みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

駿府城

\新発見・初公開/ 伝酒井家旧蔵 「駿府御城内絵図」 

このたび、姫路藩主・酒井家に伝来した伝酒井家旧蔵「駿府御城内絵図」(でんさかいけきゅうぞう すんぷごじょうないえず)が新たに確認されました。本絵図は、延宝年代(1673年 ~ 1681年) に描かれた図の写であるが、駿府城の天守を中心とした建物群の平面配置が、極めて詳細に描かれている点が大きな特徴です。
これまで知られていなかった情報が数多く含まれており、徳川家康公が築いた駿府城の実像に迫る、貴重な手掛かりとして注目されています。
静岡市が本絵図を購入し、現在静岡市歴史博物館にて初公開しています!
歴史の新たな一面が明らかになる興奮を、ぜひ会場でご体感ください。

展示期間:2026年2月15日(日)まで ※休館日を除く
展示場所:2階基本展示室内(要観覧料)

土日祝休日には、学芸員によるトークや工作など申込不要・無料でご参加いただけるイベントを実施しています。1階フロアは無料でご入館いただけます!お気軽にお越しください♪
詳細は、静岡市歴史博物館(https://scmh.jp)をご覧ください。

【静岡市歴史博物館】 ――――――――――――――――――――――――――――
◆場所:静岡市葵区追手町4番16号
◆休館日:月曜日(国民の祝日・休日の場合は開館、翌平日休館)※2月2日(月)、2月16日(月)は臨時開館
◆観覧料(基本展示観覧料):
◇一般・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・600円
◇高校生・大学生・静岡市内居住70歳以上・・・・・・・・420円
◇小中学生・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・150円
◇静岡市内居住・通学の小中学生、未就学児・・・・・・・・無料
※20人以上団体料金あり
※「一般」以外の方は、身分証明書等をお持ちください
※障害手帳をお持ちの方とその介助者1名は無料(要提示)
※企画展は別途料金設定有
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

+ 続きを読む

カズサン

小和田泰経先生講演「豊臣秀吉・秀長について学ぼう!」 (2026/01/31 訪問)

 浜松市引佐多目的研修センター主催の歴史講座、小和田泰経氏講演会「豊臣秀吉・秀長について学ぼう!」が有り受講してきました。今年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟」の先駆けでの講演、学んで大河ドラマをより楽しくでしょうか良い講演です。
 開催場所:静岡県浜松市浜名区引佐町井伊谷248-186
 講演講師:小和田泰経氏(小和田哲男先生のご子息)TV歴史番組でお馴染みの方
 講演時間:令和8年1月31日(土)13時30分~15時20分

 会場の引佐多目的研修センターは井伊谷城の登城口真下の研修センターです、開演前に登城口、水道施設である石垣囲いの休憩所まで上がり、満開の白梅、10~20輪咲いてる河津桜を見て寒なの中ほっこり、NHK大河ドラマおんな城主直虎のお陰で遊歩道はベンガラモルタル道、手摺も付いて良くなりましたが、ドラマから早9年も過ぎ幟も無くなり、遊歩道も痛み始め少し寂しい状態かも?でも保存会の方々は頑張っております、今回の講演会も保存会の法被が光って居ました。

 小和田泰経先生の話は、レジメも有り、史料、古文書での引用も有り分かり易い講演でした。
 豊臣秀吉・秀長について学ぼう!の講演は、豊臣兄弟の出自、豊臣兄弟の家紋、豊臣兄弟の家族、豊臣兄弟の家臣団、豊臣兄弟の合戦、豊臣兄弟の城郭、豊臣兄弟の甲冑、豊臣兄弟の刀剣、豊臣兄弟の墓所と進み1時間半超、質疑応答で15時半に閉会しました。ホール定員300名はほぼ満席で老々男女と若干の小学生。
 戦国武将の名前が出て来ますのでその都度耳を傾け、ワクワクドキドキの時間で織豊期は何時聞いてもいいですね!
 講演ステージ前に地元有志の方がお持ちの甲冑展示が有り講演後じっくりと拝見しました、有名な薩摩川内市の丸武産業製の現代版甲冑、ほら貝も同展示されていた。

 写真は講演会場、井伊谷城の登城口辺りを投稿します。
  

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

赤い城

金丸城 香川県仲多度郡まんのう町 (2026/01/04 訪問)

城びと未登録の山城です。
国道438号線から東側に神社が見えます。
その背後、鷹丸山の中腹に位置しています。

天神社の前を走る道路の広くなったスペースに車を置き、まずは神社へ。
その脇から登って行きます。
鷹丸山への登山道が付いていますがほぼ直登😅
ピンクリボンに沿ってひたすら登ります。

