やまぐちじょう

山口城

山口県山口市

別名 : 山口屋形、山口御屋形、山口政庁
旧国名 : 周防

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①薬医門(表より)
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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征22日目:山口城 (2026/06/01 訪問)

周防長山城(城びと未登録 山口県山口市)から徒歩10分くらいで、政庁表門付近(34.184346、131.471692)に着きました。

1864年(元治元年)萩藩毛利13代敬親によって築かれました。
毛利敬親は1863年(文久3年)湯田温泉への日帰り湯治と称して萩城から山口へと拠点を移しました。
これは保守派に取り囲まれた萩では攘夷を実行できないことと、北に偏った萩では交通の便、海からの防御の面で不都合があったためです。
幕府に対しては山口屋形として申請していたが、背後には中世大内氏の詰城であった高嶺城があり、表には水堀を配していました。
大政奉還後の1870年(明治3年)政事堂から藩庁に改称。さらに、廃藩置県が行われた1871年(明治4年)城内に山口県庁が置かれました。
1873年(明治6年)の廃城令によって、存城処分となり陸軍省(第5軍管)の所管となりますがが、同年7月に大蔵省の所管へ変更され廃城となりました

水堀の一部と薬医門(山口政事堂の表門)が現存します。この表門は、廃藩置県までは藩庁門、その後は県庁正門となりました。
県庁の正門は閉まっていましたが、通用門から中に入ることができました。
藩庁の門は重厚で良かったです。土塁と石垣を見逃してしまいました。
観光時間は15分くらいでした。次の攻城先=築山館を攻城する前に、洞春寺と山口中河原御茶屋(城びと未登録 山口県山口市)に徒歩で向かいました。

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征22日目:山口城周辺散策(周防長山城(城びと未登録 山口県山口市)) (2026/06/01 訪問)

次の攻城先=山口城を攻城する前に、周防長山城(城びと未登録 山口県山口市)によりました。
向山城(城びと未登録 山口県山口市)から徒歩20分ちょっとで、亀山公園山頂広場(34.180582、131.472964)に着きました。

築城年代は定かではないですが、 1588年(天正16年)毛利氏は仁保元忠を城番として長山城に置いていました。
1596年(慶長元年)毛利秀元は長門国を与えられ長山城を居城とするべく改修しました。
しかし、1600年(慶長5年)の関ヶ原合戦によって毛利氏が防長2ヶ国に減封となったため秀元は長門櫛崎城へと移り、長府藩を立藩しました。その後、長山城は廃城となったと思われます。

現在は亀山公園として整備されています。戦前は6つの銅像あったようですが、現在はが毛利敬親公の馬上像があるのみで、公園化により遺構もないようです。
亀山公園の南にはザビエル記念聖堂が建っています。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=山口城に徒歩で向かいました。

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シャンシャン

山口~福岡のお城巡り⑤ (2025/11/30 訪問)

山口~福岡お城巡りの最後の城。
山口城跡には現在山口県庁が建っているけど、かつては大砲を備えた西洋式城郭だったとのこと。
遺構としては立派な藩庁門が残っていて自由に出入りできる。かつての長州藩士がこの門を通っていたと思うとロマンを感じる。
すぐ近くの国宝である瑠璃光寺五重塔や毛利家墓所もセットで訪れるべき。

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赤い城

山口県庁 (2025/07/13 訪問)

山口県庁が城址で駐車場も利用可能です。
旧山口県庁舎は重要文化財、旧県会議事堂は県政資料館となっています。
表門は現存、枡形があり、周囲には水堀が残っています。
堀の石垣には当時のものと昭和のもの、新旧の石組みが見られます。
東側には石垣や砲台跡もあり、砲撃戦を想定した城であったとされます。
とはいえ、表向きは館でした。
しかし実際には稜堡式の八角形の縄張を持っていてどう見ても城であったと言えます。

【見どころ】
 ・現存の表門
 ・水堀
 ・東稜堡の石垣

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城郭情報

分類・構造 平城
天守構造 なし
築城主 毛利敬親
築城年 元治元年(1864)
主な改修者 毛利敬親
主な城主 毛利氏
廃城年 明治6年(1873)
遺構 曲輪、石垣、横堀(水堀)、門
指定文化財 県有形文化財(旧山口藩庁門)
再建造物 石碑、説明板
住所 山口県山口市滝町1-1
問い合わせ先 山口市観光課
問い合わせ先電話番号 083-934-2810