日本100名城

かごしまじょう

鹿児島城

鹿児島県鹿児島市

別名 : 鶴丸城、(上山城、城山)
旧国名 : 薩摩

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鹿児島城
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くうくう

国史跡、別名鶴丸城と呼ばれる島津氏の館城

慶長6年(1601)島津家久が築城、約10年で完成させた。平城。77万石にしては天守や櫓のないシンプルな城郭であるが、外城をおよそ100もっていた。
加工しやすい溶結凝灰岩を利用した石垣は加工整形(切石はつり)が多く亀甲積や石材の縁に漆喰を塗った金場取残積など見所が多い。また鬼門除けの隅欠(すみおとし)や西南戦争時の弾痕もある。
擬宝珠つきの石橋は遺構。明治6年(1873)焼失した御楼門は令和2年(2020)復元完成した。二重二階造木造本瓦葺で屋根に鯱を上げた高さ20m国内最大級の城門、大手櫓門。

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BUGTI

江戸時代島津氏の居城 (2023/11/10 訪問)

御楼門が復元されたので、城らしくなりました。鹿児島の新しいシンボルになるといいですね。御楼門の前の歩道には、石垣の断面模型が造られており、良い展示だと思いました。城址に建つ黎明館には多くの歴史資料が展示されていて、志布志城と出水麓のジオラマが見ものです。なぜか鹿児島城のジオラマでなかったのかが不思議です。

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しんちゃん

鹿児島城④ 仙巌園 (2023/01/06 訪問)

仙巌園は薩摩藩主島津氏が造園した大名庭園で「仙巌園附花倉御仮屋庭園」として
国の名勝に指定されています。
万治年間(1658~1661)に19代 島津光久によって建築され、そのあとも
たびたび改修を施されています。
明治維新後の廃藩置県の後の明治5年(1872)旧薩摩藩主 島津忠義が鹿児島城から転居し
島津氏が東京へ転居した後は島津氏の別邸になります。
その後、1949年に鹿児島市に移管され、2015年に旧集成館反射炉跡が
世界文化遺産に登録されます。
この日はあいにくの曇り空で桜島が見えません。おまけに尚古集成館が耐震工事中で入館が
出来ませんでした。庭園と尚古集成館だけなら入場料1000円なのでまたリベンジを
果たしたいと思います。


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しんちゃん

鹿児島城③ 鶴丸城 島津の本城なのに西郷どんのイメージの方が強い (2023/01/06 訪問)

鹿児島城は別名 鶴丸城という島津氏の本城です。
慶長6年(1601)に島津義弘の子、忠恒によって築かれたと伝わります。
77万石の大名の居城にしてはいささか地味で、かつての本丸跡には黎明館
が設置され薩摩の歴史や明治維新、西南戦争の展示を見ることが出来ます。
背後の城山も明治維新まで聖域として立ち入りを禁止するなど
軍事的意味合いが薄く、西南戦争でこの地で激しい戦闘を行った西郷隆盛の
イメージのほうが強く感じます。
城内の石垣には弾痕や砲弾の跡が多く残り、かつての戦闘の激しさが伝わってきます。

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概要

島津家久が城山東麓に築いた平城。本丸と二の丸を連郭式に並べ、石垣と堀で囲んだだけで天守もない、大大名の城とは思えないほど簡素な館造りだった。本丸と二の丸の間には切込接の石垣が続く。鬼門にあたる本丸北東隅は、石垣の隅を窪ませ鬼門除けにしてある。

城郭情報

城地種類 平山城
築城年代 慶長7年(1602)
築城者 島津家久
主要城主 島津氏
文化財史跡区分 県史跡(鶴丸城跡)、国史跡(城山)
近年の主な復元・整備 島津吉貴
天守の現況・形態 なし
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、横堀(水堀)、石橋
住所 鹿児島県鹿児島市城山町
問い合わせ先 鹿児島市教育委員会文化課
問い合わせ先電話番号 099-227-1962