さかもとじょう

坂本城

滋賀県大津市


旧国名 : 近江

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①石垣は満潮でみえません1
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昌官忠

(東海&関西)遠征6日目:坂本城 (2025/05/20 訪問)

ホテル最寄りのびわ湖浜大津駅から電車で松ノ馬場駅に着きました。
松ノ馬場駅から徒歩15分ちょっとで、本丸跡石垣付近(35.059633、135.879786)に着き、その後、坂本城址公園の光秀像付近(35.058450、135.878787)に向かいました。

坂本城は今回2回目の攻城です。1回目は2019年9月2日に来ました。
前回は坂本城の移築門(西教寺総門)を中心に攻城しましたので、今回は本丸跡石垣を目的に攻城しました。

坂本城址公園の北側に「坂本城本丸跡」の石碑が立っています。
この本丸跡にある施設の湖側に本丸石垣が残っていますが、琵琶湖が渇水で水位が下がったときにしか見ることができません。
自分はみることができませんでした。
電車の時間が迫っていたので早めに撤退し、攻城時間は15分くらいでした。
次の攻城先=打下城を攻城する為、比叡山坂本駅から電車でに近江高島駅に向かいました。
比叡山坂本駅から近江高島駅に向かうJR湖西線が、京都方面の駅で線路に人が進入した影響で、20分遅れでした。(事前にわかっていたら、ゆっくり坂本城が見学できたのについてません)

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城の石垣発掘以後の坂本城 (2025/06/08 訪問)

 自宅近くのあちこちの掲示板に 坂本城を考える会・下坂本学区文化協会共催の講演会「城の石垣発掘以後の坂本城、講師:大津市文化財保護課 岡田有矢氏」のポスターが! 岡田さんは、坂本城三の丸石垣発掘の現地説明会でも的確な受け答えで城びとメンバーにも好評でしたね。講演会は、先着約百名を限度とします、とあるので、14時からの講演開始に対して、12時前に行きました(そんなに頑張らんでも入れました)。
 講演は、13時からの坂本城を考える会の総会の後の催しもの。会員でなくても総会会場に入れたので、興味深い話を聞けました。
坂本城を考える会は創立20年目を迎える。メンバー+αがボランティアガイドをしており、昨年度は、963人を案内した。御城印売り上げは4万5千円だったなどなど。ボランティアガイドの申し込み先をネットで探したがわかりにくかったです。比叡山坂本観光ボランティアガイドの会とは別団体です。
 岡田さんの講演はとても面白かったです。城びとの皆さんが気になっている、石垣の展示(現在は埋め戻されている)については、「保存のため、埋め戻しは必須だった」、「国に対して「史跡」登録を申請しており、今月中に回答がある」「埋蔵文化財包蔵地から史跡に格上げされたら、大津市として活用を本格的に検討する」とのことでした。
 講演の中で私の一番の収穫は、縄張りが見直されたこととその根拠が理解できたこと。添付の地図をご覧ください、下坂本3とあるあたりの通りや街並みの方向とその右側(東側)の街並みの方向が違います。これが、城域の名残であるとのこと。以前は、微妙にカーブした道が二の丸と三の丸の間の堀跡とされていましたが、今回の見直しで、堀はもう少し東側で直線的であったであろうと考察されています。見直し後の縄張り図のスライドを撮影しましたが、掲載はやめときます。
 調べると、岡田さんは、最近も西教寺で講演されているなど、講演を聞く機会はけっこうありそうです。

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トク

あさん、コメントありがとうございます

なるほど言われてみれば中国の石像は確かにあんな感じですね。丹波亀山城の明智光秀と見比べてついあんなふうに言ってしまいました(写真①)。

保存方法の例ですが、同じ場所に保存するなら、例えば指月伏見城では、マンション工事中にこんな物が出てきましたと、開発業者や住民の好意で、マンションの一角に発掘当時の写真と見つかった石垣の一部が展示されています(写真②)。

また住民の反対で、どうしてもその場所に保存できないというのであれば、いっそ坂本城址公園に移築再現し、三の丸から出てきた光秀の石垣をここに移築しました、と発掘写真と解説を付けて保存するという方法もあります。

この他にもアイデアを出し合えば、まだいろいろと策はあると思うので、完全でなくてもいいので何とか一部でも見える形で残してほしい、少なくとも永遠に埋め戻したままというのだけはやめてほしいなという気がします。

P.S そういえば坂本城址公園の前に、なぜか博多ラーメンの店がオープンしていました。ぜひ御賞味あれ!(笑)。
 

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トク

三の丸石垣の件

しんちゃん、POYO君わざわざ市役所まで問い合わせていただいたようで、ありがとうございました。まさか埋め戻されるとは思ってなかったので・・・ちょっとショックですね~。開発業者の方も保存する事で賞賛を浴び、大津市も日本城郭協会から特別表彰まで受けた、あのフィーバーは一体何だったのか? そしてなぜそうなったのか? 私には経緯がわからないのでモヤモヤという感じです。解決に時間がかかるので保存のためにいったん埋め戻しただけならまだいいですが、それともすでに土地購入者の要望で住宅が建てられていたら大変ですね。しかしよく考えてみれば、近隣住人からすればいい迷惑だと確かに思います。閑静だった住宅街に人がぞろぞろやって来ては覗かれ大騒ぎされて、これでは落ち着いて暮らす事もできない。近隣住民の猛反対なのでしょうか? 大津市はお願いする立場で強制はできないので、文化財振興課の方は、我々以上に本当は辛いのかもしれませんね。しかし粘り強く交渉される事を期待して、そしていつかは保存公開される事を願って、ここは静かに見守りたいと思います。

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城郭情報

分類・構造 平城、水城
天守構造 連結式[階層不明/1572年築/焼失(落城)]
築城主 明智光秀
築城年 元亀2年(1571)
主な改修者 丹羽長秀、浅野長政
主な城主 明智氏、丹羽氏、杉原氏、浅野氏
廃城年 天正14年(1586)
遺構 (発掘調査:石垣、井戸、暗渠、建物礎石)
再建造物 石碑、説明板
住所 滋賀県大津市下阪本3
問い合わせ先 大津市歴史博物館
問い合わせ先電話番号 077-521-2100