雲仙市山田城、島原市東空閑城を終えて島原半島未踏城廻り第4弾は東空閑城に次いで南島原市の深江城へ、東空閑城から有明海側島原半島を国道251号線を島原方向へ途中島原城を横目でチラッと見て約18km程南下して須ノ崎交差点を山手北側へ県道133号線を進行約600m程の所左手に、深江城跡石碑と説明板が有る。
駐車場:無し、石碑、説明板手前の幅広路側帯に路駐。
参考資料:城郭放浪記さんグーグルマップに依る。
眼前北西山手は雲仙普賢岳の雄姿が迫って来る絶景の地、火山積層の地に浸食された先端に立地してる模様、石碑の位置がグーグルマップ史跡深江城跡に当たる、城郭放浪記さんの史跡位置は石碑の西約150m程の民家辺りのポイントを指している、出丸と言われてる熊野神社は石碑より通りを下って50m程、熊野神社を訪ねて、段丘より降りて城郭放浪記さんの深江城本丸?ポイントを訪ねてみる、畑やビニールハウス、民家石垣と成っており遺構は良く分からない、民家側石垣段を登って辺りの様子を見ながら西より石碑位置に帰るが遺構らしきものは見当たらない。
歴史は
深江城は南島原市深江町一帯を治めていた安富氏の居城、鎌倉時代に地頭に着任。
南北朝統一後も島原半島豪族は探題方と宮方に分かれて対立していた、安富氏は探題方に属し、有馬氏とも対立していたが、やがて強大な勢力に成った有馬氏に服属。
天正12年(1584年)の沖田畷の戦いでは、安富氏は有馬氏を離れ龍造寺氏に味方したため、深江城は有馬・島津軍に包囲され、籠城戦になりました。籠城中、沖田畷で龍造寺隆信が戦死すると、安富氏は城を脱出し、現在の佐賀市水ヶ江町に去って行きました。(説明板一部抜粋)
雲仙普賢岳麓にある風光明媚な景勝の地に石碑がひっそりと佇んでいます、有明海も見下ろせゆったりとした心地よい場所でした。
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