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送りバント

20170730益富城(福岡県嘉麻市) (2017/07/30 訪問)

多岐にわたる遺構が残っている

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送りバント

20171117宇留津城(福岡県築上郡築上町) (2017/11/17 訪問)

石碑と案内板のみだが、案内板にあった「落城のきっかけとなった白い犬」のエピソードは興味深い

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送りバント

20180312荒平城(福岡県福岡市) (2018/03/12 訪問)

縄張図持参のうえ山中を探索

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送りバント

20171117旭城(福岡県豊前市) (2017/11/17 訪問)

低いがしっかりした石垣が残っている

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朝田 辰兵衛

アウシュヴィッツ平和博物館(福島県白河市) (2025/11/29 訪問)

戦後80年の2025年,母と想い出づくりに出かけました。ついでに近くのお城へも行きましたが,メインはココです。
実際の囚人服と,その着用者の写真。なんだか現場のニオイまで漂ってきそうで,衝撃でした…。
場所がわかりづらく,フツーの古民家のようなたたずまいです。事前にグーグルマップで調べてからどうぞ。
最寄り駅は,JR白坂駅になります。最初にビデオ鑑賞してから巡るスタイル。時間に余裕を持って。
ご厚意により,館内はすべて撮影可能でした。

みなさん,今年も一年ありがとうございました。
城びとスタッフのみなさんも,大変にお疲れさまでした。
2026年もどうぞ宜しくお願いいたします。

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巨大礫岩の露頭 (2025/12/13 訪問)

 12/26のWESTさんの投稿と被りました。豊織期以降の本格的な城はやっぱりすごいですねえ。
 上の城が建つ、三熊山の地質は、泥岩砂岩礫岩互層で、城域にも礫岩の露頭があります。石垣にも礫岩が採用されおり、他ではあまり見ないですよね。三熊山は諭鶴羽山地の北端にあります。諭鶴羽山地の海側を中央構造線が走り、この活動に伴って、海盆の堆積岩が隆起して諭鶴羽山地になったのですと。
 本丸の下、搦め手門方面の石垣を修復中でした。他の郭にも積み直し前の石が並べられているところも。二本の登り石垣は、まっすぐに単純なものと思ってましたが、現地の説明図見ると、かぎ型に分岐をいくつも作っているのですね。かなりな急斜面に作られているので、安定させるためにそうなっているのでしょうか。046カフェは、「戦に出ています」と掲示されていて、しまってました。もう少し粘れば戦から帰って来られたと思いますが、残念ながら先を急ぎます。

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しんちゃん

関ヶ原古戦場 安国寺恵瓊陣跡 毛利秀元陣跡へ (2024/03/31 訪問)

関ヶ原古戦場の安国寺恵瓊陣跡は南宮山ハイキングコースの入り口あたりにあります。恵瓊は小西行長や石田三成らと同様に関ヶ原の戦いの責任を押し付けられた感が有りますね。高橋陽一氏の「シン・関ヶ原」を参考にさせていただくと毛利輝元もかなりやる気で望んでいたようですが、西軍の敗戦後は恵瓊は毛利家の格好のスケープゴートにされてしまったようです。神谷氏の「関ヶ原合戦図志」の挿絵でも吉川や福原らの毛利家諸将が南宮山(栗原山も?)に布陣しているのに恵瓊だけは麓に置き去りにされたままです。
毛利の軍勢から締め出されてしまった感じですね・・気の毒に。
実際に麓に布陣していたかは不明で、陣跡には遺構などは見当たりません。毛利勢が南宮山一帯に布陣していたのであれば、それを追って山腹の扁平地に駐屯していた可能性もあるけど断言はできない。
関ヶ原に関しては信頼のおける資料が今の所ないので陣所の比定が難しい。関ヶ原の平地は広いし、山中・松尾山とその周辺・南宮山・栗原山などの山の中にもいくらでも兵を駐屯できる場所があります。平地・山地を問わず大軍を駐屯できるのが「関ヶ原」なんですわ。。

