関ヶ原の合戦の際、東軍に加わった中村一氏の嫡子・一忠はその功により伯耆国17万5千石を賜り近世米子城を築いたとされています。麓に三の丸、中腹に二の丸、頂部に本丸が築かれ大天守(四重)と四重櫓がそびえ立つ壮観な眺めであっただろうと思います。
完全な総石垣の城で麓の枡形から、しっかりとした石垣で築かれています。三の丸・二の丸と訪れ、内膳丸を経て本丸に向かいます。本丸一帯はかなりの広さを持ち建造物が全くない分、周囲の眺望は抜群です。とにかく人が多く、顔が写ってなければいいやで掲載しております。市街地から中海・大山と周囲を良く見渡せ、目の良い御仁なら日本海まで見通すことが出来るかもしれません。
かつての巨大建築物が失われたのは残念ですが、頂部一帯の解放感は格別のものが有ります。ただ石垣から落ちると危ないので昼寝はお勧めできません。
+ 続きを読む