主郭の東側には高い土塁があり、その先に幅の広い堀切。
ここから先は鷹丸山への登山道のようです。
在地領主である小亀氏の居城、麓の神社近くに小亀氏関連のものと思われる五輪塔があります。

【見どころ】
 ・主郭の土塁
 ・堀切

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

栃木西方城

西方城跡の魅力を紹介する動画をアップしました! (2026/02/02 訪問)

動画は、西方城の歴史を詳しく知ることができる大人向けと、お子さんにもわかりやすく、理解しやすい内容の2種類で、ロング版とショート版をアップしています。また、西方城跡の見どころを知ることができる構成です。お城好きの方はもちろん、幅広い世代で楽しめる内容で、西方城跡の特徴や歴史の背景をより身近に感じていただけ、実際に訪れた際の散策が楽しくなりますよ。

動画は、栃木市のさまざまな情報を発信している【栃木市公式YouTubeチャンネル】でご覧いただけます。

こちらをぜひチェックしてみてください。
【https://www.city.tochigi.lg.jp/site/video/list276-1155.html】

また、チャンネルではこのほかにも、観光・イベント・歴史・暮らしなど、栃木市のさまざまな魅力がわかる動画を発信しています。
ぜひそちらもご覧ください。動画をご覧いただいた後は、ぜひ実際に西方城跡へも足を運んでみてくださいね。お待ちしております!

+ 続きを読む

赤い城

三方を瀬戸内海に臨む (2026/01/04 訪問)

羅漢寺の駐車場をお借りし、お寺の脇から登ります。
この羅漢寺は居館跡とも言われています。
登城路はミニ四国八十八ヶ所があり、この順路に沿って進みます。
途中の分岐を登り、上を目指します。
ところどころに◯合目の案内板もあるので安心、急坂ではあるものの歩きやすい登城路です。

7合目付近に石積があり、すぐそばに時代がわからない横穴もあります。
この辺りから段になった曲輪が連なっています。
主郭部は長方形で広く、土塁も残っています。
主郭の先を降りると堀切があり、その先は瀬戸内海、展望台となっていました。
主郭の北側と南側には竪堀も見られます。

細川氏の居城でしたが長宗我部元親の讃岐侵攻により落城しましたが、細川氏は城の北側にある室本港により高い経済力を持っていたとされています。

【見どころ】
 ・7合目付近の石積
 ・段になった曲輪
 ・西端からの眺望
 ・竪堀

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

トク

「千人殺しの石垣」と「有馬直純」 (2026/01/23 訪問)

延岡駅からバス「まちなか循環内回り」に乗り10分、「九電前・市役所西」(写真⑩)で下車するとそこが延岡城です。帰りは外回りが便利です。続100名城スタンプは二ノ丸管理事務所前にポツンと置かれていました(24時間押印可のようです)。

延岡は奈良・平安時代から800年間、土持氏が治めていましたが、土持氏が豊後大友氏に滅ぼされた後、秀吉の命で入った「高橋元種」(古処山城主:秋月種実の子)が総石垣造りで城を改修します。元種は九州の関ケ原では、東軍に寝返ったため所領は安堵されますが、その後に罪人を匿ったために改易。そして1613年には代わって「有馬直純」が延岡に入ります。直純の父は、あのキリシタン大名で有名な日野江城主「有馬晴信」です。晴信は「岡本大八事件」(賄賂)を起こし1612年に死罪となりますが、子の直純は幼い頃から徳川秀忠に仕えていたため改易は免れました。しかし島原の地に居づらくなったのか、翌1613年に自ら転封を願い出て、延岡15万石に移ります。そしてその生涯は苦渋の決断の連続でした。

不祥事で父を失っただけでなく、関ケ原後は小西行長の姪である妻と離縁し、自らはキリスト教を棄教します。しかし子らはどうしても棄教しないため、徳川から有馬家を守るため、仕方なく子らを惨殺してしまいます。そして1637年には幕府の命で延岡から島原の乱に出陣、そこでキリシタンである旧家臣や旧領民らと戦い、そして彼らをも惨殺してしまいました。有馬家を守るためとはいえ、いったいどんな気持ちだったのでしょうか? しかしその結果、有馬家は安泰となり三代70年間続く事ができました。

