へいすがじょう

平須賀城

和歌山県日高郡

別名 : 平須山城、平主山城、平柄城
旧国名 : 紀伊

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主郭
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イオ

山城めぐりができるのは… (2026/03/15 訪問)

(続き)

東尾根から主郭部東面の帯曲輪や腰曲輪を通り過ぎて一気に最高所の主郭へ。主郭のススキは刈られていますが、それはあ さんの主郭の三角点の写真で想定のうち。主郭からは南部平野から南部湾までが一望でき、南部支配の拠点であることを実感します。そして主郭から北側を見下ろすと広がるススキの大草原……じゃない!? 大草原どころか立っているススキは一本もなく、全て綺麗に刈られて足元に敷き詰められています。あ さんの登城からわずか半月でまさかこんなことになっていようとは。

主郭部は南端最高所の主郭から北方向に四段の曲輪を連ね、東面と西面に帯曲輪や腰曲輪をめぐらせています。発掘調査が実施された際に伐採されたのか四段の曲輪に立木はなく(だからこそススキが伸び盛る)、足元に積まれたススキで堀や土塁がわかりづらくなっている点はあるものの、曲輪の形状や切岸の鋭さは一目瞭然。四段の曲輪の下段にも曲輪群があり、こちらも綺麗に刈られています。四段目の曲輪の切岸の下には横堀(城道?)がめぐり、主郭部下段の西辺には武者隠し状の土塁が見られました。

正直なところ、支尾根の遺構は見られても主郭部はススキの大草原と大草原内部の先が見通せない写真を撮って終わりかな、くらいに思っていましたので、嬉しい想定外でした。それにしても、敷き詰められたススキの量から考えても主郭部全域を刈りこむのは相当なご苦労だったでしょうし、ススキだけでなくイバラとも格闘しながらの作業だったはず、と考えるとただただ頭が下がる思いです。それも普通に登ってくるだけでも大変な急坂を草刈機を担いで…。放置すればあっという間にヤブに沈んでしまう山城をこうして維持整備して下さっている方々がいるからこそ山城めぐりができているんだということを改めて痛感した平須賀城でした。この場を借りて心より感謝申し上げます。

登城前の想定とずいぶん違った結果になりましたが、あ さんご依頼の「現状の写真」の投稿はとりあえず果たせたということでご容赦を。いずれまたススキに沈んでしまうのかもしれませんが、登城を検討しておられる方がいるなら、今がチャンスですよ!
 

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イオ

まずは支尾根から (2026/03/15 訪問)

室町中期に守護・畠山氏の南部平野支配の拠点要害として築かれた城で、畠山氏に仕えた野辺氏が城主を務めましたが、戦国期に畠山氏内紛の中で野辺氏は没落し、湯川氏の勢力下になったようです。

激ヤブ状態の登城道に阻まれて2年あまり。その後、登城したという人はなかなか現れず、やはり自分で行ってみるしかないか、と思っていたところに、あ さんの登城レポートに勇気をもらって再挑戦しました。登城口から登って行くと、前回敗れ去ったシダとイバラの激ヤブはきれいさっぱり刈られていて、登城に何の支障もありません。あとは梅林の柵沿いにひたすら登って行くだけ…ではあるんですが、かなりの急坂で思ったより大変です。登城道がダメなら直登も辞さず、などと息巻いていましたが、直登せずに済んで良かった…。

登城口から約15分で北尾根の出曲輪に到達。北尾根を主郭部に向かうと鞍部の手前から西側に竪堀を落とし、鞍部の西辺には土塁が続いています。鞍部から少し登ったところに二重に堀切が設けられ、それぞれ両端で竪堀となって続いています。堀切西端の竪堀から西側には計6条の竪堀が連続し、先人の投稿では大いに見応えがありますが、現状は藪に覆われていて見づらい状態でした。連続竪堀の西端は西尾根を遮断する堀切になっていて、両端は竪堀となって落ちています。南端の竪堀の奥にも竪堀があり、こちらは主郭部からはるか下まで続いていました。西尾根の小曲輪群を探索した後は、北尾根付け根の堀切まで戻って東尾根に向かいます。

主郭部東面の踏み跡をたどって東尾根へ。東尾根の付け根は堀切と竪堀で断ち切り、東尾根にはいくつかの小曲輪が設けられています。眼下には南部川が流れ、こちらもかなりの急斜面です。なかなかの堅城ぶりですね。そして残るは主郭部のみ。主郭部は背丈より高いススキとイバラで覆い尽くされているそうなので、そんな中を往復はしたくないと先に支尾根の遺構をめぐりましたが、いよいよ覚悟を決めてススキの草原に突入するしかないようです(続く)。
 

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イオさんのリクエストに応えて投稿、そしてイオさんにお願い (2026/02/28 訪問)

 イオさん、リクエストをありがとうございます。次に投稿しようとしてたので、渡りに船と、投稿いたします。結論から言うと、登城道は問題ありません。が、城域はすすきと茨がぼうぼうです。
 皆さんが投稿しておられる登城口までも激細道でした。登城口から梅林との境の電気柵まで、そして、電気柵沿いもまだ藪ってません。ピークに至って、「着いた」と思ったら、まだなんですね。出丸かもとか。鞍部を超えると、大きな堀切があって、本格的な城域です。
 城域は、背丈よりも高いすすきと、それに紛れ込む茨とで、なかなかです。城びと先人のレポートでは、すすきが刈り取られていますが、私が行ったときは刈り取られてませんでした。郭の段々は認識でき、山城のボリューム感はひしひしと感じるのですが、すすきをかき分けて登るのに気を取られて、写真を撮るのを忘れてました。イオさんに現状の写真を撮って投稿をお願いしたい。

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昌官忠

(東海&関西)遠征17日目:平須賀城 (2025/05/31 訪問)

鶴ヶ城から車で30分くらいで、平須賀城跡説明板付近路駐(33.816656、135.333496)に路駐しました。

築城年代は定かではないようですが、室町時代に野辺弾正忠忠房によって築かれたと云われています。 野辺氏は源経基の子満快の後裔だそうです。
忠房の後は光快ー光房ー春弘と続き、光房は、1562年(永禄5年)の若江の戦いで討死し、その後を春弘が継ぎ、幡山城(要害城)を築き移ったようです。 
平須賀城はその後も機能していたようですが、1582年(天正10年)春弘が討死し、弟の春和が継ぎますが、同年、湯川氏に離反を企て、湯川氏に攻められ、春和は逃亡して野辺氏の紀州での領有を失ったようです。

当初は主郭まで行く予定でしたが、予定時間を大幅にオーバしていましたので、説明板の写真を撮って撤退しました。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=峰山城へ向かいました。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 野辺忠房
築城年 室町時代
主な城主 野辺氏
遺構 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)、堅堀
住所 和歌山県日高郡みなべ町西本庄