小川町高見地区の四津山神社がある四津山が高見城址となります。
主郭に神社があるので、登城道は整備されています。
また、県の史跡に指定されていますので、城址としても整備されていて、郭や堀切などの遺構散策が容易に楽しめます。
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2025/05/16 16:50
2020/2/1登城 (2020/02/01 訪問)
小川町高見地区の四津山神社がある四津山が高見城址となります。
主郭に神社があるので、登城道は整備されています。
また、県の史跡に指定されていますので、城址としても整備されていて、郭や堀切などの遺構散策が容易に楽しめます。
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2025/05/16 09:38
【春の長崎天草を巡る⑰】長崎観光(3/4)亀山社中と坂本龍馬 (2025/04/05 訪問)
春の長崎天草を巡る旅、長崎観光編(3/4)です。
長崎駅前に連泊した翌朝、今度は亀山社中へ行くために、まず長崎駅南口のバス停から[55]風頭山行のバスに乗り、終点の風頭山(山頂)で下車しました。このルートの選択は大正解でした。亀山社中は風頭山の中腹にあり、市電で行くと電停のある大工町やめがね橋付近からは、急坂や長い階段を登らなければならず、すれ違う人々は結構きつそうな表情でした(写真④)。でも山頂から行けばあとは下るだけ!(楽勝です😊)。しかも山頂の公園にはいい表情をした龍馬の銅像もありました(写真①②)。その先にある展望台からは、龍馬像越しにグラバー園も見えるすばらしい光景でした(写真③)。
亀山社中は、坂本龍馬が起こした日本で最初の商社だったと言われています。されど実態は、龍馬が薩長同盟を実現させ、またさらに薩長を勝たせ討幕を成功させるために、武器の輸入などを主に扱うという会社でした。その亀山社中があった場所に、現在は記念館として当時の建物が再現されています(写真⑤)。中には龍馬実筆の手紙なども展示されていました(写真⑥⑦⑧)。「亀山社中」はその後「海援隊」と名前を変え、船の購入と船による運送業務も行うようになりますが、龍馬が暗殺されたのを機に縮小し解散してしまいます。そしてその後は、三菱という商社を起こした同郷土佐の岩崎弥太郎が、その役割を担って行ったようです。
次はその貿易相手、トーマスグラバーの邸宅(グラバー園)を訪れます。(4/4)に続きます。
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2025/05/16 08:01
椿尾上城(2/2) (2025/01/05 訪問)
(続き)
西尾根曲輪群の西端からは北東に大きな竪堀を落としています。竪堀を過ぎて尾根沿いに進んだ先にもいくつかの小曲輪がありますが、削平は甘く自然地形に近い感じでした。竪堀の反対側にあたる西尾根西裾には竪堀群を設け、南西裾にも上下二段に分かれた十数条に及ぶ大規模な畝状空堀群が整然と並んでいます。浅くなっていたり倒木に覆われていたりで写真では伝わりづらいですが、こちらもなかなかの見どころです。
西尾根の竪堀群から西尾根曲輪群南下段の帯曲輪を経て、主郭部南裾へ。真ん中を林道で分断されている上に南側は木立の中で見づらいものの、こちらにも畝状空堀群が設けられています。竪堀だけでなく横堀も東西に走っていて複雑…というより雑多な感じですが、南側に対する厳重な警戒は感じられます。そして横堀を越えたところの南端の堀切を確認して椿尾上城をひとめぐり。
登城道も城内もよく整備されていて歩きやすく、説明板や案内表示は無いものの、横堀に土塁に石垣に堀切に畝状空堀群にと見どころも多く、大和三大山城に数えられるのも頷ける見事な城でした。この日は豊田城(笹藪)、窪之庄城(竹藪)、椿尾下城(激藪)と藪まみれの城ばかりでしたが、最後にやっと快適な城めぐりができました。
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2025/05/16 07:17
ゴールデンウイーク前半・陸前の城めぐり⑳ (2025/04/28 訪問)
