てどりじょう

手取城

和歌山県日高郡


旧国名 : 紀伊

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①本丸と二の丸間の石垣
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昌官忠

(東海&関西)遠征16日目:手取城 (2025/05/30 訪問)

吉原御坊(城びと未登録 和歌山県美浜町)から自転車で70分くらい走って、手取城登り口道標(33.899933、135.219844)に着きました。
またまたミニサイクル地獄です。アップダウンの道に疲労困ぱいです。移動距離の半分近くはミニサイクルを押して歩きました。

築城年代は定かではないようですが、南北朝時代に玉置大宣によって築かれたと云われています。
玉置氏は、南北朝時代に大和国から日高川の上流地域に鶴ヶ城を築き、さらに下流へ降って山崎城の川上兵衛則秋を攻略してこの地域を支配しました。
玉置直和の代には亀山城主・湯川直春の娘を妻に迎え、日高地方を二分する勢力となるまで拡大しました。
しかし、1585年(天正13年)羽柴秀吉による紀州征伐に際して秀吉に味方したため、秀吉に抵抗した湯川直春の軍勢に攻められ落城しました(坂ノ瀬の合戦)。
紀州が秀吉に平定されると直和と息子の永直は新たに紀伊の領主となった羽柴秀長に臣従し、所領は減ったとはいえ手取城主に返り咲きました。
1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いで西軍に加担したため、戦後、改易となってしまい、城は廃城となりました。

堀や曲輪の斜面に石垣が点在しており、大きな竪堀跡も確認できます。
また、本丸跡からは御坊市街や亀山城まで見渡すことができます。(写真は撮りましたが投稿枚数の都合で投稿は割愛しました)
攻城時間は60分くらいでした。本日の城巡りは、ここがラストです。
当初の予定では、この後、道成寺やいくつかの城びと未登録のお城を巡る予定でしたが、ミニサイクルでの移動に疲労困憊してしまい取りやめました。
本日の宿泊先に向かう為、丸仁商店(日高観光案内所 JR御坊駅前)で自転車を返却し、御坊駅から電車で紀伊田辺駅に向かいました。
歩行歩数=31613歩、歩行距離=22.1Kmです。

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いんげん丸虫

町指定史跡 (2024/12/28 訪問)

看板があり少し狭い道ですが3曲輪
まで行けます。
途中にも駐車スペースがあります。
実によく遺構が残ってますね。
山城好きの方には整備された箇所だけ
を見るのではなく、縄張り図を持って
ザクザク移動しながら散策するのを
お勧めします。

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小城小次郎

見どころには事欠かない (2023/11/04 訪問)

関ヶ原で西軍につき大坂の陣で大坂城に籠るという、運に見放されたような玉置城の本拠地。お城は地域No.1クラスに大きく、瓦も落ちてるし石垣の残欠もあるし大きな堀切もある。程よく草も刈られていて見どころには事欠かない。

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todo94

2012年3月11日以来の再訪 (2023/04/29 訪問)

前夜に家を出、SAで仮眠をとりつつ、和歌山へと向かいました。紀ノ川SAにて朝食をとってからの朝駆けです。前回訪れたのは東日本大震災からちょうど一年たった2012年3月11日。城攻めの後、帰路に就く車中で14:46のサイレンを聞きました。今回はゴールデンウイーク前半の4月下旬で樹木の葉が茂ってしまっていました。この城のように美しい土の城は冬枯れの季節に訪れるのがベストだと思います。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 玉置大宣
築城年 南北朝時代
主な城主 玉置氏
遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切、横堀(空堀)
指定文化財 町史跡
再建造物 石碑、説明板
住所 和歌山県日高郡日高川町和佐