ひのなかのじょう

日野中野城

滋賀県蒲生郡

別名 : 中野城、(仁正寺陣屋)
旧国名 : 近江

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①城跡碑と堀切と石垣と橋
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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)17日目:日野中野城 (2024/10/08 訪問)

仁正寺陣屋(城びと未登録 滋賀県日野町)から歩いてすぐ、城跡碑と堀切と石垣と橋が目に入りました。

日野城は蒲生氏郷の祖父、蒲生定秀が1533年(天文2年)から3年ほどかけて日野の地に本格的に築城したそうです。
定秀以降の蒲生氏の本城で、氏郷はこの城で生まれ、若くして戦国武将の器量を備えていました。
蒲生氏は蒲生賢秀の代に織田信長の臣下となり、1582年(天正10年)本能寺の変が起こった時には、賢秀とその子蒲生氏郷は織田信長の妻妾一族をこの城に迎え入れました。
1584年(天正12年)氏郷は伊勢国松ヶ島12万石に移封し、その後田中吉政、長束正家と城代が入り、1600年(慶長5年)関ヶ原の戦い以降廃城となりました。
1620年(元和6年)市橋長政が中野城跡の一部に陣屋を構え仁正寺藩の陣屋として明治維新まで続いたそうです。

日野川ダム建設に伴い、本丸以南が破壊されたようですが、涼橋神社と稲荷神社の先に横堀や土橋が残っており、主郭部の近くには、「蒲生氏郷公産湯の井戸」があります。
攻城時間は30分くらいでした。次の攻城先=佐久良城を目指す為、大窪北バス停から日野町営バスで西佐久良バス停に向かいました。

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仁正寺陣屋 (2023/09/02 訪問)

 日野中野城に(仁正寺陣屋)と書かれていたので、ここで投稿します。
元和6年(1620年)、市橋長政が2万石を与えられ、かつての日野城跡に仁正寺陣屋を設置しました。日野中野城の東側に石碑と説明板があります。その近くに米蔵があり、街の中には移築門などがありました。

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蒲生氏郷 (2023/09/02 訪問)

 蒲生氏郷生誕の城としてしられています。土塁や堀の一部が残っています。石垣もありますが、説明板を読むと江戸時代のものと書かれていました。近くに蒲生氏郷公産湯の井戸があります。
近くの馬見岡錦向神社の参道に「伝若松の森址」という説明板があります。そこには「天正18年、蒲生氏郷が会津黒川城主に封じられた時黒川の名を故郷日野城の近くにあった若松の森の名にちなんで、会津黒川を会津若松の名称に改めたと伝えられる。その若松の森とは、ここ綿向神社の参道を覆っていた森であったという。、、、」とありました。江戸時代には枯れてしまい民家が建っています。

近江八幡駅よりバスに乗り日野川ダム口バス停下車。バス停から徒歩5分くらいで登城口に行くことができます。

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小荷駄

日野城跡 (2022/07/22 訪問)

日野駅から徒歩一時間位でした。駐車場とトイレは有りました。城跡に行く前に日野まちかど感応館でパンフレットを頂いてから城跡に向かいました。遺構はダム建設によりあまり残されていないけど仁正寺陣屋跡と合わせて一時間以上は散策をしてきました。城跡の入口に有る石碑の裏側にこれより西に十歩の所に大手門跡の文字が刻まれているのを見つけた時は今は茶畑ですがそこにはどんな門があったのか?と想像はつきませんでした。日野駅から往復二時間は歩きましたけど日野商人街道をあれこれ想像しながら楽しく散策出来ました。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 蒲生定秀
築城年 天文2年(1533)
主な城主 蒲生氏、田中氏、長束氏
廃城年 慶長5年(1600)
遺構 曲輪、石垣、横堀
住所 滋賀県蒲生郡日野町西大路
問い合わせ先 日野観光協会
問い合わせ先電話番号 0748-52-6577