天守台に登ると延岡市街がとてもよく見渡せ、確かに五ヶ瀬川と大瀬川を天然の堀としているのがよく分かりました。そして西には高千穂の峰、東には日向灘まで見渡せ、その景色はとてもきれいでした(写真⑧⑨)。有馬時代の絵図には、この天守台に三重の望楼型の天守が描かれていたそうですが、発掘調査では瓦などは出土されなかったとか🤔?(写真⑦)。果たしてここに天守は本当にあったのでしょうか? これも興味深い話です。

私は高橋元種が築いたとされる「千人殺しの石垣」をじっと見つめてみました(写真④)。19mの高さの石垣は、この隅部(写真⑤)を外せば千人殺せる程の高石垣だと言われ、この名がついたようです。しかし私はこの石垣を見ていると、妻と離縁し、父をも見放し、子や旧家臣や旧領民らをも惨殺してしまった直純は、どんな思いでこの石垣を見つめていたのだろうか? 何故かそんな事をふと考えてしまいました🤔・・・
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

あんしょー

雪の岩村城 (2026/01/31 訪問)

雪に沈む岩村城です。
冬の空気の中、白に染められた石垣が美しい!

こんな日の登城は大変ですが、一見の価値ある絶景です(´∀`)

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

送りバント

20170820綾城(宮崎県東諸県郡綾町) (2017/08/20 訪問)

宮崎への家族旅行の間隙を突き訪問。模擬ではあるが絵になる天守

+ 続きを読む

チェブ

管理事務所に寄ったら、大好きな脱線話で盛り上がりました。 (2026/01/31 訪問)

2019年の春に所用のついでに寄り、入口だけで退散した「大庭城」に再登城してきました。

「大庭城」は『大庭城址公園』として整備されてます。駐車場はありますが細長く狭いです。
駐車場から階段があり建物が見えます。公園の管理事務所でお手洗いを借りようと尋ねると、奥に「大庭城」に関する掲示物等があり見学しました。
と、管理事務所の方に声を掛けられ「大庭城」のお話から始まり、2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では描かれなかったエピソード等々、1時間半は談笑してました。

「大庭城」は『鎌倉殿の13人』でもご出演した、大庭 景親さんの居城だったと言い伝えがあるそうですが、違うようです。
扇谷上杉氏の家臣、太田 道灌さんが城として築城するも、北条 早雲さんに落とされます。
「江戸城」と言えば徳川 家康さんより、太田 道灌さん。
最近、道灌さんの銅像を写真に写そうと、JR日暮里駅に行く外国人観光客が増えているそうです。

公園の入口から再登城し、石畳の坂をユルユル上ります。石垣が城址公園の演出をしてくれてます。違う時代に「大庭城」が活躍したのなら、こんな石垣が積まれたのかもしれませんね。家族連れが遊ぶ広場の奥に土塁と空堀がありました。

今年の大河ドラマ『豊臣兄弟!』。楽しいです。
私の住む東京の端っこ周辺のお城は、まさに北条討伐で片っ端から秀吉さんにやっつけられます。
私自信、残念は残念なんですが、どのお城が出るだろうと、楽しみです。
ちょっと待て、秀長さんは病で北条討伐に参加しなかったっけ?

大河ドラマで北条家を取り扱ってくれたら「大庭城」はCGで再現してもらうと笑っていた管理事務所の方。『忙しくなるなー』と、決まってもないけど、なんだかワクワクした「大庭城」攻めでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

マイベスト鳥取

今回、城びとの鳥取県をコンプリートしまして、鳥取県の百・続百名城以外の城びと城マイベスト10を作成してました。ご存じの通り、滋賀県に続いて、私的好みで今回も上位が山城ばかりになってしまいました。

1位[羽衣石城]
駐車場から右ルートのルート途中にある遺構が最高の見応え。残存する石垣跡や巨石群を細やかに観察しながら山頂を楽しみながら登りました。主郭が改変されているのが残念。

2位[市場城]
情報が少なかったので、登城してみて予想外の大城郭で衝撃を受けました。山頂から放射状にいくつもの連段の曲輪群が何条も伸びていて、しかも高低差のある曲輪群が並んでいる。曲輪壁は直角の大壁の切岸だ。

3位[鹿野城]
平山城だが、山の比高が結構あるので、麓の堀から山頂の本丸までずーっと遺構を楽しみながら登山できる。本丸の石垣跡や礎石も見応えあり。

4位[景石城]
主郭南側の織豊期高石垣が見られるのはこの地域では珍しい。登山途中の竪堀もダイナミック。眺望も良し。

同率5位
[河口城]
主郭最奥にある櫓台石垣は天守台と言ってもいいでしょう。主郭を取り巻く大空堀も見応えがあります。山の中腹にある城跡で、山側はどこまで城跡なのか考察しながら散策するのもいい。
[山崎城]
急峻な山城。主郭周辺の残存石垣が見応えあります。主郭斜面にへばりついて横移動しながら石垣探ししました。楽しかった。

