応永6年(1399)築城と伝わる城井宇都宮氏の分家である佐田氏の居城です。
城域は本丸を中心とした部分と複数の砦より構成されています。いろいろな方がネットなどに掲載されている縄張り図を見ると主郭付近をaとして、gまでの点在する砦が記載されています。元になっているのは大分県教育委員会の大分の中世城館2004に記載されていた縄張り図だと思われます。自分は城郭放浪記さんのHPにあった縄張り図を主に散策の参考にしました。主要な部分aのみならずb~gのすべての砦へ行くつもりでしたが、午後からの登城となったため日没が近くa、b、dとcの一部しか行っていません。宇佐市立佐田小学校近くの登城路が整備されています。途中倒竹などありましたが、概ね歩きやすい道でした。砦dを越えると空堀があり、主要部分(a)となります。空堀、竪堀が曲輪周囲によく残っていて見ごたえがありました。砦dは登城路にあり佐田小学校の生徒さんが作ってくれた標識がありましたが、砦b、砦cには標識も案内板もありません。ただそれほど藪ではなく難渋することなく行くことができました。
本丸を中心とした曲輪と周辺の遺構(a)が予想以上に楽しく時間を取ってしまいました。また砦b、cにも空堀が良好に遺っている所もありました。次の機会があれば時間を取ってすべての砦を散策したいものです。
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