大聖寺城は標高70mほどの錦城山一帯に築かれていて本丸を中心に広大な城域を持ち、遺構も良好に残っています。関ヶ原の合戦の際には小早川秀秋の家臣・山口玄蕃宗永が居城とし東軍の前田利長の大軍2万5000に攻められ一日で落城しています。江戸時代加賀藩主三代利常の三子・利治が大聖寺藩7万石で入りますが城山に居を置かず御止め山として入山を禁じたため遺構が良好に残っています。
遊歩道を周遊すれば一通り見ることが可能で、東出丸からは白山が眺望でき、鐘が丸には櫓台を備えた土塁が残ります。土塁の北側は骨が谷と呼ばれ、かつて前田軍に攻められたとき最大の激戦地となり多くの屍が放置されたそうです。本丸北側の通路は局谷と呼ばれ、落城の際、城内の女中が本丸より身を投げたのが名の由来だそうです。西の丸の南側には馬洗い池があり今でも水をたたえています。後述の熊はここへ水を飲みにきている可能性があります。
南東の郭・戸次丸へ向かう途中に熊のフンがありました。山家城や東北の城で見たものより小さいですね。まだ若いクマのようですが小熊ではなさそうです。こんな町に近いところにも普通に出るんですね。もう慣れっこになってしまったのでそのまま散策を続行。
せちがらい人間社会より熊のいる城山の方が落ち着く‥‥いやいや周囲の警戒を怠らず慎重に進みます。本丸には櫓台や高土塁が残り土塁の上から局谷を覗き込みます。本丸をでて馬出曲輪に到着。周囲が良く見渡せます。柿の木が有ります。先ほどのフンの主はこのあたりまで足を延ばしているかもしれません。山家城と違ってここの熊は住みついている可能性があるので朝方や夕方は特に気を付けていただきたいと思います。そういえばこの城址公園、こんなうってつけの散歩コースなのに人の姿を全く見てない。
やはりそういうことなんですかね。
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