大衡城から、支倉常長メモリアルパークを経ての転戦です。本当は、連休初日の最後に狙っていたのですが、時間が足りなくなってしまって3日目の攻城となってしまいました。梅ヶ森館は、お館山公園として整備されており、小野館跡の城址碑が建っています。傾いていましたが舊小野城の城址碑もありました。今回は公園周りを攻めただけです。成瀬川方面に下っていけば堀切もあるようです。桜ヶ森館は余り遺構がはっきりしていないようなので、さほど、そそられるものはありませんが、機会があったら再訪してみたいと思います。
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2025/05/16 07:05
水濠はほぼ当時のまま (2025/04/28 訪問)
GW2日目、朝駆けの後はメインの目的である砺波のチューリップを見に行きます。
カレンダーでは平日のこの日は思ったより混雑も少なく、また天気も良かったので満喫。
相方も満足してました。良かったです😊
お昼は氷見うどん、旅行先でもうどん?と突っ込まれそうですがやはり地のものは食べておきたい、と。
美味しかったです。
で、高岡城。初めての登城です。
この頃から雨が降り出したので駆け足での見学になります。
まずは高岡市立博物館でスタンプ。
月曜日で休館でしたがスタンプは押せました。
護国神社の脇を通り二の丸と本丸を繋ぐ土橋、ここには築城当時の石垣が残っています。
本丸には射水神社、越中一宮として知られます。
本丸広場には石垣の石が展示されている他前田利長の像も立っています。
周囲は水濠で囲まれ、これもほぼ当時のまま残されているとのこと。
本丸から朝暘橋(赤い)を渡り中の島から外濠の周りを歩きました。
南側にも赤い橋がかかっています。
大手口には高山右近像、東側に回ると枡形濠になっていました。
搦手口より再入城、スポーツセンターが建つ三の丸から小竹藪を見学して駐車場に戻りました。
前田利長が築き、縄張は高山右近の高岡城は利長の死後、一国一城令で廃城となりました。
城跡はそのまま残り、今は市民の憩いの場となっているようです。
【見どころ】
・二の丸と本丸の間の土橋と石垣
・周囲を周る広い水濠
・東側の枡形濠
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2025/05/15 21:33
若戸大橋 (2025/05/04 訪問)
若松城は黒田家の筑前六支城の一つで豊前の細川家に備えるために中ノ島に築かれました。幕末には藩により砲台が設けられますが、明治維新により民間に払下げられ明治10年の洞海湾修築工事の一環で島は削平され姿を消しました。伊能忠敬の計測では外周が約700ほどあったようです。現在若松城のあった場所の上に若戸大橋がかかっているので、上を走って見ました。船での移動に比べると味気ないですが、一応頭上を通過したということで・・。昼ごはんは資さんうどん、夜はとんこつラーメン。福岡と言うとラーメンのイメージがありますが、うどんの店もたくさんあります。個人的には資さんうどんのお世話になることが多いですね。ここで「肉ごぼ天うどん」に海老天を付けてエネルギーを補充してから大三岳城攻略に向かいました。
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2025/05/15 20:51
三角城D・三角城(主郭)・三角城B (2025/05/04 訪問)
三角城Eを訪問した後は三角城主郭を目指します。三角城Eから三角城主郭へは三角城Dを介して尾根上を移動することが出来ます。三角城DはEに比べるといささか地味で、尾根上に数段の扁平地が有るのみです。主郭と最前線であるEを繋ぐための砦というイメージです。Dを尾根沿いに下ってから主郭を目指します。例によって中段に腰郭らしきものがありますが、途中から直登で登って行きます。上まで登りきると主郭が広がっていて三角点も有ります。ここが大三ヶ岳城攻めの攻略の中心になるわけですか。
周囲はなかなか急峻ですが、北側の尾根は緩やかで複数の腰郭が有るようです。そのまま北に向かっていくと三角城Bに行くことが出来ます。地形図を見ると主郭からCにも行けそうに見えますが実際は別ルートになります。一度下まで下って行くと、Bへたどり着くには比高10数mの丘陵を登る必要があるようです。周囲を見渡せるポイントを随所にしっかり押さえているようです。三角城Bの頂部には扁平地が広がり三角点も有りました。東側にも腰郭が有ったような気がしますが、少し記憶が薄れて来ています。Bから下って谷道に降り三角城Cを俯瞰で眺めます。三角城Bは先ほどCの上から眺めているので、ここで戻ることにします。