7位[鏡山城]
麓の石垣の枡形虎口遺構や曲輪壁の石垣、中世遺構の詰め城の高低差のある曲輪群は見応えがある。詰め城の方も虎口跡が明瞭に残っています。

8位[江美城]
主郭の多聞櫓台跡石垣が見応えあります。曲輪間の堀切が深いのと曲輪壁にも所々石垣が残っている。

9位[太閤ヶ平陣屋]
土塁囲みで広い曲輪の主郭が見応え。空堀も良好に残っている。鳥取城までの尾根ルートを散策したことないので機会があれば攻略してみたい。
10位[由良台場]
国道9号線沿いにあり、20代の若い頃はドライブで横を何度も通ったが台場跡とは知らず、また台場跡が城跡とも勿論知らず、この芝生ゾーンはパターゴルフ場かミニゴルフ場かと思っていました。城びとで台場跡だと知って城びと巡り初期に行って良好に遺構の残る由良台場を見て台場跡とはこういう感じかとすごく勉強になった城跡。

感想:鳥取自動車道が無料なので近畿圏から鳥取・島根へは行きやすい。百・続百名城スタンプを収集前から鳥取城・米子城・砂丘や足を伸ばして松江城・出雲大社に行きました。城跡の総評は1~3位の城跡はいづれも大城郭で見応えのある、お城跡が残っている。因幡国と伯耆国の東側くらいまでは近畿圏の城跡と構造が似ていると感じます。伯耆国の西側くらいから戦国時代の城跡は堀切が無く、広い曲輪と高低差のある曲輪がある(尼子氏城郭の特徴かな)ように感じました。尾高城は私が行った当時は国史跡に指定される前で、草刈りの整備もあまりされていなかったので選に漏れましたが、今行っていれば整備もだいぶされているようですのでベストに入ったでしょう。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

関門海峡 (2026/01/31 訪問)

 標高約175mの古城山山頂にあり、関門海峡を望む交通の要衝に位置しています。戦国時代には毛利氏と大友氏の激戦地でした。明治時代以降は砲台や通信施設が築かれ城の遺構はほとんど残っていません。わずかに残る石垣は細川氏時代以降に築かれたと推定されています。
 城址からは関門橋などを観ることができます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

駅近の石垣 (2026/01/11 訪問)

模擬天守自体には以前行ったことが在るのだが、Googleマップを見ていると「伏見城 石垣遺構」の文字を発見。見てみると近鉄桃山御陵前駅から徒歩2分とのこと。これは行くしかない!
行ってみると大きな石垣があってびっくり。後世に積み直した可能性も無くはないが、それでも駅近にこんなものがあるなんて、素晴らしいと思う。
模擬天守近くにも木々のなかに石垣が眠っているようですが、天皇陵かなんかで見られないらしい。残念😞

今回は実際に模擬天守に行ったわけではないのですが、完全な作り物である模擬天守よりも石垣のほうが歴史的価値が高いと思うので「伏見城」の名前で出します。
また行きたい

+ 続きを読む

石垣散策 (2026/01/30 訪問)

 主郭へ行くまでのルートでも所々に石垣を観ることができます。また虎口の先を下ると、思っていた以上に石垣を観ることができました。無理をしてもう少し探せばもっとあると思いますが、勾配が急な坂の横移動となるので無難な範囲で見学しています。追加で投稿します。
 眺望もよく期待以上の城址でした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

母里太兵衛 (2026/01/30 訪問)

 標高633mの鷹取山に築かれた「黒田六端城」のひとつで母里太兵衛友信が城主をつとめた城です。筑前と豊前の国境にあり筑紫氏、菊池氏、大友氏、大内氏などの勢力が激しく争った城でもあります。上下2段の曲輪で構成され4カ所に虎口が設けられていました。少し下ると周囲には石垣と畝状竪堀を観ることができます。竪堀はひとつひとつが幅広く迫力があるのですが、乱立する木々と倒木で写真にするとわかりにくくなってしまうのが残念です。

 白糸の滝近くの上野(あがの)登山口より上野峡合流地点、上野越・福知山分岐を経由して登城しました。途中のおおつが林道を横切るまでは岩がごろごろした道を行くのでかなり歩きにくい所もあります。
今回は上野登山口よりの道を選択しましたが、トクさんが投稿されていたルートはいろいろとおもしろそうで次の機会があれば検討したいと思います。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

