明智光秀公の築いた城、安土城に次ぐ規模の城であったようですが、城の遺構は殆ど残っていません。駅からの場合、徒歩で30分ぐらいかかるので観光案内所でレンタサイクルを借りるのがオススメです。
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2022/10/06 14:25
2022/08/15 20:29
2022/05/24 13:28
明智光秀「最期の30日」を辿る 【第2回】坂本城 (2022/05/07 訪問)
(第1回「安土城」からの続きです)
天正10年(1582年)5月17日、饗応役を解かれた光秀はその日のうちに坂本城へ戻り出陣の準備に取りかかります。そして丹波衆を中心とした軍勢に、明智秀満(左馬助)、斎藤利三、藤田行政(伝吾)の軍勢を加え、総勢を亀山城に集めるよう指示を出し、5月26日には自らも亀山城に向かいました。
今回は、坂本城跡公園(写真①)と実際に坂本城が建っていた場所を訪ねてきました。公園から北に150m行った海岸で本丸石垣の一部跡が見られる場所があるとの事で、そこは私有地の畑の中でしたが通れるようなので行ってみました。しかし、運悪く石垣は湖水に沈んでいて見えませんでした(😩写真②③)。
坂本城は安土城より先に日本で初めて石垣を使った三重の豪壮華麗な城であったとルイスフロイスの記録にあります。はたしてどんな城だったのでしょうか? こんな城だったよとのポスターが公園にあったので撮ってきました(写真⑥⑦)。また、焼け落ちる時に、光秀が大切にしていた脇差を秀吉に取られぬよう秀満がここに埋めたとされる明智塚が道路を挟んだ私有地にありました(写真④)。
私は実際に坂本城の本丸跡に立ち、そこから安土城があった方角を眺めてみました(写真⑤)。確かにここからは安土まで見渡す事ができます。光秀は出立までの9日間、ここ坂本城の天守から、当時あの場所にあった朱と金色に輝いていた安土城の天主を、どのような思いで見つめ、どのような葛藤を抱えていたのでしょうか?🤔
【余談】
この後光秀が、途中愛宕権現に参拝し三度おみくじを引いて三度とも凶を引き当てた話は有名なので、私も愛宕権現まで行ってみようかと思いましたが、大変な山の中のようなので、行けば時間が足りなくなってしまうと思い今回は断念しました。よって光秀に代わり一句、
「時(土岐)は今、雨(天)が下し(降)る 五月哉(かな)」😊
(第3回「丹波亀山城」へ続きます)
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分類・構造 | 平城、水城 |
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天守構造 | 連結式[階層不明/1572年築/焼失(落城)] |
築城主 | 明智光秀 |
築城年 | 元亀2年(1571) |
主な改修者 | 丹羽長秀、浅野長政 |
主な城主 | 明智氏、丹羽氏、杉原氏、浅野氏 |
廃城年 | 天正14年(1586) |
遺構 | (発掘調査:石垣、井戸、暗渠、建物礎石) |
再建造物 | 石碑、説明板 |
住所 | 滋賀県大津市下阪本3 |
問い合わせ先 | 大津市歴史博物館 |
問い合わせ先電話番号 | 077-521-2100 |