地形図を見ながら谷道を東に向かって進んでいくと、程なくして最初の分岐に戻ることが出来ました。すでに4時半ぐらいになっているので吉川城を見るには少し時間が足りません。いずれ再訪した際には小三岳城も見てみたいと思います。小三岳城から下に降りる安全な道が有れがだいぶ楽が出来そうなのですが。
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2025/05/15 19:54
大三ヶ岳城西の郭・三角城E (2025/05/04 訪問)
大三ヶ岳城は二重堀切の東側一帯が主郭とされ、西側と北側の丘陵も城域と思われます。大三ヶ岳城の西側の丘陵は頂部に広い郭を持っていますが土塁などの防御設備は見当たらず、東側に腰郭らしきものが付いていました。
西の郭と谷道を挟んで真向かいに三角城Eとされる丘陵が迫っています。三角城Eというのは大三ヶ岳城・小三岳城を包囲した毛利方の三角城を構成する陣城の一つですが、ひとつひとつが砦と呼んでも良い規模を持っていて、腰郭もついています。この三角城Eをはじめ三角城を構成する砦郡には土塁などが見当たらず、当時としてはどのような状況だったのか興味の涌くところです。三角城Eの東側の切岸は急峻で下から登るのは大変そうです。大三ヶ岳城の西の郭を降って行った先に三角城の裏手に回り込める踏み城が続いているので、そこから三角城Eを訪問しました。
三角城Eに向かう途中、谷が南側に続いていて、その先に三角城F・G・Hと続き、小三岳城に至るのですが、この急な谷を下って行って、また登って来るのはしんどいと考え、まずは三角城攻略を優先しました。吉川城を含め敵味方すべての城域を散策するとなると一日モノだと思います。まだGW城攻めの初日なので、ペース配分も考えています。
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2025/05/15 18:27
にのまるさんクイズ…
1枚目の画像,天守でわかりました。
2枚目の画像,かすかに天球丸が確認できるのと,画像左の久松山山頂が決め手でした。
3枚目の画像,文字をボカシていたら難しかったと思います。
4枚目の画像,サービス問題。
5枚目の画像,すぐにわかりませんでした。しばらく考えたら「江戸城じゃねぇか?」と思い,にのまるさんの「36見附」投稿をカンニングしました。
6枚目の画像,橋の形状でわかりました。
7枚目の画像,投稿していないですが,昨年行きました(再訪)。
8枚目の画像,庭園風景でわかりました。
9枚目の画像,つい先日投稿されたので,サービス問題だと思いました。
10枚目の画像,「これぞ神奈川県!」ですよね。懐かしさがこみ上げてきました…。
山城の土橋系が出たら,ほとんどどこも似たような画像になるのでお手上げでした…<笑>。
赤い城さんなら大得意分野かもしれませんが…。
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2025/05/15 17:39
明禅寺合戦 (2025/05/15 訪問)
宇喜多直家と三村元親の明禅寺合戦の舞台となった城址です。操山山頂から北に延びた尾根に築かれた連郭式縄張りの山城です。操山公園里山センターから登城しました。少し遠回りになりますが、登城路は整備されていて概ね傾斜も緩やかで歩きやすかった。主郭には説明板があります。主郭周囲に石積みがありました。主郭より北に主に曲輪が展開しています。多少藪になっていますが、踏み跡もあり許容範囲です。余湖くんのホームページの縄張り図では竪堀が記されていたので探ししてみると先端の曲輪の西側に竪堀様の地形がいくつかありました。帰りは恩徳寺付近の果樹園の方へ下山しました。果樹園経由のこの道は主郭までの直線距離は短いと思いますが、操山公園里山センターからの道と比べると傾斜がきついです。途中石積みが見られますが、後世に作られた土止めの石積みのような気がします。
宇喜多直家といえば謀殺のイメージのある武将ですが、この明禅寺合戦(明禅寺崩れ)は華々しい戦いをしています。