毛利秀元陣跡への道中には南宮十坊「千手院」跡や多くの扁平地があります。ただしこれだけでは万単位の大軍を駐屯できるほどのスペースは無いと感じました。

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カズサン

還暦を迎えた模擬天守閣 (2025/10/31 訪問)

 本丸の修復した内堀、石垣を16年振りに探訪し、本丸北東に建つ模擬天守周りを探訪、今日31日は朝から雨、時枝城辺りからは雨が上がりましたが、中津城天守閣探訪見学時には雨の心配なし、しかし曇っている、青空と天守閣とは行きませんでしたが、ぐるっと回って撮りました写真を投稿します。
 昭和39年に模擬五重天守閣と付二重櫓が建てられて61年目に成り、昨年には還暦を迎えた事に成り、すっかり中津城のシンボル、且つ中津市のシンボル的存在に成って居ます。北側に官兵衛夫妻の像が造られている、在城は12~13年ですが中津市市民に慕われてる事が分かります。
 いつ見ても石垣と濠、建物天守閣の黒下見板張りの外観も白漆喰天守に劣らぬ趣があります、良い時間を過ごしました。
 この後歴史博物館に戻り見学、タイムアップギリギリ、お礼を言って終了しました。
 
 中津駅の近くのホテルに泊まり、ホテルの居酒屋風料理店でビールに関アジの刺身、リーズナブルな値段で久しぶりの関アジを堪能。
 帰って来てから関アジの本場佐賀関漁港の大火には胸が締め付けられます。被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。
 

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カズサン

本丸内堀石垣修復17年目 (2025/10/31 訪問)

 時枝城、時枝陣屋を終えてまだ陽も有りここまで来たら寄らなくちゃぁ~と中津城へ西方向へ約12~13km程を進行。

 駐車場:中津市歴史博物館南裏手の駐車場を利用
 参考資料:グーグルマップに依る。

 前回に登城は平成21年6月10日大分県宮崎県城探訪4泊5日の初日、前年の平成20年に本丸内堀石垣の修復完成したとのニュースで翌年訪ねてから16年振りの中津城登城です。
 新しく中津市歴史博物館が出来て居りここも見たいとの願望、閉館時間が迫って居ましたが裏から入り、係りの方に資料を頂き、先に天守閣を訪ねてから戻りますとお願いして、城内探訪。

 内堀と南面石垣は整備のまま奇麗に保全されています、歴史博物館館内部からと外のテラス席から堀と石垣が良く観えます、博物館の北側は大型のガラス張りで石垣鑑賞がよく出来る配慮、椅子も有り座ってゆっくり石垣鑑賞するのには持って来いの場所、のんびりと鑑賞してみたい、外のテラス席も同じく、良い場所に歴史博物館を作ってくれました、外に出て周囲、西と東、石垣増設改造の履歴が分かる石垣土塁断面部分、それぞれ開設が付いています。
 平成20年(2008年)石垣内堀修復して17周年です。
   

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しんちゃん

特別公開 (2025/04/19 訪問)

小天守めぐり、まずは東小天守からです。案内板によると東小天守は高さ9mの石垣の上に建つ三重櫓とのこと。
でも外観は二重の多聞櫓で北向きに妻の千鳥破風が有り、三重目は多聞櫓の二重屋根の上に載せられた望楼です。多聞櫓が大きいので三重櫓が小さく見えるわけですか。さすが天下の姫路城ですわ。
小天守一つとっても吉田城の鉄櫓と同じくらいか、もっと大きい。でも吉田城の方が姫路城よりも「お兄さん」ですぞ。池田輝政繋がりで本丸の構造も少し似ています。
東小天守を見た後はロの渡櫓を通って乾小天守に向かいますが、この渡櫓がまた凄い。凄い窓の数です。普段見れない光景が広がっていて目にするものすべてが新鮮です。姫路城・・改めて凄い城ですね。2000円ぐらいに抑えてもらえると、だいぶ行きやすくなるんだけどね。
一見さんの外国人さんと同じ値段は「城ずき」としてはちょっとキツイよね。そういうこと言うと、嫌なら来るなって言われるんだろうけどね~

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しんちゃん

特別公開エリア (2025/04/19 訪問)

