御着城を終わってNHKの大河ドラマ軍師官兵衛でも出た英賀城を鳥取帰省の途中によりましたm夢前川の河口に築城された城跡のようです、英賀神社、公園に石標識が有る、駐車は公園の脇道の交通量の少ない所に路駐。
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2019/07/29 21:50
2019/06/26 07:40
英賀本丸、英賀神社、大木之濠跡 (2019/06/22 訪問)
東は水尾川、西は夢前川、南は播磨灘に囲まれた地に築いた平城。
英賀の戦い天正5年(1577年)の地。
黒田官兵衛が率いる500の軍勢で、毛利5000の水軍を撃ち破った。
まずは英賀本丸跡(中浜町2丁目42)は、石碑の前に車を駐車して撮影する。
次に英賀神社(英賀宮町2丁目70)へ、神社入り口の路上に駐車して探索開始した。
此処は何度かきているので、まずは東側に回った。
本殿は工事中で柵の外から撮影する。
西側に回って行くと何とか工事柵内に入ることでき、土塁跡を撮影した。
工事が休みで良かった。次に英賀神社の外へ出る。
外から撮影し、隣の公園にある模擬石垣を写し、車に戻る。
最後は英賀五差路の大木之濠跡に向かう。
北側にあるカメラのキタムラに留めて濠跡へ行く。
石碑と北側を流れる水路(濠跡)を撮影した。
次回機会があれば、水路を巡って見たい。
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2018/10/27 20:34
本日、播州三大城制覇!(←遅) (2018/10/27 訪問)
行こうと思えば行けたのにも関わらず、なぜか今日まで行くことがなかった英賀城。
秀吉による播磨平定を語る上で欠かせない重要なお城ですね。
あ、ちなみに、播州三大城とは小寺氏の御着城、別所氏の三木城、そしてこの三木氏の英賀城なのです。
本丸跡の石碑近くにある復元縄張図をみる限りかなり広く感じますが、現地を訪れると改めてその広大さを実感できます。
港近くに本丸、二の丸などの主要な曲輪群を配置し、後になって城下西方に英賀御坊が築かれると寺内町としての要素もプラスされ、土塁と堀で町をぐるりと囲んで総構が築かれ、さながら巨大要塞都市の様相を呈していたようです。
石山本願寺や毛利方の関係がかなり強かったことから、どうしても織田方との対立は不可避であり、結果として三木城が陥落すると英賀城も次いで陥落してしまいました。
現在は大部分が住宅地となってしまい、本丸などの中央部はほとんど面影もありません。
唯一、英賀神社北側に僅かながら立派な土塁が残っています。前述の復元図から推測するに、英賀御坊の北側の総構の土塁の一部のようです。
その土塁の北側に公園があり、なぜか中央に模擬石垣がありました。何の説明文もありませんでした。前述の復元図から推測してみてもこの場所は総構の堀のあたりでは??…個人的には記念碑的なオブジェととらえてます(笑)。
あと、総構の城門の跡や英賀城関連の石碑が町のあちこちに立てられてるのはとてもありがたいですね。
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分類・構造 | 平城 |
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築城主 | 赤松祐尚 |
築城年 | 永享年間(1429〜1441) |
主な城主 | 赤松氏、三木氏 |
廃城年 | 天正8年(1580) |
遺構 | 土塁(英賀神社) |
再建造物 | 石碑、説明板、模擬石垣 |
住所 | 兵庫県姫路市飾磨区中浜町2 |
問い合わせ先 | 姫路市広報課 |
問い合わせ先電話番号 | 079-221-2073 |