宿泊先のホテルの朝食前に、飯山城(城びと未登録 鳥取県米子市)と米子城の攻城と米子駅周辺を散策しました。
飯山城(城びと未登録 鳥取県米子市)から徒歩10分くらいで、感応寺入口(35.422969、133.328509)に着きました。
浜田城は今回2回目の攻城です。1回目は2019年11月07日に来ました。
前回、湊山に登り立派な石垣と眺望を楽しみました。
今回は感応寺にある米子城移築門と感応寺南側の愛宕山にある伯耆米子長尾家墓所と伯耆米子藩主中村一忠公の墓のお参りに来ました。
感応寺は鳥取県米子市砥園町に境内を構えている日蓮宗の寺院です。感応寺の創建は1600年(慶長5年)中村一忠が日長上人を招いて開いたのが始まりと伝えられています。
日長上人は日向上人を開祖、日朝上人を2世、自らを3世として寺観を整え中村一忠の菩提寺として庇護されました。
1609年(慶長14年)に一忠が20歳の若さで死去すると垂井勧解由、服部若狭の2人が殉死し3人が境内に葬られました。
江戸時代に入ると徳川家康の側室である養珠院(お万の方)が日蓮宗(本山:身延山久遠寺・山梨県身延町)に帰依したことで、徳川頼宣(初代紀州藩主:養珠院の長男・家康の10男)が紀州藩にも感応寺を創建した為、静岡、和歌山と共に日本法華三感応寺に数えられました。
感応寺山門は1863年(文久3年)の火災で類焼しなかった唯一の建物で一間一戸、入母屋、銅板葺、四脚楼門、上層部は真壁造り白漆喰仕上げ、花頭窓付、江戸時代末期に米子城の古材を再利用して建てられたと伝えられています。
感応寺境内には一忠の五輪塔が建立され、一忠と殉死した2人の家臣の木像が御影堂に安置していましたが、御影堂は1903年(明治42年)に朽ちた為、現在は本堂で祀られ、「中村一忠墓地(附:中村一忠主従木像三体)」として米子市指定史跡に指定されているそうです。
攻城時間は15分くらいでした。ホテルに戻る前に米子駅周辺の散策をしました。
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