皆さん九州に行かれてますね~うん、羨ましい。今の状況だと九州や四国が良いんでしょうね。私は現状家にカンヅメです。
姫路城の特別公開の時の写真です。この少し前にも訪問してますが、値上げ前のラスチャンと思って行きました。
2026年3月1日から姫路市民以外の大人の入城料は2500円に値上げになるようです。家族で行くと1万円近くになるのかな・・。18歳未満は無料で姫路市民は1000円・・けっこうギャップがエグい。もう1回行っておこうかな。
この日は普段公開されていない東小天守・乾小天守・西小天守が公開されていました。めったに無いチャンスなのでこれを逃す手は無い。桜が散った時期にやるのが実に小憎い。先々週と併せて2回行くことになりました。
大天守から反時計回りに回って行きます。まずは大天守から訪問、小天守へは大天守を通らないと行けません。訪問したばかりなので大天守をサクッと通過して次へ・・
経路は大天守→イの渡櫓→東小天守→ロの渡櫓→乾小天守→ハの渡櫓→西小天守の順だったと思います。イの渡櫓は短すぎて記憶に残っていません。思ったより公開エリアを訪れる人が少ない・・初見さんは大天守だけ見て満足してしまうのだろうか。
もったいないな~ でも、その方がこちらはゆっくり小天守や渡櫓を見学できますわ。

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カズサン

時枝城と時枝陣屋 (2025/10/31 訪問)

 豊前に入って城びと未登録の副城、光岡城を終えて北方向約5.6km程(直線)経路約7.5km程の時枝城と時枝陣屋(城びと未登録)を目指す。
 駐車場は無く交通量も多いので県道629号線糸口(郵便局)交差点南西道沿いのセブンイレブンさん駐車場を一時利用。
 参考資料:余湖図コレクショングーグルマップに依る。

 時枝城は遺構無く石碑のみ(県道629号線糸口交差点より南に約30mの道沿いに在る)ですが、堀跡かな?塁の痕跡かな?が見られる。
 時枝城の歴史は、時枝城は時枝氏の築城、1400年頃から約200年この地を治めて、黒田官兵衛が中津12万3千石の領主に成ると黒田軍に加勢し家臣と成る。関ヶ原合戦後黒田氏が福岡転封に成ると黒田氏に従って福岡に移り城は廃城。

 時枝陣屋は県道629号線糸口(郵便局)交差点の北西側の南道、東道に面した処に在り現在敷地は介護、ケアーハウスと屋敷地に成って居る、石碑と標柱が県道629号線糸口交差点の北約50m三叉路の左道沿いに在ります、低い石垣も残って居ます。
 時枝陣屋の歴史は、小笠原長宥は元禄12年(1699年)この地に陣屋を建て時枝領5千石を治めた。石垣や手水鉢など見られる。(標柱による)

 光岡城、時枝城、旭城とも1週間前後して、とある煩悩の登城目録さんも探訪されていたのですね。
  

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ももんじゃ

現存4御殿巡り (2025/12/29 訪問)

現存4御殿最後の掛川城二の丸御殿を制覇!

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チェブ

今年もお世話になりました。 (2025/02/23 訪問)

今年最後の投稿は
『阿蘇神社』
お城じゃないんかーい!と、ツッコミが聞こえてきそうです。

私の住む東京の端っこにある『阿蘇神社』。
昨年の年末に、ある会話から巡ってみました。
今年じゃないんかーい!と、ツッコミも聞こえてきそうです。

『初詣は行く?』の友達の質問に『特に行かない』の回答。TVのCMで流れる神社を想像していたのですが、友達は近所の小さな神社を訪問するそうです。
本来、日々の感謝を伝えるんだから、そうだよなーと納得しました。
でもって、2月に訪問しました。(もはや、初詣でもないですが、、、。)

私が神社と言ったら羽村市の『阿蘇神社』です。

創建は601年。推古天皇の時代です。
多摩川沿いにあり、おそらく多摩川遊歩道の最終地点になります。
説明板には、平将門さん、藤原秀郷さん、北条家の皆さん、徳川家康さんのお名前があり、『えー、みんな来たの?』と単純にミーハー心を躍らせました。
2月の寒い午後の時間、参拝の方々がいらっしゃいます。社殿に手を合わせる皆様。
私だけが、玉砂利をザクザクと歩き回っていました。

ここは小さい頃、友達の家に行く時の近道でした。
改めて社殿を見上げ、こんなに立派な神社だと、感激しました。
蟷螂の彫物が十二支で、写真をパチリ。今年のヘビでもなければ、来年の馬でもなくイノシシ、、、!

