周防長山城(城びと未登録 山口県山口市)から徒歩10分くらいで、政庁表門付近(34.184346、131.471692)に着きました。
1864年(元治元年)萩藩毛利13代敬親によって築かれました。
毛利敬親は1863年(文久3年)湯田温泉への日帰り湯治と称して萩城から山口へと拠点を移しました。
これは保守派に取り囲まれた萩では攘夷を実行できないことと、北に偏った萩では交通の便、海からの防御の面で不都合があったためです。
幕府に対しては山口屋形として申請していたが、背後には中世大内氏の詰城であった高嶺城があり、表には水堀を配していました。
大政奉還後の1870年(明治3年)政事堂から藩庁に改称。さらに、廃藩置県が行われた1871年(明治4年)城内に山口県庁が置かれました。
1873年(明治6年)の廃城令によって、存城処分となり陸軍省(第5軍管)の所管となりますがが、同年7月に大蔵省の所管へ変更され廃城となりました
水堀の一部と薬医門(山口政事堂の表門)が現存します。この表門は、廃藩置県までは藩庁門、その後は県庁正門となりました。
県庁の正門は閉まっていましたが、通用門から中に入ることができました。
藩庁の門は重厚で良かったです。土塁と石垣を見逃してしまいました。
観光時間は15分くらいでした。次の攻城先=築山館を攻城する前に、洞春寺と山口中河原御茶屋(城びと未登録 山口県山口市)に徒歩で向かいました。
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