車で行く方は操山里山センターに駐車場があります。公共交通は岡山駅よりバスに乗り原尾島住宅前バス停から徒歩20分くらいで操山公園里山センターへ行くことができます。
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2025/05/15 14:29
お城訪問記 (2025/04/19 訪問)
もてぎサーキット帰りに訪問
城趾の駐車場は山の上にあり訪問しやすい
駐車場は広め
道は狭く、結構急なので注意
空堀、土塁が見応えあり
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2025/05/15 08:15
2025/05/15 08:00
椿尾上城(1/2) (2025/01/05 訪問)
戦国中期に筒井順昭が筒井城の詰城として築いたとされ、松永久秀に攻められて筒井城が落城すると、筒井順慶は椿尾上城を反攻の拠点としました。松永氏が滅亡した後は、織田信長の大和一国破城令により廃城となったようです。
県道183号(福住上三橋線)突き当り手前の道路脇に路駐して登城開始。突き当りにある柵の脇の登城口から林道が続いていて、何か所か分岐はあるものの特に迷うことなく城域に到達。ただ、縄張図を見ても自分の現在位置に確証が持てなかったため、とにかく最高所に行けばそこが主郭のはず、とまっすぐ主郭に向かいました(登城口から20分弱)。
主郭には五社大明神が祀られていて後背に土塁を設けています。南側には横堀をめぐらせ、南西部の土橋で主郭部の曲輪群と接続し、土橋脇には石垣が見られました。横堀は東端で竪堀となって落ち、主郭の北西部からも長大な竪堀が水の手まで続いている…はずですが、水の手は見落としてしまいました。主郭はあまり広さはありませんが、主郭の南西には数段の広大な曲輪群が展開しており、東南辺に断続的に土塁を設け、曲輪裾部のあちこちに石垣が施されていました。主郭部南下の登城道を見下ろす位置にもいくつかの腰曲輪が設けられていて、土塁や竪堀で防御されています。
主郭部から西にのびる尾根にも多くの曲輪群が配されています。主郭部と西尾根曲輪群の間は岩盤を削り込んだ堀切によって隔てられていました。西尾根は比較的平坦な尾根沿いに広い曲輪群を連ね、中心となる曲輪は東辺を除く三方を折れを交えた直線的な土塁で囲み、北西外周には横堀もめぐらされています。さらに土塁には石垣が大規模に施されていて、一番の見どころといえるでしょうか。
主郭部と西尾根曲輪群に続いては、周辺の遺構を見て回ります(続く)。
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2025/05/15 07:06
ゴールデンウイーク前半・陸前の城めぐり⑲ (2025/04/28 訪問)
月曜日に休みをとっておいたので、連休3日目となります。古川駅前のホテルで朝食をとってから、朝駆けいたしました。ぎりょうさんのお薦めのように下から登城することをせず、横着こいて腰曲輪と思われる上の駐車場に乗り付けてしまいました。かなり後悔しています。城郭風建造物の青少年交流館・民俗資料館の裏手には立派な城址碑が建ち、眺望も開けていました。
次の城に向かう途中、大衡村の隣の大郷町にある支倉常長メモリアルパークにも立ち寄っていきました。仙台藩は幕府には支倉常長は死亡したと届け、この地に支倉常長をかくまい、彼はここで天寿を全うしたとのことです。ということでこのメモリアルパークには支倉常長の銅像と墓があります。仙台城の支倉常長像はすでにチェック済みでしたし、二日前には月浦の銅像もチェックできたので、これにて、日本国内にある支倉常長像はコンプリートです。
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2025/05/15 07:00
別の場所に石碑が (2025/04/28 訪問)
まずは石碑が建つ野々市工大前駅へ。
立派な石碑と説明板があります。
この周辺は山川館の跡らしく、少し離れたところに説明板がありました。
実際の館跡はここから500mほど南の住宅地の中にあります。
整地され、芝生が植えられていました。
説明板によると発掘調査で堀跡があったそうです。
平地の少し窪んだところがそうなのか?
