原城は島原の乱の最期の戦場で、天草四郎を始め、多くのキリシタンが命を
落とした場所です。今でも多くの遺骸が眠っているらしく、城好き以外でも歴史に興味の
ある人なら一度は訪れてみたい場所だと思います。もともとは有馬貴純によって築かれ
有馬晴信によって近世城郭に整備されますが、一国一城令のあおりで廃城になっていました。
有明海に突き出た丘陵上に築かれ、海に面した本丸、二の丸、天草丸の南側は絶壁になっています。
城域は非常に広く、全体を見回ろうとすると2時間では足りません。本丸は北側と西側を石垣で
防御し、北には枡形と大きな空堀を備え、その先に広大な二の丸を備えます。さらに北東に三の丸、
本丸の西側には鳩山出丸と天草丸が配されています。
農民主体の一揆のイメージが強いので訪れてみると、その実が強固な防御力を備えた近世城郭で
あることに驚くかもしれません。13万ともいわれる幕府軍に対して、籠城する一揆勢は27000~37000
しかも半数は女・子供・老人などの非戦闘員でした。本丸が陥落する前日、広大な二の丸に幕府の大軍が
陣どり、本丸を包囲したそうです。登城時、二の丸から本丸を見やれば、決戦を前に荒ぶる幕府の
諸将の気分に浸れますが、逆に本丸から二の丸を見れば、明日に迫った確実な死を前にした
キリシタン達の絶望を感じることになります。
+ 続きを読む