英賀保駅から徒歩10分ちょっとで、公園付近(34.806760、134.639517)に着きました。
その後、本丸跡石碑前(34.802756、134.646977)に向かいました。
築城年代は定かではないようですが、室町時代初期に赤松祐尚によって築かれたと云われています。
祐尚は赤松則村の孫義則の子で、祐尚没後は姻族の三木通近が在城し、三木氏が代々城主となっています。
英賀城は三木氏の居城で、別所氏の三木城、小寺氏の御着城と並び播磨三大城のひとつと称されていました。
1576年(天正4年)に起きた「英賀合戦」では播磨進出を狙う毛利氏を黒田官兵衛がこの地で撃退しました。
1577年(天正5年)織田信長は羽柴秀吉に命じて播磨国に侵攻、1580年(天正8年)には三木城が落城、その後英賀城も落城しました。
城址近くに英賀神社が建立されています。
神社の北側にある英賀城跡公園に復元石塁があるはずですが、見なかったです。
本丸跡石碑付近に英賀城の説明板もありました。
攻城時間は50分くらいでした。次の攻城先=高砂城を目指す為、西飾磨駅から電車で高砂駅へ向かいました。
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