にゅうやまじょう

入山城

和歌山県日高郡

別名 : 本丸
旧国名 : 紀伊

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①石積み
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昌官忠

(東海&関西)遠征16日目:入山城(本丸) (2025/05/30 訪問)

宿泊先のホテルの朝食前に、入山城を攻城しました。
入山城には城山と本丸がありますので別々に投稿します。次は入山城(本丸)です。
入山城(城山)から入山公民館に戻り、そこから徒歩5分くらいで、本丸登城口付近(33.904901、135.141112)に着きました。
そこから、民家車庫の庭先から登りました。

築城者は諸説があり、1522年(大永2年)阿波より日高地方に進攻した三好義長説と、羽柴秀長の家臣の青木勘兵衛一矩が天正年間(1573-92)に築城した説があるようです。
入山城本丸は館形式の城郭であり、詰城である城山とは馬場で繋がっていたそうです。

土塁と北側切岸には石積みが積まれていました。
城跡は竹や雑草に覆われ、よく確認できないのが残念です。
攻城時間は20分くらいでした。次の攻城先=亀山城を攻城する前に、ホテルに戻り朝食を食べました。

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昌官忠

(東海&関西)遠征16日目:入山城(城山) (2025/05/30 訪問)

宿泊先のホテルの朝食前に、入山城を攻城しました。
入山城には城山と本丸がありますので別々に投稿します。まずは入山城(城山)です。
ホテルから徒歩30分ちょっとで、入山公民館(33.906273、135.140293)に着き、説明板を確認しました。
その向かいより登り、階段を登り三宝寺(33.906273、135.140293)に着きました。
三宝寺山門脇の墓地の上から北に山道が付いています。

築城年代も築城者も定かではなく、諸説あるようです。
ひとつは、1522年(大永2年)阿波の三好義長が由良に上陸して小坊子城を築き、入山城はこの時に小坊子城の支城として築かれた説。
もうひとつは、天正年間(1573-92)に入山城(本丸)を築いた青木勘兵衛由定が、馬場を築いて入山城(城山)と入山城(本丸)結んで一連の城郭とした説。

城跡の遺構は、ともかくシダ類・雑木に覆われていて、よく確認できませんでした。
三宝寺に湯川直光公菩提寺石碑と墓、説明板がありました。
攻城時間は50分くらいでした。次の攻城先=入山城(本丸)へ徒歩で向かいました。

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しんちゃん

本丸と城山 (2025/03/30 訪問)

入山城は南側にある本丸と北にある城山の二つに分かれており、まずは本丸を攻めることにします。民家の先に案内板が付いているので南に進むと遺構が見えてきます。主要の郭の周囲に複数の扁平地を擁し、南に虎口が付いているようですが、藪化していて写真では少しわかりづらい。
城山の方に向かうと、やはりこちらも案内が付いている。尾根上を道にそって北上して行くと遺構が見えてくるので、北側から取りつく。最高所が主郭で土塁を備え、北にも土塁を備えた腰郭が付いている。「余呉クンのお城のホームページ」さんの縄張りを見ると南側に三重の堀切が有るようなのだが、藪化が進んでいて、良く見ることが出来ない。せっかくウェルカムの雰囲気が出ているので、じっくり遺構を楽しみたいのだけど・・。

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藪であることは変わらねど (2025/02/11 訪問)

 城びと投稿の最新は2022年2月のイオさん。藪で気力を削がれたとのこと。現在も城域の藪状態は変わらねど、道表示が追加されたような。本丸に入る道も埋もれてないで、道らしく維持されてました。
 イオさんレポートに従い、入山公民館に駐車して、登城開始。南北に伸びる尾根の南端に本丸、北の高まりに城山があります。公民館から登るとすぐに三宝寺があり、この裏の平坦な道を城山に向かっていきます。冬枯れでも結構な草ぼうぼう。夏場は難渋かも。
 城山に取り付いてすぐに、大きくて四角の切り立った穴があり、なんだこれは?と思いましたが、解説にある、防空壕なんですかね。
 三宝寺裏から本丸に行く道沿いに平削地や石積が続くので、もう本丸かと思いましたが、後世のものなんですね。本丸では、キンヤさんレポートの石積を見られました。虎口のスロープ側面の石積に見入りました。
 亀山城、入山城、本之脇城と同じルートで城巡りしてた滋賀県大津市のご同好の士の投稿を楽しみにしています。

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城郭情報

分類・構造 丘城
築城主 青木由定
築城年 天正年間(1573〜1592)
主な城主 青木由定
遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)
再建造物 説明板
住所 和歌山県日高郡美浜町和田