みついしじょう

三石城

岡山県備前市


旧国名 : 備前

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①石垣
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昌官忠

(東海&関西)遠征11日目:三石城 (2025/05/25 訪問)

JR三石駅から登城口入口(34.802632、134.271174)まで徒歩5~6分、そこから主郭まで35分でした。

1333年(正慶2年・元弘3年) 南北朝時代に南朝方として挙兵した伊東大和二郎によって築かれたと云われています。
室町幕府の成立によって赤松氏が備前守護職になると、浦上宗隆が備前国守護代として三石城を居城としました。
1519年(永正16年)浦上村宗は赤松義村から謀叛の嫌疑をかけられ三石城に籠もると、義村は兵を従えて三石城を攻めたがこれを落とせず、1520年(永正17年)に撤退しました。
その後、赤松義村は求心力を失い、1521年(大永元年)浦上村宗は義村を討ち戦国大名へとのし上がります。
村宗の跡を継いだ政宗は宝津城に居城を移し、三石城には城番を置いたが、後に弟宗景・国秀と不和となり宗景は天神山城に自立しました。
その後しばらくは天神山城の支城として維持されたものの、政宗の死後あるいは宗景が宇喜田直家に備前を追われた頃に廃城となりました。

城址は、石垣、土塁、切岸、井戸などがあり、どれも素晴らしく時間がいくらあっても足りないのが正直な感想です。
電車の時間が気になり本丸北側の堀切を見逃すなど、ちょっと残念。機会があればじっくり見学したい。
攻城時間は50分くらいでした。次の攻城先=英賀城に向かう為、JR三石駅から電車で英賀保駅に向かいました。

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BUGTI

守護代浦上氏の居城 (2024/01/14 訪問)

JR三石駅から数分のところにある登城口から攻めました。道は整備されているが、岩場や崖道が多いので足回りはしっかり準備しておいた方が良い。古い石垣が残る大手門が一番の目当てだったのだが、途中の第一見張所との分岐点で、「本丸跡への近道」という看板の誘惑に負けて近道へ。三の丸下の櫓台石垣には出会えたものの、大手門を通ることなく本丸まで着いてしまった。大手門へ行くには近道ではない方を進むべし。仕方なくお楽しみは後回しにしておいて、堀切や鶯丸を回って最後に大手門を探索。近世の石垣に比べて高さは低いし石も小さいが、これでも実戦を戦い抜いたと言わんばかりの味わいのある石垣を見て満足しました。

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ろっし

お城探訪 (2022/09/18 訪問)

曲輪、石垣、堀切など見れます!
登ってみると以外に広い城跡
全部見れなかったからまた行こうと思います。

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higekam

浦上氏躍進のきっかけとなった城 (2021/10/18 訪問)

規模は大きくないが急峻な山頂部に築かれた山城。それに加えて、石垣で固めた桝形虎口の大手門、本丸裏の搦手は巨石を削った堀切と離反に憤る赤松氏を敗退させただけのことはあると納得。大手門に加えて三の丸先端部に残る石垣は初期の石積方法ながら400年を超えてほぼ当時のままのようで感動的。アクセスもJR山陽本線三石駅から本丸まで直行すれば30分ほどと近く、山城、石垣ファンにはお勧めの城だ。


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城郭情報

分類・構造 連郭式山城
天守構造 なし
築城主 伊東大和二郎
築城年 正慶2年〔北朝〕/元弘3年〔南朝〕(1333)
主な城主 伊東氏、浦上氏
廃城年 天文23年(1554)頃
遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切、井戸
指定文化財 県史跡(三石城跡)
再建造物 石碑
住所 岡山県備前市三石