わしづとりで

鷲津砦

愛知県名古屋市


旧国名 : 尾張

投稿する
鷲津砦阯の碑
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

T-Shionoya

急峻な丘の上の鷲津砦 (2025/04/12 訪問)

前回投稿した大高城とセットで訪れた愛知県名古屋市の鷲津砦。

大高城の北東約700m。大高城とは大高川で分断された標高30m少々の丘陵の西端部に位置し、蓬左文庫の古城図では主郭と馬出状の施設が描かれている砦。

織田信秀(信長の父)の死後、今川方に奪われた大高城奪還のため信長が築いた砦の1つで、飯尾定宗らが布陣したが桶狭間の決戦の朝に絶滅したとのこと。

現在は長寿寺裏の丘陵南面が国史跡に指定され鷲津砦公園となっているが、その北の住宅地が砦跡とする説が有力な模様。

実際に訪れると、丘の斜面がとにかく急峻なことが印象的。
公園中腹の横堀状遺構は、つくられた時代が定かでないが、大高城主を務めた水野氏の墓所への通路であったとのこと。
公園上部の石碑が立つ辺りは、緩やかに傾斜しており削平が甘い印象。

帰宅後に、宅地化された北側エリアが砦推定地だと知り、2週間後に再訪問した私の城郭巡りの203城目でした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

桶狭間の戦いの初戦にて全滅 (2024/03/30 訪問)

鷲津砦は今川方に奪取された大高城を牽制するために永禄2年に織田信長によって築かれました。丘陵上に築かれており、東西25m、南北27mの規模が有ったようです。永禄3年(1560)5月19日、桶狭間の戦いの初戦にて飯尾定宗らが籠りましたが、今川方の重臣朝比奈泰能に攻められ全滅したそうです。
周囲は市街地で、0系新幹線のような怪しいクマが存在する鷲津砦公園より砦への道が続いています。地味な砦跡ですが、歴史的な意義は大きく大高城、丸根砦とともに国の史跡に指定されています。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

とばつびしゃもん

桶狭間の戦いで全滅した砦2 (2024/02/11 訪問)

丸根砦から徒歩10分。日没が迫るなか15分の高速攻城。
丸根砦同様.遺構は確認できず。

+ 続きを読む

くうくう

国史跡になった桶狭間前哨戦があった砦

永禄2年(1559)織田信長が大高城を牽制するため築いた砦。翌永禄3年(1560)には飯尾定宗が立て籠もったが今川方の朝比奈泰能に攻められ全滅した。斜面の頂部に石碑がある。実は砦の位置は明確ではないという。斜面を歩くと堀のようなところ土塁のようなところがあり想像は膨らむが、真実はどうなのだろう。

+ 続きを読む

城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 織田信長
築城年 永禄2年(1559)
主な城主 織田秀敏・飯尾定宗・飯尾尚清(織田氏家臣)
廃城年 永禄3年(1560)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 国史跡(大高城跡 附丸根砦跡、鷲津砦跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 愛知県名古屋市緑区大高町字鷲津山
問い合わせ先 名古屋市緑区役所まちづくり推進室
問い合わせ先電話番号 052-625-3876