今年も皆様の投稿、楽しませていただきました。
家族の事情で、遠出や旅行が難しくなり、お城はスマホの画面からが多くなってしまった1年でした。
また、お城に関係のない脱線話にお付き合いいただき、ありがとうございました。

それでは、良いお年をお過ごしくださいね。

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赤い城

小早川水軍の拠点 (2025/12/07 訪問)

新高山城から竹原を回り、帰りに立ち寄りました。
そんなに時間はかからないと思い説明板前の広くなったスペースに車を置きましたが、近くの床浦神社に広い駐車場があるようです。

まずは浜の方に行ってみました。
堤防では釣り人が糸を垂らしていらっしゃいます。
先に進み見どころの船隠しを遠望。
残念ながら潮が満ちていて歩いて行くことはできませんでした。

引き返し説明板のところから登っていきます。
二郭と三郭の間を登りますがこれは堀切なのでしょうか?
二郭には土塁が少しだけ残っていました。
さらに主郭へ。
広く忠魂碑が建っています。
もちろん瀬戸内海の眺めもよくこの日の疲れを癒す景色でした。

2025年に行った城はもう少し残っていますがレポートは来年に持ち越しです。
今日は城納めで小豆島へ進軍中です。

【見どころ】
 ・船隠し
 ・瀬戸内海の眺望

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todo94

2025年末・鹿児島県の攻城③ (2025/12/26 訪問)

鹿児島城の城カードを購入した後、昼食をとってから、屋久島行きのジェットフォイル乗り場に行ってみると、26日はすべて欠航というありさまでした。12月は観光客も降雨も少なく縄文杉トレッキングのベストシーズンとのことでしたが、強烈な冬型の気圧配置にはかないません。残念ですが、トレッキング、宿泊をキャンセルし、ホテル、レンタカー、帰りの航空便、特急あずさをすべて前倒しして取り直しする作業に追われました。この日は、残った時間で千々輪城(グーグルマップと現地の表記は谷山本城)へ赴いてみました。小規模ながら切り立った空堀や通路は南九州の城ならではのテイストがあります。武者だまりには伊勢神社、土塁の残る主郭には愛宕神社が鎮座していました。愛宕神社の社殿近くからは桜島が望めるのですが、ちょっと樹木にさえぎられてしまっています。指宿枕崎線の高架はよく見えました。鹿児島中央駅に行って17時ちょっとすぎには、薩摩黒豚のしゃぶしゃぶと芋焼酎の晩酌を楽しみました。

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トットコ

久しぶりの100名城巡り (2025/12/27 訪問)

久しぶりに100名城に来ました。
前日の大雪でしたが、何とか辿り着きましたぁ〜!

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T-Shionoya

佐賀城 奇妙な天守台 (2025/10/24 訪問)

10月の佐賀県観光で訪れた2つ目の城が佐賀県佐賀市の佐賀城。

九州最大の平野である筑紫平野の北エリア、嘉瀬川の分流・多布施川が流れる水郷地帯に築かれた城。

龍造寺氏の居城である村中城をもとに、鍋島直茂・勝茂父子が江戸初期に築城。村中城の本丸には諫早屋敷、二の丸には多久屋敷が置かれたと伝わる。
勝茂が初代城主となると、幕末まで鍋島氏10代が継承。
1726年の大火災で天守等を失い、二の丸に御殿を再建。その二の丸御殿も1835年に焼失し、再び本丸に御殿が建てられたとのこと。

現在は佐賀城公園となり、本丸には御殿が復元され、鯱の門と続櫓、本丸御殿の御座間が現存。
本丸以外は公共施設などが建ち姿を変えているものの、それらを囲む広大な水堀は概ね残る。

