日本100名城

かごしまじょう

鹿児島城

鹿児島県鹿児島市

別名 : 鶴丸城、(上山城、城山)
旧国名 : 薩摩

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鹿児島城
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トク

島津忠恒と桜島 (2025/02/25 訪問)

知覧からの帰りに鹿児島城に立寄りました。御楼門は相変わらず美しいです。しかしその奥にある、西郷隆盛らが立て籠もるこの城に向かって官軍が放った弾痕跡とのギャップが、何とも複雑な薩摩の歴史を物語ってくれます。

鹿児島城の築城者は「島津忠恒」です(後に家久と改名)。忠恒は島津義弘の子ですが、嫡子の無かった当主義久(叔父)の後を継ぎ当主となりました。関ケ原の直前にあった島津家の内乱(庄内の乱)では、首謀者「伊集院忠棟・忠真」父子を自ら斬殺して乱を鎮め、これで家康から一目置かれるようになります。しかし関ケ原後、義弘の処遇を巡り義久は家康と対立! 義久は一戦辞さずと戦の準備にかかります。その中で忠恒は、井伊直政の協力を得て、伏見の家康との仲介に奔走します。そして家康から信頼されるようになり、薩摩・大隅の本領安堵をとりつけて初代薩摩藩主に任命され、それまでの内城から鹿児島城(鶴丸城)を新たに築城しました。

しかしそれでも薩摩藩は、徳川宗家、加賀前田藩に次ぐ3番目77万石の大藩です。ですが城には天守もなく敷地もさほど広くなく、「え!これが77万石の大藩の城ですか?」と訪れた皆さんは誰もが思われたのではないでしょうか? おそらく20万石程度の大名と同じ大きさだと思います。52万石の姫路城や福岡城などと比べると、はるかに小さくて質素なのがよく分かると思います。それは徳川から怪しまれぬよう恭順の意を表向きは示すために、このような大きさや形にしたものと思われます。そして裏では密かに113の外城を築きます。

ここまで来ると、私は急に桜島が見たくなったので、背後の城山へ登る事にしました。鹿児島にしてはこの日は寒く、気温は5℃くらいだったでしょうか。よってシティビューバスに乗り頂上まで行きました。ここから見る桜島はいつ見ても感動です! この日は山頂にうっすらと雪が積もっているという、何とも珍しい光景を目にする事ができました。
 

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にのまる

初・鹿児島県入り。 (2025/01/20 訪問)

熊本から鹿児島へは『旅名人の九州満喫切符』(3ヶ月以内の任意の3日間、新幹線と特急を除く九州の全鉄道乗り放題)を使い、熊本市電〜鹿児島本線〜肥薩おれんじ鉄道〜鹿児島本線〜日豊本線〜鹿児島市電と計7本乗り継ぎました。
ワクワクが止まらない楽しい列車にキラキラ輝く美しい八代湾。思い出に残る4時間半の鉄旅となりました。

また、鹿児島県はこれまで(城旅に限らず)足を踏み入れたことのない唯一の都道府県だったので、今回の城旅でついに47都道府県制覇を達成しました。ただ、ゴールインというよりやっとスタート地点に立ったという気持ちでした。

この日は月曜日で黎明館は休館なので、復元御楼門を外から見学し、近くの西南戦争の痕跡をたどることにしました。
行ったのは私学校跡の西南戦争の銃弾跡、薩摩義士碑、西郷隆盛終焉の地、西郷洞窟、西郷隆盛銅像、小松帯刀像です。他にも行ってみたいところはたくさんありましたが、桜島を眺めているとどうしても渡りたくなったので、そちらを優先してしまいました。

史跡めぐりで特に行ってみてよかったと思ったところは西郷洞窟です。西郷隆盛が最期の五日間を過ごした場所。「おはんらにやった命」という言葉と目の前の洞窟。そして絶命した場所への道のり。舗装された道を歩きながらも足がすくむ思いでした。

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T-Shionoya

弾痕が歴史を伝える鹿児島城 (2024/11/08 訪問)

11月の屋久島観光の際に訪問した鹿児島県鹿児島市の鹿児島城。

鹿児島港を擁する鹿児島湾西岸。
稲荷川と甲突川の河口部の標高107mの城山とその東麓に築かれた城。

南北朝時代の上山氏の山城をもとに、1600年の関ヶ原の後に島津義弘から家督を継いだ家久が築城。
幕末までの島津氏12代の居城となりました。

現在、堀と石垣が残る本丸は歴史の展示・研究施設となり、2020年に御楼門を復元。二之丸には図書館や美術館などが建ち、御厩は病院に、城山はホテルと公園に変貌。

実際に訪れると、本丸と御厩南東面の石垣は一直線で壮観。
枡形の御楼門以外は非常にシンプルな城ですが、石垣に残る弾痕は西南戦争の歴史を伝えるもの。図書館と美術館の石垣にも似た凹みがありましたが、これも当時のものでしょうか。
大手口から登った城山も要塞感は薄いものの、二之丸曲輪の3面に分厚い土塁が存在。

周辺観光や休息を挟みつつ、滞在時間は約4時間。
薩摩藩77万石の鹿児島城が、私の城郭巡りの188城目となりました。

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零汰

変身 (2024/08/01 訪問)

鹿児島城跡にある黎明館に行きました。

出先で貼ってあったポスターで知りました。
「THE仮面ライダー展」なんとも心地良い響き。
テレビを見ない生活をしているので見逃すところでした。
早速孫たちに連れて行ってもらいました。

歴代ライダーが1号から最新ライダー迄大勢展示されてます。
行く前はここ迄期待はしていなかったのですが大正解でした。
推しは当然旧1号ライダー。
ライダーに限らずオリジナルを超えるものは中々ありません。
密かに期待をしていた桜島1号が居ないのは仕方がない。

冒頭はこの日の復元門です。

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概要

島津家久が城山東麓に築いた平城。本丸と二の丸を連郭式に並べ、石垣と堀で囲んだだけで天守もない、大大名の城とは思えないほど簡素な館造りだった。本丸と二の丸の間には切込接の石垣が続く。鬼門にあたる本丸北東隅は、石垣の隅を窪ませ鬼門除けにしてある。

城郭情報

城地種類 平山城
築城年代 慶長7年(1602)
築城者 島津家久
主要城主 島津氏
文化財史跡区分 県史跡(鶴丸城跡)、国史跡(城山)
近年の主な復元・整備 島津吉貴
天守の現況・形態 なし
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、横堀(水堀)、石橋
住所 鹿児島県鹿児島市城山町
問い合わせ先 鹿児島市教育委員会文化課
問い合わせ先電話番号 099-227-1962