JR三石駅から登城口入口(34.802632、134.271174)まで徒歩5~6分、そこから主郭まで35分でした。
1333年(正慶2年・元弘3年) 南北朝時代に南朝方として挙兵した伊東大和二郎によって築かれたと云われています。
室町幕府の成立によって赤松氏が備前守護職になると、浦上宗隆が備前国守護代として三石城を居城としました。
1519年(永正16年)浦上村宗は赤松義村から謀叛の嫌疑をかけられ三石城に籠もると、義村は兵を従えて三石城を攻めたがこれを落とせず、1520年(永正17年)に撤退しました。
その後、赤松義村は求心力を失い、1521年(大永元年)浦上村宗は義村を討ち戦国大名へとのし上がります。
村宗の跡を継いだ政宗は宝津城に居城を移し、三石城には城番を置いたが、後に弟宗景・国秀と不和となり宗景は天神山城に自立しました。
その後しばらくは天神山城の支城として維持されたものの、政宗の死後あるいは宗景が宇喜田直家に備前を追われた頃に廃城となりました。
城址は、石垣、土塁、切岸、井戸などがあり、どれも素晴らしく時間がいくらあっても足りないのが正直な感想です。
電車の時間が気になり本丸北側の堀切を見逃すなど、ちょっと残念。機会があればじっくり見学したい。
攻城時間は50分くらいでした。次の攻城先=英賀城に向かう為、JR三石駅から電車で英賀保駅に向かいました。
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