古代山城 (2026/01/30 訪問)

 7世紀頃の築造と考えられている古代山城です。鹿毛馬川東側の標高約76mの馬蹄形をした丘陵に列石が並んでいます。水門跡もありました。散策路が設けられていて見学するができます。牧野神社を過ぎて列石が途切れた付近で引き返してきました。

 神籠石とは国史大辞典によると「大きな切石を密接並列せしめて山を囲み、谷にまたがる所には石垣を設け、水を流す暗渠的な施設がある」遺跡のことです。また神籠石の性格について霊域説と山城説があったようですが、現在は山城説が通説となっています。自分の中では一列に並んだ列石が防御設備としてどのような役割をしていたのか興味があります。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

妙見山 (2026/01/30 訪問)

 多賀公園付近が陣屋跡です。近くに直方城の城址碑と説明板がありました。遺構はないようなので西徳寺の移築門を見て退却しました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

月瀬八幡宮 (2026/01/30 訪問)

 月瀬八幡宮が跡地で城址碑と説明板がありました。猫城とはおもしろい名前だと思い以前より気になっていました。「福岡県観光WEBクロスロードふくおか」のHPには『猫城とよばれた理由には、合戦を繰り広げる際、「敵が攻めてくるときは山が高くなり、城から攻め下りるときは山が低く感じるため、まるで猫が背を高くしたり低くしたりしているようだ」といわれていたことに由来しています』と記載されていました。ちなみに猫城址という立派な城址碑は高倉健さんが奉納されたものだそうです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

足利統氏 (2026/01/29 訪問)

 建武3年(1336年)足利尊氏の命により足利統氏が築城したと伝わっています。障子ヶ岳の山頂の南北に延びる稜線上に五段に連なる曲輪を配しています。本丸の南西部を、ロープを頼りに下りて行くと現在の深さ約10mの堀切が残っていました。その先にも堀切がありますが、ほとんど埋まっています。本丸の南東部にも堀切があると縄張り図(福岡県教育委員会)にあり行ってみましたがよくわかりません。
城跡はよく整備されていて、概ね気持ちよく散策できました。城址からすばらしい景色が堪能できます。ただ登城した日は風もありとても寒く少し太陽が顔をみせることもありましたが、途中から雪が舞っていたため見る所を見たらさっさと退散しました。

 味見峠桜公園から徒歩約40分で砦跡を経由して城址に行くことができます。登城路もよく整備されていてストレス少なく歩くことができました。味見峠桜公園へは地図で見ると東側(行橋駅方面)と西側(採銅所駅方面)からの道が表示されています。東側からの道は崩落や倒木により車の交通は困難です。西側からは未舗装の道はありますが、普通車で行くことができます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ヒロケン

豊臣秀長公の城 (2026/01/10 訪問)

大和郡山城は、奈良盆地の北西部に位置する西ノ京丘陵の南端部と、その東緑に広がる低地に築かれ、丘陵頂部と低地部との比高差はおよそ20mで、小高い丘陵地形を巧みに利用して築かれています。主要な曲輪群と武家屋敷を丘陵上に配し、町人地や寺社などの城下町は低地部に配しています。総構えは東西が1.6km、南北が1.5kmあり、外堀の総延長は6kmにもなります。
この地は、奈良と大阪を結ぶ諸街道に近い交通の要衝でもあり、また大寺院など既存の在地勢力圏を視界におさめることができ、大和支配の拠点としてこの地に築城した意図を汲むことが出来ます。(パンフレットより抜粋)

織田信長公の命により筒井順慶公が築城を開始しておりますが、この時期の遺構が確認できていないとのことで実態は不明ですが、この後に入城した豊臣秀吉公の弟、豊臣秀長公が100万石あまりを領有する城主に相応しい城とするため、大規模に整備されています。
普請に際しては、周辺から石材を集めた記録があり転用石も多くみられます。

大河ドラマ「豊臣兄弟」が放映され、自分一押しの「豊臣秀長公」が主人公であり、今年の城初めは何処にしようかと迷っていましたが、やはり大和郡山城と決めました。また、郡山城情報館が新設され、城郭模型や無料パンフレットが置かれており、その情報館の横に
新たな駐車場をできており、散策しやすくなっています。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

送りバント

20250720彦根城(滋賀県彦根市) (2025/07/20 訪問)

猛暑の訪問で、汗を流し勾配を登って出会えた美しい現存天守に感動

+ 続きを読む

ページ8