改めて見直してみると、最高所の郭を中心に、西・南・北東の三方に土橋(スロープ)が伸びていて、その先に堀切や郭などの遺構を備えています。
城址全体の規模はそれなりに大きいのですが、その割には最高所の郭が狭い、主郭ではないのかもしれないが、重要な中継地であることは間違いないのではないか。
城址の各所に様々な堀切を用いており、南側から最高所(仮に主郭として)に向かう途中に、中に畝を備えた堀があったと思う。整備があまりされていないため、藪化が進み判別しにくいが、そのように見えた。是非、自分で見て判断して欲しいです。
西側に降りていく途中、堀切が急だったため滑り降りたのだが、ストックが真ん中の弱い部分で折れてしまった。そのため、この日はストック一本で乗り切ったのだが、砂礫を含んでいて滑りやすい城が幾つか有ったので結構難儀した。やはり、予備が一本必要だ。
ストックが折れたので、そろそろ引き揚げようと思い、北→東→南と迂回して、南の登城口に戻ろうと思ったのだが、そもまま北東の尾根の遺稿に入りこんでしまった。そりゃそうだわな、と思うのだが暑さであまり頭が働いていなかったようだ。
北東の尾根の北側を削って郭を設けて有り、尾根はそのまま土橋と土塁を兼ねたスロープとなって先に続いている。なかなか面白い遺構が見れたので、これも怪我の功名というやつだ。
まだ写真が残っているので、この続きは無印(フリー)で投稿させていただきます。高尾城で検索をかけると、出城の投稿も出てくるので、併せて訪問してもらえると、ありがた山ですわ。
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