大嶋城は長治元年(1104)海老名氏の祖・家季によって築かれたとされています。小山の上に主郭が有りますが山上まで車で行くことが出来、主郭には住吉神社が鎮座しています。
海老名七代景知は赤松円心に属し、弟の詮季(あきすえ)や同族の泰知(やすとも)とともに白旗城に籠って新田義貞の軍と戦ったとされています。そのすきに大嶋城は新田義貞に与したものによって焼き払われたと現地の案内板には記載があります。
主郭から階段が下に続いていて、郭や堀切などの遺構を確認することが出来ます。訪問時が夕方だったので林の中は暗く判別がしづらい状態です。城内には唯一の水源という「いぼとり井戸」と「海老名一族の墓」があります。
これが唯一の水源ということは城兵の皆さんは皆、お肌すべすべだったということですかね?
城内に「すべすべ井戸」とかあるといいですよね。そんな井戸があったら別名・美肌城とか呼ばれたりして。
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