さかもとじょう

坂本城

滋賀県大津市


旧国名 : 近江

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本丸石垣(根石)
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T-Shionoya

坂本城 ロマンチックな琵琶湖の石垣 (2023/12/22 訪問)

湖中に沈む石垣が稀に姿を現す滋賀県大津市の坂本城。
その渇水期限定の石垣観賞を狙い、昨年12月に訪問。

西近江路が通る琵琶湖の南湖西岸、比叡山延暦寺の門前町や三津浜の湊が存在したエリア。
琵琶湖沿いの本丸を要に、二ノ丸と三ノ丸を扇状に配置。
大小2つの瓦葺き天守や船着き場を備え、安土城に次ぐ名城であったと伝わる城。

安土城より前の1571年に明智光秀が築城するも、1582年の本能寺の変・山崎の戦いの後に光秀家臣が火を放ち焼失。
その後、丹羽長秀や浅野長政らが城主となり、1586年ごろ大津城へ移転となりました。

現在は、本丸南の城外とされる部分に坂本城址公園があり、城域の大方は住宅地。
普段は湖中に沈む本丸石垣が数少ない遺構の城跡。

訪問時、琵琶湖の水位は-73cm。
畦道を歩き小さな浜へ下りると、L字に並ぶロマンチックな石の列。引き波の瞬間に見えるのは流木なのか胴木なのか?
二ノ丸エリアも散策した後、ひたすら歩き移築門のある聖衆来迎寺と西教寺へ。
トータル2時間半越えの、私の城郭巡りの168城目。

さて、昨年までは本丸以外の城郭遺構が出ない城でしたが、今月ついに三ノ丸と推定される石垣が出土。
ワクワクさせられる坂本城です。

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イオ

三の丸石垣保存へ

昨日来 報じられているとおり、坂本城の三の丸跡から検出した石垣や堀が保存される方向で大津市と事業者が大筋合意したとのことで、先日見学した遺構をこれからも見られると思うと、城好き・歴史好きとして本当に嬉しいニュースでした。事業者さんには様々な葛藤もあったでしょうが、かけがえのない文化財を後世に伝える決断をしていただいたことにはひたすら感謝しかありません。今後は追加調査をして国史跡指定を目指すとのことで、今後の保存整備を楽しみにしています。

それと、先日の発掘調査現地説明会の資料が大津市文化財保護課にUPされていますので、こちらもどうぞ。
https://www.city.otsu.lg.jp/soshiki/010/2406/g/1501725900306.html
 

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枡形ともき

坂本城現地説明会 (2024/02/10 訪問)

画像1は坂本城三の丸の堀と石垣だそうです。
堀は水堀で石積み遺構は舟入だそうです。
舟入は高瀬舟くらいの船が出入りするくらいらしいです。
個人的にかなりボリュームもあったので埋めずに残してほしいです。
PS根来寺で森可成(森蘭丸の父)のお墓に行きました。

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イオ

湖中に残る石垣 (2024/02/11 訪問)

発掘調査現地説明会に続いては、湖中に残る本丸石垣を見に行きました。前回登城時は湖中に沈んでいて見られず、2年前の渇水時には来られなかったことから、今度こそは! と念じつつも、2月に入って急速に水位が回復していると聞き、やきもきしていましたが……何とか間に合いました(発掘調査現地説明会がなければ、3月予定の高島市の城めぐりの前に立ち寄るつもりでした)。渇水は1月がピークだったようで、肉球さんの投稿された写真と見比べると、石垣の東辺はほぼ沈んでしまっていますが、南辺ははっきりと確認できましたし、念願を果たすことができてまずは満足です。

せっかくなので本丸周辺もぶらぶらと。「麒麟がくる」放送中の前回は週末には公開されていた本丸跡(企業敷地)も、さすがに今回は閉ざされていました。本丸跡道向かいの明智塚に手を合わせて東南寺へ。この日も東南寺の門には柵がされていましたが、柵越しに覗く境内の石仏群が明智一族の首塚(供養塔とも)のようです。そして東南寺の西側の城址碑で坂本城跡の見どころをひとめぐり。…早っ!(笑)

数年に一度の湖中に残る石垣を見ることができてさえ、こんなに見どころが限られているんですから、やっぱり今回の発掘調査の成果は何とか残していただきたいな、と改めて実感しました。
 

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城郭情報

分類・構造 平城、水城
天守構造 連結式[階層不明/1572年築/焼失(落城)]
築城主 明智光秀
築城年 元亀2年(1571)
主な改修者 丹羽長秀、浅野長政
主な城主 明智氏、丹羽氏、杉原氏、浅野氏
廃城年 天正14年(1586)
遺構 (発掘調査:石垣、井戸、暗渠、建物礎石)
再建造物 石碑、説明板
住所 滋賀県大津市下阪本3
問い合わせ先 大津市歴史博物館
問い合わせ先電話番号 077-521-2100