山麓にある山屋敷は山城側を除く三方向に土塁と堀を巡らしてあり、遺構がかなり残っています。
近江鉄道日野駅よりバスに乗り鎌掛バス停下車。バス停から約10分で登城口に行くことができます。
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2024/03/28 22:13
2024/03/28 22:00
まずは山城方面へ (2024/03/28 訪問)
蒲生氏郷の父賢秀が、この地で隠居し生涯を終えたと伝わる城です。尾根上に構築された山城と山麓の山屋敷と表示されている居館部分で構成されています。
山城は三方向に延びる尾根の上にあり、それぞれの尾根に曲輪が展開し堀切や土塁を見ることができます。伝二ノ丸跡から少し下ったところに石組井戸がありました。伝本丸跡等からの眺望はよく、遺構も思っていたより良好で散策を楽しむことができました。
山屋敷を進んで行くと伝大手道の案内があり山城へ行く道が整備されています。ただ自分は山屋敷入口付近の尾根を直登して山城へ向かいました。尾根筋に踏み跡があり勘違いしてしまいました。下山するときに正規のルートに気がついて山屋敷へ下りてきました。ただ尾根を登っても踏み跡があり、それほど登りにくいわけではありません。屏風岩の案内が立っている場所に出て、その付近で両方のルートが合流しています。その後も尾根を登りますが、鎖場が2カ所あり難所(それほどでもないかもしれませんが)となっています。
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2023/12/09 00:45
2022/03/27 19:51
鎌掛城 (2022/03/05 訪問)
【鎌掛城】
<駐車場他>正法寺駐車場
<交通手段>車
<見所>居館跡・曲輪・石組井戸
<感想>鎌掛城は1335年に中野左衛門尉清信が砦として築き、1502年頃、蒲生秀行が音羽城の支城として修築されたと伝えられています。蒲生氏郷の父蒲生賢秀が氏郷に家督を譲ったのち隠居した場所としても伝えられています。
麓の居館跡と山頂に詰城があり、居館跡は山側以外の3方を堀と土塁で囲んでいます。内部の削平地はきれいに残っており石積みが崩れたような跡もあって見応えがあります。
山城の方はなかなかの登山で国の天然記念物「鎌掛の屏風岩」の上を通ったり、城跡の物見岩と思われる固い岩盤の下から鎖を伝い登ったりして楽しいです。城跡は登った山頂に土塁付きの主郭があり、そこからV字状の尾根添いに曲輪が広がっています。V字のなかの谷の真ん中辺りに石組井戸があります。曲輪は広い段曲輪が広がっているようなのですが、かなり木々が鬱蒼としていて人が入り込める曲輪は数か所しかありません。
<満足度>◆◆◇
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分類・構造 | 山城 |
---|---|
築城主 | 中野清信 |
築城年 | 建武2年(1335) |
主な改修者 | 蒲生秀行 |
主な城主 | 中野氏、武村氏(蒲生氏家臣) |
遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀)、虎口、井戸 |
住所 | 滋賀県蒲生郡日野町鎌掛 |