訪問時は本丸をメインに水堀を1周する計画であったが、時間不足で北堀は断念。
1番の見どころは鯱の門と続櫓だが、復元された本丸御殿もなかなかの広さ。
最も要塞らしさを感じた場所は、天守台の上り口。ところが本丸内からアクセスしようとしたところルートがなく、再び本丸の外へ戻ることに。
諸説あるらしいが、この奇妙なつくりが興味深い、私の城郭巡りの213城目でした。

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しんちゃん

関ヶ原古戦場 長宗我部盛親陣(古) 長束正家陣 (2024/03/31 訪問)

関ヶ原合戦場の陣跡ってみんな怪しい・・なんてこと言ってると周る所が無くなっちゃう。自由に周りましょう・・
長宗我部盛親陣と長束正家陣も微妙な立ち位置にあります。長宗我部は陣跡の比定地が二つあるんですね。
以前、栗原山付近の中腹にある長宗我部盛親陣の投稿をしましたが、栗原山の麓にも陣跡の比定地があります。まあ、途中から山腹に移動したと考えることも出来るけど、ここから戦場までは結構ありますね。
明治期に入っての関ヶ原古戦場の配置図は二つあって、一つは岐阜県の依頼で郷土史家の神谷道一氏が作成した「関ヶ原合戦図志」
これは江戸時代の儒学者・軍学者「山鹿素行」の「武家事記」の影響を受けていると思います。
もう一つが陸軍参謀本部が翌年に発表した「日本戦史関原役」の附図・第五号です。残念ながら私の購入した古い書籍には附図が載っていませんでしたが「地方紙研究」411 に小池絵千花さんが図を載せてくれているので、そちらを参考にさせていただきました。
記憶で書いていますが、「日本戦史関原役」発表の翌年に日清戦争が始まっているので両図の陣跡の差異は意図的なものだと思います。
これはいくらなんでも神谷氏が気の毒ですね。岐阜県側からどのような釈明が有ったかは知りませんが、現在における名誉の回復も不十分だと思います。
両図を確認すると長束の陣も長宗我部の陣も麓に書かれていますね。
毛利秀元が南宮山に登っていれば当然、吉川も南宮山に登ると思います。
神谷氏の「関ヶ原合戦図志」では毛利本隊を押えるように吉川の陣が南宮山の北側に陣取っています。関ヶ原は豊臣恩顧の武将同志が戦うという特殊な状況なので、いつ何が起きてもおかしくはありません。吉川も合戦の様子を逐次確認する必要が有ったと思います。
小早川や東軍先手が離反すれば戦況は一変するので吉川・毛利は自ら家康を討たなくては自分の身が危なくなります。万一のことを考えるとをやはり関ヶ原が見える場所に陣を敷く必要が有ったと思います。
その点においては神谷氏の図の方が信憑性が高いと思いますが、正直な所「関ヶ原合戦図志」の南宮山の形状はかなり怪しい。神谷氏は本当に南宮山一帯を歩いているのだろうか? 個人的には南宮山山頂よりもっと北側の方が秀元陣に相応しいと思います。

長くなりましたが、長宗我部が栗原山や南宮山に軍を進めていたら、長束も山中(さんちゅう)に移動したんじゃないでしょうか?
そういえば安国寺恵瓊はどこにいたんだろう。

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こじくん

滝山城&道の駅 八王子滝山 (2025/12/27 訪問)

3回目の訪問
アクセスはJR八王子駅から西東京バス&徒歩
道の駅 八王子滝山から徒歩数分

道の駅 八王子滝山で昼食
八王子ラーメン880円とジェラート400円
ラーメンは玉ねぎが多く、個人的に好きな味
続100名城スタンプは以前の場所と異なり入口に変更されていた。

堀と土塁がよく残っていて個人的には好きな城。

帰りはJR八王子駅南口の八王子サザンスカイタワー3階にある日本遺産の関連施設で八王子城と滝山城の縄張り等を鑑賞した。

※一部の写真は2021年訪問時のもの。

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