城山の裏手には。夏陰城という城があります。説明板によると、かつて大きな楠があって暑さ知らずの高涼地であったため夏陰と呼ばれたとか。城山の防備が薄いこの地に兵が置かれ夏陰城と呼ばれるようになったとのことで、鹿児島城(城山)の一部と云ってよいかと思いますが、立派な城址碑が建てられていました。この城山の裏手には、五代友厚誕生地、樺山安武・森有礼生育之地などもあります。西郷隆盛終焉の地、私学校跡とめぐって黎明館に戻り、無事、鹿児島城の城カードを購入することができました。
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2025/12/28 06:08
2025年末・鹿児島県の攻城②【城びと未登録・夏陰城】(鹿児島県鹿児島市) (2025/12/26 訪問)
城山の裏手には。夏陰城という城があります。説明板によると、かつて大きな楠があって暑さ知らずの高涼地であったため夏陰と呼ばれたとか。城山の防備が薄いこの地に兵が置かれ夏陰城と呼ばれるようになったとのことで、鹿児島城(城山)の一部と云ってよいかと思いますが、立派な城址碑が建てられていました。この城山の裏手には、五代友厚誕生地、樺山安武・森有礼生育之地などもあります。西郷隆盛終焉の地、私学校跡とめぐって黎明館に戻り、無事、鹿児島城の城カードを購入することができました。
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2025/12/27 06:13
2025年末・鹿児島県の攻城① (2025/12/26 訪問)
強烈な冬型気圧配置の影響で予約をとってあった屋久島行きのジェットフォイルが欠航となってしまいました。ということで出港までにたっぷり時間があるので、鹿児島城へと赴きました。御楼門周りの埋め戻された遺構の上に復元された排水溝を見て、黎明館の展示もしっかりと拝見してまいりました。黎明館の中の喫茶で城カードは販売されているのですが、開店は11時ということで、城山の散策に出かけることにしました。薩摩義士碑、西郷洞窟を経て城山の裏手へと進みます。
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2025/12/05 11:17
朝明けの御楼門 (2025/10/29 訪問)
鹿児島城御楼門の探訪は、今回の鳥取城スタート九州一周城旅企画には入って居なかったのですが、泊まったホテルが5年前のホテルでしたので鹿児島城と近く、朝も早く起きましたので朝食前にぶらっと訪ねました。
朝焼けの桜島と御楼門の写真ツーショットが気に留まりましたので一番にして御楼門石垣周り、十番目に御隅櫓跡の写真を投稿して、復元も囁かれていた御隅櫓の復元は何時に成るのでしょう?と希望願望を入れて投稿します。
朝駆けで良い運動と目覚めよく本日の薩摩、大隅の城旅に出掛けられます。
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2025/12/05 10:53
御楼門の復元 (2025/10/29 訪問)
前日天草島の久玉城を終えて三和フェリーで鹿児島県長島町へ鹿児島市内のホテルで1泊、朝食前に約500m程と近いので鹿児島城を朝日の明ける頃探訪、5年前の御楼門復元時登城と同じホテルでした。
復元された御楼門とは5年振りの再会、朝明け過ぎでしたので採光は良くありませんが写真投稿させて頂きます。
今年は焼失してから152年目、復元から5年目に当たります、復元御楼門も風雪に耐えて木肌の色もそれらしくなって来ましたが裏側は木の地肌が新しいまま。
御楼門は二階建て高さ幅とも約20mで日本最大の城門だそうです。
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島津家久が城山東麓に築いた平城。本丸と二の丸を連郭式に並べ、石垣と堀で囲んだだけで天守もない、大大名の城とは思えないほど簡素な館造りだった。本丸と二の丸の間には切込接の石垣が続く。鬼門にあたる本丸北東隅は、石垣の隅を窪ませ鬼門除けにしてある。
| 城地種類 | 平山城 |
|---|---|
| 築城年代 | 慶長7年(1602) |
| 築城者 | 島津家久 |
| 主要城主 | 島津氏 |
| 文化財史跡区分 | 県史跡(鶴丸城跡)、国史跡(城山) |
| 近年の主な復元・整備 | 島津吉貴 |
| 天守の現況・形態 | なし |
| 主な関連施設 | 石碑、説明板 |
| 主な遺構 | 曲輪、石垣、横堀(水堀)、石橋 |
| 住所 | 鹿児島県鹿児島市城山町 |
|---|---|
| 問い合わせ先 | 鹿児島市教育委員会文化課 |
| 問い合わせ先電話番号 | 099-227-1962 |