てらべじょう

寺部城

愛知県豊田市

別名 : 寺部陣屋
旧国名 : 三河

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①寺部城説明板
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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)3日目:寺部城 (2024/09/24 訪問)

桜城(城びと未登録 愛知県豊田市)から徒歩25分くらいで、守綱神社前(35.095153、137.170412)に着き、その後、城址案内板前(35.095820、137.171506)➡遊佐家長屋門(35.096010、137.173881)➡旧松本家長屋門(35.095180、137.173989)の準で巡りました。
守綱神社とその北にある公園が城址で、公園の階段入口付近に案内板が建ち、公園にはコンクリートの枠で囲んだ建物の礎石部分があります。
また、城内にあった書院「又日亭」は挙母城に移築現存しているようです。

寺部城の築城年代は定かではないようですが、文明年間(1469年〜1487年)鈴木重時によって築かれたと云われています。
鈴木氏は賀茂郡一帯を勢力に治めて松平氏に対抗したが、1566年(永禄9年)織田信長の家臣佐久間信盛に攻められ落城し、鈴木重教は矢並城へ逃れ、後に今川氏を頼って駿河へ落ちたそうです。
徳川家康(当時は松平元康)の初陣となる寺部合戦の舞台となった城として知られているようですが、そんな記述は案内板にはなかった。
江戸時代に入ると、尾張藩付家老で「槍の半蔵」の異名を持つ渡辺守綱が寺部陣屋を築き、以後明治まで渡辺氏が統治したそうです。

「信長の野望」の渡辺守綱は、武勇には優れているけれど政治と知略の数値が低かったと記憶していますが、尾張藩付家老には驚きです。
書院「又日亭」が、挙母城に移築現存しているようですが、自分が挙母城を攻城した時は知らなかった情報なので、見学できなかったのは残念です。
守綱神社とその北にある公園西側の土塁や礎石、井戸、渡辺家に仕えた重臣の遊佐家長屋門・土塀、旧松本家長屋門を確認しました。
攻城時間は40分くらいでした。次の攻城先=古瀬間城を目指す為、愛知県豊田市/おいでんバスを利用して、豊田スタジアム東バス停➡見晴らしの丘バス停に向かいました。

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ぴーかる

寺部城 (2023/01/27 訪問)

【寺部城】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>車

<見所>建物跡
<感想>日帰り松平郷の旅6城目。寺部城は文明年間(1469年~1487年)に鈴木重時によって築かれたとされます。鈴木氏は高橋荘東部を支配して、松平氏と対立します。1566年に織田方の佐久間信盛に攻められて城は落城し寺部鈴木氏は松平氏の臣下となります。1618年に尾張徳川家家老となった渡辺守綱が1万4千石で入封し寺部陣屋を構えます。渡辺家は代々相続して明治維新まで存続します。
 現在陣屋跡は公園化されて南半分が寂れたパターゴルフコースみたいになっています。北半分に陣屋時代の土蔵跡・茶室跡の建物遺構があります。西隅に寺部城時代の土塁が残されています。

<満足度>◆◆◇

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しんちゃん

寺部城 松平元康の初陣 (2024/03/17 訪問)

寺部城は文明年間に鈴木下野守重時によって築かれたとされています。弘治4年(1558)鈴木重辰が今川氏から離反し、織田信長に寝返ると今川方の松平元康(徳川家康)らによって攻撃されたとされています。元康はこれが初陣と伝わっています。
(この辺は大河では描かれなかったようです)寺部城は再び今川方に付きますが永禄9年(1566)織田方の重臣・佐久間信盛に攻められ落城し、寺部鈴木氏は織田と手を結んだ松平氏の臣下となったそうです。
慶長15年(1618)徳川家家老の渡辺守綱が1万4千石で入り陣屋を構え明治まで続いたとされています。城址西側の守綱神社の奥手の森には鈴木氏の時代の土塁が残っています。陣屋内にあった書院は挙母城跡である豊田市美術館の敷地内に移築されています。

寺部城‥愛知県豊田市寺部町

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キンヤ

家康初陣の地と云われ、渡辺半蔵守綱が構えた陣屋 (2023/11/04 訪問)

寺部城は、1469〜1487年に鈴木重時によって築城され、戦国時代は鈴木氏の居城でした。
1558年、鈴木重辰(日向守)は今川方から離反し織田方に付いたため、今川方が寺部城を攻めた戦いでは、家康(松平元康)が初陣を飾ったと云われます。
江戸時代には、徳川十六将の1人でもあり尾張徳川家家老の渡辺半蔵守綱の領地となり、寺部城の地に陣屋を構えました。

主郭は寺部城址の森公園として整備されています。
南東側の櫓台のような土壇上に城趾碑があります。
江戸時代以降の陣屋時の建物の礎石・石材が良く残され、他ではあまり見たことがなく珍しいです。
母屋・土蔵(2ヶ所)・書院・茶席の表示があり分かり易く、井戸跡は3ヶ所あります。
西側の薮の中には、鈴木氏時代の遺構とされる土塁があります。

主郭の東側の三ノ郭にかつては渡辺家家臣の屋敷が並んでいて、今は豊田市有形文化財の遊佐家長屋門、旧松本家長屋門(土日は内部見学可)が残されています。

そのすぐ東側の渡辺家菩提寺である守綱寺には、初代守綱と渡辺家代々の墓所があり、四角い墓石で珍しいです。

寺部城から東へ約1.3kmの場所には、寺部城攻めの時に家康が岩に掛けて采配を振るったと言われる烏帽子岩があります。

豊田市の挙母城(七州城)に寺部陣屋の書院・茶室を移築復元した又日亭があり(先行し挙母城で投稿)、安城市の城郭寺院 誓願寺の山門は寺部陣屋の城門を移築したものと云われます(2023年1月訪問)。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 鈴木重時
築城年 文明年間(1469〜1487)
主な城主 鈴木氏、本多氏、田中氏、渡辺氏
廃城年 不明
遺構 曲輪、土塁、横堀、移築門
指定文化財 市史跡(寺部城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 愛知県豊田市寺部町1-1-1
問い合わせ先 豊田市教育委員会教育行政部文化財課
問い合わせ先電話番号 0565-32-6561