【感状山城】
<駐車場他>瓜生羅漢峡入口南北2箇所無料あり。
<交通手段>車
<見所>羅漢石仏・礎石建物跡・曲輪・石垣・大手門跡
<感想>この日のメイン、感状山城。以前から行ってみたかった城跡で、涼しくなって早速攻城した。感状山城は築城年代は定かではなく、鎌倉時代に瓜生左衛門尉によって築かれたとも、南北朝時代に赤松円心の三男赤松則祐によって築かれた説がある。南北朝時代、新田義貞の軍勢を赤松円心が白旗城、赤松則祐が感状山城に立て籠もり50余日にわたり足止めをした結果の功績により足利尊氏が,赤松則祐に感状を与えたことから感状山と呼ばれるようになったといわれている。総石垣による曲輪の構造で、戦国時代に宇喜多氏によって改修されたものではないかという説もあります。
羅漢峡入口の山道から少し進むと分岐右手方向が感状山城の登城口、直進少し進むと巨石群と瓜生羅漢石仏があります。先に羅漢石仏を見学、この石仏は誰がいつ彫ったものか定かではなく諸説あって謎めいている。江戸時代の書物には五百羅漢の記述があり、現存20体より沢山の石仏があったようです。石仏が安置されている周辺は巨石群になっていて、巨石の通路やうそつきが通ると崩れるといわれる巨石のトンネルがあります。お城とは関係ないかもしれないが、序盤から自分好みの巨石と石仏で興奮しました。お勧めです。
城跡の登山道約500mの半分はつづら折りの山道、整備された階段になっていて所々の曲がり部分に石垣遺構が見られます。半分途中に大手道方向と物見台~本曲輪方向に行く分岐に分かれますが、先に本曲輪に行く方を選びました。大手道・大手門跡はⅢ曲輪からも以前は行けたようですが、現在は通行止めになっていてこの分岐からしか行けませんので注意です。登山道の残り半分は岩場になっており少し体力必要です。登りきった尾根状にまず物見岩にたどり着きます。物見岩は巨石群の集まりになっていて、白旗城で見た物見岩の曲輪と似た光景でした。物見岩の先にⅢ曲輪と出曲輪があります。ここもかつては総石垣であったようで、今はわずかに曲輪の輪郭に石垣遺構が見られほとんどが崩落してしまったようです。Ⅲ曲輪から先は鉄パイプで組まれた足場の階段と滑落注意の細い岩場を100m程登ると南の曲輪群(連郭)の中間辺りに出ますので一旦最下段まで降りてみると良いかと思います。下から見上げる石垣は圧巻です。また最下段の曲輪には石垣の虎口遺構もあります。南の曲輪群はすべての曲輪の法面に石垣が施されていて見応えあります。南の曲輪群を登りきるとⅡ曲輪に出ます。Ⅱ曲輪も総石垣で東側は木々でよく分かりませんが西側は見事な石垣遺構が見られます。Ⅱ曲輪と繋がるような形で北側上段に本曲輪があります。本曲輪にも石垣が取巻いていたようで、今はだいぶ崩落して巨石石垣が一部残っています。本曲輪には礎石建物跡も見られます。本曲輪から北西方向に北の曲輪群(連郭)があります。ここは山林になっており、石垣遺構は肉眼では見られませんでした。落葉や土の堆積で隠れてしまっているのかもしれません。ここには倉庫跡の曲輪もあります。最後に下山途中で大手道・大手門跡を見に行った。だいぶ疲労していて行くかやめるか一瞬躊躇しましたが、見れる遺構はすべて見る意志で頑張って行きました。自分では一番の見所、推しポイントで先に見に行くと良いでしょう。大手道は法面から崩落したかなりの数の巨石で埋まっていますが、かつて大手道山側法面は大規模な石垣であったことが良く分かります。大手門跡は石段と両脇の石垣が明確に残る虎口跡で中世以前の雰囲気が漂う見所ある場所でした。
みたところ大規模な見事な造り、総石垣の城でやはり持城期間の長かった赤松氏が時間をかけて築いた石垣であったと思いたい。巨石・謎の石仏・山城の石垣と自分好みが3つも揃った大満足の城跡でした。続百名城に負けていない。
<満足度>◆◆◆
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