日本100名城

かごしまじょう

鹿児島城

鹿児島県鹿児島市

別名 : 鶴丸城

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鹿児島城
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オイラー

鹿児島城登城 (2019/05/02 訪問)

百名城86城目

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くろもり

薩摩義士の絆 (2014/12/30 訪問)

鶴丸城の御楼門の復元が2020年3月完成予定で進められていますが、御楼門建設のために岐阜県産のケヤキが提供されています。何故、岐阜県が提供するのかは、以前の三重県の桑名城の投稿でも触れさせてもらいましたが、薩摩藩士が多くの命を落とした「宝暦治水」が関係しています。

以下、鹿児島県のHPより
贈呈された岐阜県産ケヤキは,樹齢約300年以上,幹周り4メートル・長さ8メートルもある立派なものであり,所有者の御先祖が宝暦治水工事の幕府方水奉行の関係者であったことから,鶴丸城御楼門復元の事業主旨に賛同され,提供していただいたものです。

以下、岐阜県のHPより
江戸時代中期の1755年(宝暦5年)、薩摩藩は岐阜県南部を流れる木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)流域の治水工事を完成させました。宝暦治水といわれるこの工事は、徳川幕府が薩摩藩に命じた堤防を作る工事で、非常に困難なものであったため、薩摩藩は多額の借金を抱え多くの犠牲者を出しました。
流域に住む人々は、洪水に苦しむことが少なくなったことを喜び、工事に従事した薩摩藩士を「薩摩義士」と敬い、その偉業をたたえました。
その精神的な絆をもとに、岐阜県と鹿児島県は、昭和46年7月27日に姉妹県盟約を結びました。

姉妹県は他に聞いたことがないので、岐阜県が鹿児島県に恩義を感じているのが分かるような気がします。

北御門跡から城山である上山城への登城途中に薩摩義士の碑がありました。碑の下に木曽三川の水がペットボトルに入れられて供えられており、胸が熱くなりました。

岐阜県との絆の形でもある御楼門の復元。本当に楽しみです。

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たかりん

やはり幕末、維新関係の聖地 (2013/09/08 訪問)

大河が終わる前にということで、加賀前田家に次ぐ島津家77万石の居城ですが、周知のとおり、お城としては極めて質素です。日本最南端という地勢や外城制を重視したという島津氏の特徴もあり本城を要塞化する必要性がなかったらしいです。本丸、二の丸が連郭式に並ぶ非常に単純な縄張で、跡地はそれぞれ黎明館(県立歴史資料センター)、県立図書館が建ち遺構らしいものはありません。現在は御楼門が復元中ということで期待です。また近隣には西南戦争関係で私学校跡、また裏手の「城山」が西郷隆盛終焉の地として岩崎谷、西郷洞窟などの史跡があります。他にも幕末、維新関係の史跡は豊富で、特に加治屋町周辺は、かの歴史小説家の司馬遼太郎さんが「明治維新から日露戦争までを、一町内でやったようなもの」との評があるとおり、西郷、大久保、大山、東郷など薩摩出身の政治家、軍人の生誕地が密集しており、歴史の舞台にいることを体感できます。

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とばつびしゃもん

御楼門の復元中 (2018/07/15 訪問)

100名城スタンプ制覇中の2010年5月以来の登城。見どころである石垣の鬼門除けを見学。2020年完成に向けて御楼門復元が進む最中で正門から城内へ立入禁止。

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概要

島津家久が城山東麓に築いた平城。本丸と二の丸を連郭式に並べ、石垣と堀で囲んだだけで天守もない、大大名の城とは思えないほど簡素な館造りだった。本丸と二の丸の間には切込接の石垣が続く。鬼門にあたる本丸北東隅は、石垣の隅を窪ませ鬼門除けにしてある。

城郭情報

城地種類 山城・平山城
築城年代 慶長6年(1601)頃
築城者 島津家久
主要城主 島津氏
文化財史跡区分 国指定史跡(城山)、県指定史跡(鶴丸城跡)
近年の主な復元・整備 平成12年に石垣の一部改修
天守の現況・形態 -
主な関連施設 城山、鹿児島県歴史資料センター黎明館
主な遺構 本丸、二の丸、石垣、堀
住所 鹿児島県鹿児島市城山町
問い合わせ先 鹿児島市教育委員会文化課
問い合わせ先電話番号 099-227-1962