日本100名城

かごしまじょう

鹿児島城

鹿児島県鹿児島市

別名 : 鶴丸城、(上山城、城山)
旧国名 : 薩摩

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鹿児島城
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カズサン

朝明けの御楼門 (2025/10/29 訪問)

 鹿児島城御楼門の探訪は、今回の鳥取城スタート九州一周城旅企画には入って居なかったのですが、泊まったホテルが5年前のホテルでしたので鹿児島城と近く、朝も早く起きましたので朝食前にぶらっと訪ねました。
 朝焼けの桜島と御楼門の写真ツーショットが気に留まりましたので一番にして御楼門石垣周り、十番目に御隅櫓跡の写真を投稿して、復元も囁かれていた御隅櫓の復元は何時に成るのでしょう?と希望願望を入れて投稿します。
 朝駆けで良い運動と目覚めよく本日の薩摩、大隅の城旅に出掛けられます。
 

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カズサン

御楼門の復元 (2025/10/29 訪問)

 前日天草島の久玉城を終えて三和フェリーで鹿児島県長島町へ鹿児島市内のホテルで1泊、朝食前に約500m程と近いので鹿児島城を朝日の明ける頃探訪、5年前の御楼門復元時登城と同じホテルでした。
 復元された御楼門とは5年振りの再会、朝明け過ぎでしたので採光は良くありませんが写真投稿させて頂きます。
 今年は焼失してから152年目、復元から5年目に当たります、復元御楼門も風雪に耐えて木肌の色もそれらしくなって来ましたが裏側は木の地肌が新しいまま。
 御楼門は二階建て高さ幅とも約20mで日本最大の城門だそうです。
 

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アネ

進化を続ける (2024/05/19 訪問)

各種遺構の復元が続いており、資料の展示も見事です。
もし近くに住んでいたなら、何度も通いたいところです。
駐車場がちょっとわかりにくいかも。

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ヒロケン

城館造りの城 (2025/08/13 訪問)

鹿児島城(鶴丸城)は、72万9千石の大大名島津氏の居城です。72万9千石(前田家に次ぐ2番目の石高)の居城にしては、天守無し・重層櫓無し・高石垣も無し・水堀は狭く浅い、典型的な城館造りの城といえます。ただ島津家に「人をもって城となす」という言葉があり、物理的な城に頼るのではなく、人々を大切にし、育て、その力で国や地域を守るといった教えで、島津氏が人材の育成に力を入れていたことが分かります。
ただ、城山の麓に築城された鹿児島城(鶴丸城)は本丸と二の丸の二曲輪からなり、南北約750m、東西約200mの規模で構成されており、再建された巨大な櫓門、御楼門や鬼門除けの隅角を欠いた入隅石垣、西南戦争の銃弾跡が残る石垣等々見所も沢山ありお城ファンを楽しませてくれています。

今回、鹿児島県に初上陸し城跡や観光地巡り、温泉巡りを楽しみ3泊4日で帰宅しましたが、「鹿児島良いわ」(*^▽^*)霧島温泉の泥湯、指宿の砂蒸し温泉、黒豚しゃぶしゃぶ、さつま揚げ、白熊(かき氷)、種類が豊富な焼酎、雄大な桜島、霧島神宮、知覧特攻平和会館とまあ、見るもの食べるもの全て新鮮で、また直ぐ行きたい。
集中豪雨(線状降水帯)の影響で、一部地域で断水、道路崩落で一部通行止め等がありましたが、✌('ω'✌ )三✌('ω')✌三( ✌'ω')✌鹿児島旅行でした。

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概要

島津家久が城山東麓に築いた平城。本丸と二の丸を連郭式に並べ、石垣と堀で囲んだだけで天守もない、大大名の城とは思えないほど簡素な館造りだった。本丸と二の丸の間には切込接の石垣が続く。鬼門にあたる本丸北東隅は、石垣の隅を窪ませ鬼門除けにしてある。

城郭情報

城地種類 平山城
築城年代 慶長7年(1602)
築城者 島津家久
主要城主 島津氏
文化財史跡区分 県史跡(鶴丸城跡)、国史跡(城山)
近年の主な復元・整備 島津吉貴
天守の現況・形態 なし
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、横堀(水堀)、石橋
住所 鹿児島県鹿児島市城山町
問い合わせ先 鹿児島市教育委員会文化課
問い合わせ先電話番号 099-227-1962