館主は加賀国守護の富樫氏。富樫晴貞は一向一揆衆に攻められ自害、館も荒廃したそうです。
ここから近くにある。押野館は富樫家善が館主と言われています。
公園になっていて遺構はみられません。
ここも発掘調査で堀や掘立柱建物跡などが見つかったそうです。
野々市市には金沢カレーの元祖の一つ、チャンピオンカレーの本店があります。
前日の夜はこちらで頂きました。
美味しかったです✨
【見どころ】
・整地された館跡
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2025/05/15 05:23
瀬戸大橋を望む城跡 (2025/05/13 訪問)
倉敷市の一番南、瀬戸内海に面しており、石垣と瀬戸大橋を同時に見ることができる稀有な城跡。
城跡全体が瀬戸大橋架橋記念公園となっており、よく整備されているため道も歩きやすく石垣や曲輪もしっかり残っている。
大手跡付近には登り石垣のような石垣があったり、所々矢穴のある石も転がっており散策していて飽きない。
20㎞程北にある正福寺には下津井城から移築されたという貴重な山門が残っている。
また、少し足を延ばして鷲羽山展望台まで行くと、瀬戸内海のさらなる絶景が見られるのでこちらもおすすめ。
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2025/05/15 01:35
駅周辺の総構遺構や史跡にも見所あり (2025/03/10 訪問)
井細田口は総構の出入り口で、喰違構造が国道255としてそのまま遺っている。周辺は「竹花(たけのはな)」と呼ばれているが、元々は「岳鼻」だったようで、谷津丘陵の先端を意味していたらしい。駅前の飲み屋街には北条氏政・氏照の墓所がある。元々は寺があったようだが、移転して墓所だけ残ったらしい。結構異様な光景だが、こういうのは簡単には動かせないものなのだなあと痛感する。駅前には有名な北条早雲銅像があるが、写真撮ってる間に瞬殺で駐禁切られるので注意。
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2025/05/15 00:15
山口城
近くに県庁の駐車場があるので、そこからは、すぐです。
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2025/05/14 23:01
赤い城さんクイズ,正解で安堵しました… (2025/03/21 訪問)
にのまるさん,あさん,祝辞ありがとうございます。
赤い城さんクイズも,無事に正解できて安堵しました。
にのまるさんクイズも,お待ち申し上げます。最近の投稿傾向からだと,九州地方の出題かな…❓
さて,鳴海城ですが,天神社,鳴海城跡公園,鳴海コミュニティセンターと廻って終了しました。鳴海城跡公園の奥はもともと堀跡ではないだろうか…と思いました。
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2025/05/14 22:41
見応え十分の山中城へ (2025/05/11 訪問)
三島駅から元箱根港行きのバスで向かう。
三島駅の南側からのバス停から出るので、間違って駅の北側に出てしまうと、連絡通路がないため、駅員に言うか入場券の購入が必要なので、注意。
ほとんどの人がスカイウォークのバス停で降りる中、さらに先の山中城へ。
西の丸から順に散策。
少し登りがあるが、道は整備されているため歩きやすい。ツツジ(?)がきれいに咲いていて、障子堀をより際立たせていた。
障子堀は見応え十分。障子堀からの富士山は圧巻でした。
西の丸から二の丸、本丸と周り、道路の逆側にすり鉢曲輪へ。全体的に歩きやすい。
すり鉢曲輪からの景色は、三島駅から富士山まで一望できるので、時間がある人はぜひすり鉢曲輪まで見てほしい。
散策時間は、1時間半から2時間。西の丸や本丸側だけだと、1時間くらいで見れる。
バスの路線の途中にスカイウォークや伊豆フルーツパークなどがあるので、セットで回れば三島を1日楽しめるはず。
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