続日本100名城

よなごじょう

米子城

鳥取県米子市

別名 : 久米城、湊山金城、湊山城
旧国名 : 伯耆

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米子城
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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征8日目:米子城 (2026/05/18 訪問)

宿泊先のホテルの朝食前に、飯山城(城びと未登録 鳥取県米子市)と米子城の攻城と米子駅周辺を散策しました。
飯山城(城びと未登録 鳥取県米子市)から徒歩10分くらいで、感応寺入口(35.422969、133.328509)に着きました。

浜田城は今回2回目の攻城です。1回目は2019年11月07日に来ました。
前回、湊山に登り立派な石垣と眺望を楽しみました。
今回は感応寺にある米子城移築門と感応寺南側の愛宕山にある伯耆米子長尾家墓所と伯耆米子藩主中村一忠公の墓のお参りに来ました。

感応寺は鳥取県米子市砥園町に境内を構えている日蓮宗の寺院です。感応寺の創建は1600年(慶長5年)中村一忠が日長上人を招いて開いたのが始まりと伝えられています。
日長上人は日向上人を開祖、日朝上人を2世、自らを3世として寺観を整え中村一忠の菩提寺として庇護されました。
1609年(慶長14年)に一忠が20歳の若さで死去すると垂井勧解由、服部若狭の2人が殉死し3人が境内に葬られました。
江戸時代に入ると徳川家康の側室である養珠院(お万の方)が日蓮宗(本山:身延山久遠寺・山梨県身延町)に帰依したことで、徳川頼宣(初代紀州藩主:養珠院の長男・家康の10男)が紀州藩にも感応寺を創建した為、静岡、和歌山と共に日本法華三感応寺に数えられました。

感応寺山門は1863年(文久3年)の火災で類焼しなかった唯一の建物で一間一戸、入母屋、銅板葺、四脚楼門、上層部は真壁造り白漆喰仕上げ、花頭窓付、江戸時代末期に米子城の古材を再利用して建てられたと伝えられています。
感応寺境内には一忠の五輪塔が建立され、一忠と殉死した2人の家臣の木像が御影堂に安置していましたが、御影堂は1903年(明治42年)に朽ちた為、現在は本堂で祀られ、「中村一忠墓地(附:中村一忠主従木像三体)」として米子市指定史跡に指定されているそうです。
攻城時間は15分くらいでした。ホテルに戻る前に米子駅周辺の散策をしました。

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やま親父

石垣と眺望 (2026/05/29 訪問)

駅前のビジネスホテルから徒歩15分で城下へ、登り20分程度で天守へ、大山と中海の眺望が抜群でこの日もサンセットを狙って老若男女が登城してきた。石垣の保存状態もよく私にとっては全くの穴場城であった。

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ダイエティシャン

周辺観光 お菓子の寿城 (2026/04/10 訪問)

米子城近くの観光スポット【お菓子の壽城】
米子城の模倣天守閣があります。

5月後半、米子城跡では、【オレンジロード観測会】実施予定だそうで。詳細は米子城公式HPにて。

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城好き

米子城 (2026/05/02 訪問)

米子城に登城しました。
鯛の形をした石や猿の顔をした石などがあったり、かつては五重の天守と四重の副天守があったことがわかったり、驚きいっぱいの城でした。米子駅で米子うどん屋という店のソーキうどんを食べました。美味。「さばしゃぶ」が名物らしかったですが、昼間はやっとおらず、うどんにしました。

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城郭情報

城地種類 梯郭式平山城
築城年代 応仁・文明年間(1467〜1487)
築城者 山名宗之
主要城主 山名氏、尼子氏、吉川氏、中村氏、加藤氏、池田氏
文化財史跡区分 国史跡(米子城跡)
近年の主な復元・整備 吉川広家、中村一忠
天守の現況・形態 独立式望楼型[3重4階/1596年築/破却]、独立式望楼型[4重5階/1601年増/破却]
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、横堀、井戸
住所 鳥取県米子市久米町
問い合わせ先 米子市観光協会
問い合わせ先電話番号 0859-37-2311