なかのじんや

中野陣屋

長野県中野市

別名 : 中野県庁
旧国名 : 信濃

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中野陣屋・中野県庁記念館正面
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カズサン

初登城中野陣屋 (2023/06/19 訪問)

 飯山城再訪問し整備の進捗を確認し、西曲輪の整備、桜井戸の整備と徐々に進んでいる、まだまだこれからでしょうが、本丸城門、本丸二重櫓の復元整備を願いつつ下城して、まだ探訪していなかった中野陣屋を目指しました。
 中野陣屋は飯山城から直線で約13km程、千曲川沿いの国道117号線を南下、謙信公軍勢が越後の山々を越えて北信濃飯山から川中島へ進軍する姿を妄想して安全運転。

 駐車場:中野陣屋前広場公園の専用駐車場無料、トイレあり、県道358号線中町通りの西側に在ります。(36°44'43"N 138°22'19"E h=380m)

 駐車場南に大立看板が有り「中野陣屋・県庁所在地記念館入口」と、柳の通りを通って中野陣屋跡・中野県庁跡正面に到着、前には堀と石垣、橋、水路がある、敷地の堀沿いに中野陣屋・中野県庁跡の白い標柱と案内板、唐破風玄関横には中野陣屋旧跡石碑、旧中野県庁跡の石碑が有り、記念館は入場料無料、案内パンフレットを頂く、資料展示が有り天領中野陣屋の説明、中野県庁の説明、明治初めの中野騒動の説明と充実しています。
 二階は馬・馬具のコレクションと成って居ました。

 家に帰って振り返り、皆さんの投稿にある陣屋井戸、陣屋稲荷を見学して無いことに気付きました、案内板、パンフレット、皆さんの投稿に陣屋石垣、陣屋井戸、陣屋稲荷が遺構と載って居ましたのに、上面しか見てないのですね⁉
 

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朝田 辰兵衛

陣屋の井戸を見落とすな! (2023/05/03 訪問)

信州中野駅の東側になります。例の事件は,駅の西側で発生しました。
全然目立たず,案内もなく,見落としがちなのが「陣屋の井戸」です。鈴泉寺山門が飯山城移築門と伝わります。この,ほぼ向かいに「陣屋の井戸」があります。
この日は,井戸の至近距離に駐車車両があったため,いいアングルで撮影できませんでした…<泣>。

ホントかどうか不明ですが,「長野」は「中野」がなまって「長野」と呼称するようになったとのこと。
長野県内でも「長野」と呼ぶのはせいぜい北信濃エリア。他は「信州」とか「信濃」と呼称するのが一般的と,松本市内の友人が語っておりました。ご参考までに。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)4日目:中野陣屋 (2023/04/21 訪問)

高梨氏館から転戦。中野陣屋県庁記念館西側駐車場(36.744801、138.372594)に駐車しました。

1616年(元和2年)江戸幕府によって築かれました。 1724年(享保9年)には周辺の陣屋も中野陣屋の管轄に統合されました。
1868年(慶応4年)には大政奉還により陣屋は廃止され尾張藩取締所管轄となりました。
その後、中野県庁となるも暴動によって1870年(明治3年)に焼失し、県庁は長野町へ移り長野県となりあした。

中野陣屋跡には現在「中野陣屋県庁記念館」が建てられており、天領陣屋に関する展示場と一般の展示場を兼ねた施設で、無料で公開されているようですが、中に入ってません。
攻城時間は10分くらいでした。本日の城巡りはここがラストで宿泊先のホテルに向かいます。

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天領陣屋 (2022/11/19 訪問)

信州中野駅から徒歩10分くらいで、案内板等のある場所に行くことができます。井戸が残っています。

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城郭情報

分類・構造 陣屋
天守構造 なし
築城主 徳川幕府
築城年 元和2年(1616)
主な城主 松平氏、河野氏、徳川幕府(天領)
廃城年 慶応4年(1868)
遺構 石垣、井戸
指定文化財 県史跡(中野県庁(中野陣屋)跡)
再建造物 碑、説明板
住所 長野県中野市中央2-826他
問い合わせ先 中野市生涯学習課文化財係
問い合わせ先電話番号 0269-38-3112