さかもとじょう

坂本城

滋賀県大津市


旧国名 : 近江

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明智光秀 buchi

明智光秀が築城した有名な城

坂本城は明智光秀が築城した水城です。この坂本城は信長の命で行った比叡山の焼き打ちの褒美としてもらった領地に建てた城です。坂本城は琵琶湖の上に建っていたそうです。坂本城は明智光秀の家臣である明智秀満によって焼かれてなくなってしまいました。実物の天守が見たかったー😭
では何故焼かれてしまったのかというと、山崎の戦いの後、坂本城が羽柴軍に包囲され、明智秀満と明智光秀の妻の煕子と一緒に坂本城で自殺するために焼かれたとされています。

近くには西教寺という光秀一族の墓があります。

ちなみに皆さんこの坂本城の名前から誰か想像がつきませんか?
実は坂本龍馬の名前はこの城が由来とされているんです。このことにより、明智光秀は坂本龍馬の先祖であるのではないかとも考えられています。

また、坂本城の近くに天海の墓があります。天海というのは明智光秀の生存説で有名な僧です。
その生存説についてですが、明智光秀は山崎の戦いの後、比叡山に逃げ込み、天海になって、徳川家康の政治に協力し、関ヶ原の戦いで豊臣家を一緒に滅ぼしたという説があります。

坂本城には明智光秀像があります。ぜひ行ってみてください!

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ミッピのパパ

琵琶湖湖畔の眺望 (2021/02/22 訪問)

平日にもかかわらず、「麒麟が来る」人気であろうか 公園の駐車場(10台程度)は満車だった。

城跡として直接見られる痕跡はなく、”ここに昔、明智光秀の坂本城がありました。”
という説明と、何でこのデザインなんだろう?と思わせる明智光秀像が鎮座していた。

光秀も見ていただろう琵琶湖湖畔のさわやかな風景に癒された。

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イオ

坂本の町史跡めぐり (2020/10/24 訪問)

(前回からの続き)

坂本城下は穴太衆の石積みの町として知られますが、町並みを楽しみながら散策すると、坂本城や明智光秀ゆかりの史跡があちこちに見られます。

天台真盛宗総本山・西教寺は比叡山焼き討ちにより全焼しましたが、光秀が坂本城の陣屋を寄進して大本坊を再建するなど復興に努めたことから、大本坊(現在の建物は昭和に改築されたもの)には光秀と妻・熙子の位牌が安置され、境内には光秀と明智一族、熙子の墓、妻木一族(熙子の実家)の供養塔が祀られています。また、書院の隣には明智光秀公資料室が設けられ、光秀が寄進した坂本城の陣鐘(非公開)、戦死した家臣を弔う光秀直筆の供養米寄進状、光秀所持と伝わる硯箱、明智秀満の湖上渡りの際の鞍と鐙など、ゆかりの品が収蔵されています。その他、総門は坂本城から、客殿は伏見城からの移築されたもので、客殿庭園は小堀遠州の作庭によるもの。大河ドラマ放送期間は西教寺内の禅明坊光秀館でびわ湖大津「麒麟がくる」展と近江の光秀ものがたり展が同時開催されるなど、見どころ盛り沢山です。

聖衆来迎寺には坂本城の移築門のほか、宇佐山城主・森可成の墓があります。志賀の陣の際にこの地で討死した森可成を敵方にあたる天台宗・聖衆来迎寺の住職が弔ったことから、後の比叡山焼き討ちの際にもこの寺だけは被害を免れたと伝えられています。

また、明智寺とも呼ばれる盛安寺は穴太積みの石垣が見事なお寺で、境内には光秀の供養塔や位牌が祀られ(未確認)、光秀ゆかりの陣太鼓が伝えられている……んですが、陣太鼓は来年2月まで大津市歴史博物館で展示されていて、この日は目にすることができませんでした。

他にも、四ッ谷湖岸緑地から県道沿いに北に徒歩1分の志津ケ池は、光秀が坂本城で茶会を催したときに使用した霊水と伝わるなど、坂本の町を歩くと、光秀が確かにこの地にいたことを実感させられます。
 

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イオ

湖中に沈む石垣 (2020/10/24 訪問)

比叡山焼き討ちの翌年、比叡山への抑えとして、また琵琶湖水運の拠点として明智光秀が築いた城で、安土城に先がけて天主を擁した先進的な城でしたが、山崎の戦いでの光秀の敗報を受けて安土城から坂本城に入った明智秀満が堀秀政の包囲を受ける中、天主に火を放って自刃。豪壮華麗と評された城も灰燼に帰しました。その後、丹羽長秀が再建しましたが、浅野長吉(長政)が城主の時に大津城を築いて移転したことにより廃城となったようです。

遺構としては、平成6年の琵琶湖大渇水の際に確認された本丸の石垣があるくらいですが、この日は前日が雨だったこともあり、湖中に沈んでいて見えませんでした。本丸跡は普段は非公開ながら、大河ドラマ放送期間(来年2月7日まで)の土日祝は一般公開されていますので、この機会にぜひ。

それ以外にも周辺には坂本城の痕跡が随所に見られ、本丸跡から北西に徒歩1分行くと落城時に宝物を埋めたとも、明智一族の墓所とも伝わる明智塚があり、本丸跡から西に徒歩2分の東南寺にも落城時の死者の供養塔があり(未確認)、東南寺から西に徒歩1分行くと坂本城址の石碑と説明板があります。石碑から北に徒歩5分の両社神社の北西部には外堀の名残の水路が見られます。また、本丸跡から北北東に約1.5kmの聖衆来迎寺、北北西に約2.4kmの西教寺にはそれぞれ坂本城からの移築門が残されています。

城域からは少し南に外れますが、坂本城址公園には光秀の石像と曲の流れる歌碑「光秀(おとこ)の意地」があります。どちらも何というか……独特の味わいがありますよね(笑) 坂本城址公園ではボランティアガイドの方に丁寧にご説明いただき、下調べである程度わかっているつもりでしたが、現地で方向を指し示しながらの説明でより理解を深めることができました。ありがとうございました。

(次回・城下町編に続く)
 

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城郭情報

分類・構造 平城、水城
天守構造 連結式[階層不明/1572年築/焼失(落城)]
築城主 明智光秀
築城年 元亀2年(1571)
主な改修者 丹羽長秀、浅野長政
主な城主 明智氏、丹羽氏、杉原氏、浅野氏
廃城年 天正14年(1586)
遺構 (発掘調査:石垣、井戸、暗渠、建物礎石)
再建造物 石碑、説明板
住所 滋賀県大津市下阪本3
問い合わせ先 大津市歴史博物館
問い合わせ先電話番号 077-521-2100