海側を中央構造線が走り、この活動に伴って、海盆の堆積岩が隆起して諭鶴羽山地になったのですと。
 本丸の下、搦め手門方面の石垣を修復中でした。他の郭にも積み直し前の石が並べられているところも。二本の登り石垣は、まっすぐに単純なものと思ってましたが、現地の説明図見ると、かぎ型に分岐をいくつも作っているのですね。かなりな急斜面に作られているので、安定させるためにそうなっているのでしょうか。046カフェは、「戦に出ています」と掲示されていて、しまってました。もう少し粘れば戦から帰って来られたと思いますが、残念ながら先を急ぎます。

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しんちゃん

関ヶ原古戦場 安国寺恵瓊陣跡 毛利秀元陣跡へ (2024/03/31 訪問)

関ヶ原古戦場の安国寺恵瓊陣跡は南宮山ハイキングコースの入り口あたりにあります。恵瓊は小西行長や石田三成らと同様に関ヶ原の戦いの責任を押し付けられた感が有りますね。高橋陽一氏の「シン・関ヶ原」を参考にさせていただくと毛利輝元もかなりやる気で望んでいたようですが、西軍の敗戦後は恵瓊は毛利家の格好のスケープゴートにされてしまったようです。神谷氏の「関ヶ原合戦図志」の挿絵でも吉川や福原らの毛利家諸将が南宮山(栗原山も?)に布陣しているのに恵瓊だけは麓に置き去りにされたままです。
毛利の軍勢から締め出されてしまった感じですね・・気の毒に。
実際に麓に布陣していたかは不明で、陣跡には遺構などは見当たりません。毛利勢が南宮山一帯に布陣していたのであれば、それを追って山腹の扁平地に駐屯していた可能性もあるけど断言はできない。
関ヶ原に関しては信頼のおける資料が今の所ないので陣所の比定が難しい。関ヶ原の平地は広いし、山中・松尾山とその周辺・南宮山・栗原山などの山の中にもいくらでも兵を駐屯できる場所があります。平地・山地を問わず大軍を駐屯できるのが「関ヶ原」なんですわ。。

毛利秀元陣跡への道中には南宮十坊「千手院」跡や多くの扁平地があります。ただしこれだけでは万単位の大軍を駐屯できるほどのスペースは無いと感じました。

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カズサン

還暦を迎えた模擬天守閣 (2025/10/31 訪問)

 本丸の修復した内堀、石垣を16年振りに探訪し、本丸北東に建つ模擬天守周りを探訪、今日31日は朝から雨、時枝城辺りからは雨が上がりましたが、中津城天守閣探訪見学時には雨の心配なし、しかし曇っている、青空と天守閣とは行きませんでしたが、ぐるっと回って撮りました写真を投稿します。
 昭和39年に模擬五重天守閣と付二重櫓が建てられて61年目に成り、昨年には還暦を迎えた事に成り、すっかり中津城のシンボル、且つ中津市のシンボル的存在に成って居ます。北側に官兵衛夫妻の像が造られている、在城は12~13年ですが中津市市民に慕われてる事が分かります。
 いつ見ても石垣と濠、建物天守閣の黒下見板張りの外観も白漆喰天守に劣らぬ趣があります、良い時間を過ごしました。
 この後歴史博物館に戻り見学、タイムアップギリギリ、お礼を言って終了しました。
 
 中津駅の近くのホテルに泊まり、ホテルの居酒屋風料理店でビールに関アジの刺身、リーズナブルな値段で久しぶりの関アジを堪能。
 帰って来てから関アジの本場佐賀関漁港の大火には胸が締め付けられます。被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。
 

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