かんじょうさんじょう

感状山城

兵庫県相生市

別名 : 瓜生城
旧国名 : 播磨

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①二曲輪の石垣
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昌官忠

(東海&関西)遠征11日目:感状山城 (2025/05/25 訪問)

下土井城から徒歩60分ちょっとで、登山口(34.877607、134.446366)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、鎌倉時代に瓜生左衛門尉によって築かれたとも、南北朝時代に赤松円心の三男赤松則祐によって築かれたとも云われています。
感状山城の呼称は、1336年(建武3年)に赤松則祐が新田義貞の軍を防いだ功績により、足利尊氏から感状を賜ったことに由来するそうです。
ただし、現在も残る石垣は築城当時のものではなく、戦国時代にこの周辺を支配した宇喜多(浮田)氏の手によって改修されたものではないかと考えられています。

登山口付近に「羅漢の里石窯パン工房」、その前に感状山城案内所があり、パンフレット/ガイドマップが貰えます。
登山口から物見岩まで、ほぼ階段(途中から岩の階段ですが)です。
石垣が多用された見所の多い山城で、登山道も整備され見学しやすいですが、立入禁止区画が幾つかありました。
攻城時間は85分くらいでした。次の攻城先=大嶋城に行く為、瓜生東バス停から神姫バスで相生市民病院前バス停に向かいました。

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しんちゃん

南曲輪虎口 (2025/04/07 訪問)

主郭まで行った後はそこから西に降りて三郭に戻ってくるルートが有るようなのですが、道が良く解りません。こういう場合は、登ってきた道をそのまま引き返します。その前に南曲輪虎口の石垣を見に行くことに。
この辺りは、石垣が比較的良く残っていて、石段も残っています。この城址でもっとも見栄えする石垣だと思います。

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しんちゃん

南二郭・主郭の石垣 (2025/04/07 訪問)

さあ合戦が始まりました。目指せ初勝利! 暑くなって来ましたね~、しばらく山城攻めはしんどくなりそうです。
南二郭の南方には複数の郭があり、それぞれの郭が石垣の上に築かれています。尾根上に北上して行くと、南北に長い南二郭がありますが石垣は崩壊しつつあるため、西の帯郭から郭に上がります。郭内には礎石らしい石が散見され、さらに北上して行くと主郭にたどり着きます。主郭の石垣も崩壊しつつあるようですが、部分的に形状を留めています。主郭や南二郭の西側にも郭らしき場所があるようですが、はっきりと形状を確認することは出来ませんでした。このあとは南曲輪虎口を目指すことにしました。

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しんちゃん

赤松ファミリー (2025/04/07 訪問)

感状山城は鎌倉時代に瓜生左衛門尉によって築かれたとされています。南北朝の時代には播磨国守護・赤松氏一門の居城となり、赤松円心は足利尊氏の側につきました。尊氏が九州へ落ちのびた後、建武3年(1336)に新田義貞の大軍が播磨に侵攻してきます。
円心は白旗城に籠り、感状山城には円心の三男の赤松則祐が籠りました。則祐は義貞の家臣・徳力秀隆を退けることに成功し、尊氏から感状を賜ったことから感状山城の名が付いたとされています。
「羅漢の里」の近くに専用の駐車場があり、登城道も付いています。途中に「へたれガンダム」系の木造のオブジェが数体あり、訪問者を出迎えてくれます。しばらく登って行くと物見岩と言われる、岩がごろごろ転がっている見張台らしき郭があり、三郭らしき場所から東へ登って行くと主郭のある尾根にたどり着きます。主郭から二郭周辺の郭は周囲を石垣で固めてあり、見ごたえがあります。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 瓜生左衛門
築城年 鎌倉時代
主な改修者 赤松氏時代
主な城主 瓜生氏、赤松氏、岡氏、赤松氏
遺構 曲輪、石垣、礎石、井戸跡
指定文化財 国史跡(赤松氏城跡)
再建造物 碑、説明板
住所 兵庫県相生市矢野町瓜生、森
問い合わせ先 相生市教育委員会生涯学習課
問い合わせ先電話番号 0791-23-5150