だいしょうじじょう

大聖寺城

石川県加賀市

別名 : 錦城
旧国名 : 加賀

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本丸跡
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ぴーかる

大聖寺城 (2026/03/14 訪問)

【大聖寺城】
<駐車場他>錦城山公園駐車場あり。
<交通手段>車

<見所>曲輪・土塁・切岸・虎口跡・櫓台跡・本丸跡・鐘ヶ丸
<感想>日帰り大聖寺城と福井山城旅2城目。本日のメイン城。現地説明板を要約すると大聖寺城は南北朝時代以降に構築され加賀の一向一揆の際にも重要な軍事拠点となっていた。現在の縄張りは秀吉家臣の溝口秀勝が修築したと推定されます。1597年以降に小早川秀秋の家臣の山口宗永が入城します。関ヶ原の戦いでは宗永は西軍に付いたために前田利長の軍勢に攻められて自刃します。その後城は前田家のものとなり修復しますが一国一城令により廃城となります。現在城跡は国史跡になっています。
 城跡は全体的に馬蹄形状の縄張りで大城郭と言ってよいでしょう。中心部の谷に館跡があり、その中心部の山頂に主郭があります。中心から両サイドに連郭式の曲輪を配置していますが、北側の曲輪群の方が二の丸・三の丸があり広く曲輪を配置しています。主郭は他の曲輪より小さいが櫓台が残っていて礫石が落ちているので石垣造りだったことが分かります。主郭の背後(西側)が谷になっていて谷を利用した切岸と空堀が見事な造りとなっています。最西奥が鐘ヶ丸という最大面積の曲輪があり、ここも土塁と櫓台が残っています。この曲輪が主要部のような感じを受けました。
 一度訪れて見たかった城跡で冬場の天候の良い日と休日が合致したので逃さずきました。城跡は結構整備されていたので初夏くらいまで全然行けました。国史跡だけあってかなりの見応えですごく大満足でした。北側の連段曲輪に一向一揆当時の遺構が残っていますが他の部分は改修を重ねて誰がどの箇所を改修したか判明していないのが弱みかもしれない。何年も前にtodo94さんが続百名城鳥越城(ここも国史跡ではあるが)じゃあなくてもいいかもというコメントをしていらした意味がようやく分かった。ここでもいい。百・続百名城に負けていない城跡です。

<満足度>◆◆◆

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りあそーる

駅近く

で鴨料理食べるのオススメします!
江戸時代に大聖寺藩が武士の訓練代わりに行ったという網を使った猟法で冬のみ食べれる坂網鴨を食べよう!
お城は整備されて下草も少ないし見どころ多いけど、その説明は他の方に任せます。

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WEST

大聖寺城探訪 (2025/10/10 訪問)

大聖寺城を訪問しました。この城は錦城山に築城された平山城です。築城は南北朝の時代とのことですが、城主は頻繁に入れ替わったとのこと。
今の大聖寺城の縄張は、溝口秀勝が城主となったころと言われているとのことです。
自動車での訪問で、錦城山公園駐車場を利用しました。登山口にパンフレットが用意してあり、登城の手助けになりました。
ルートは、馬出曲輪、本丸と本丸櫓、二の丸と登城し、戻ってきました。所要時間は30分強でした。
虎口等には石垣があったようで、登城中に石垣の看板を見ることができます。
10月初旬の訪問でしたが、クマ出没注意の看板もあり、クマ除け鈴を付けて登城しました。また、この時期はやぶ蚊がたくさん飛んでおり、登城する際には虫よけ対策が必要です。

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しんちゃん

広大な城域に良好な遺構。そして‥‥ (2023/12/09 訪問)

大聖寺城は標高70mほどの錦城山一帯に築かれていて本丸を中心に広大な城域を持ち、遺構も良好に残っています。関ヶ原の合戦の際には小早川秀秋の家臣・山口玄蕃宗永が居城とし東軍の前田利長の大軍2万5000に攻められ一日で落城しています。江戸時代加賀藩主三代利常の三子・利治が大聖寺藩7万石で入りますが城山に居を置かず御止め山として入山を禁じたため遺構が良好に残っています。
遊歩道を周遊すれば一通り見ることが可能で、東出丸からは白山が眺望でき、鐘が丸には櫓台を備えた土塁が残ります。土塁の北側は骨が谷と呼ばれ、かつて前田軍に攻められたとき最大の激戦地となり多くの屍が放置されたそうです。本丸北側の通路は局谷と呼ばれ、落城の際、城内の女中が本丸より身を投げたのが名の由来だそうです。西の丸の南側には馬洗い池があり今でも水をたたえています。後述の熊はここへ水を飲みにきている可能性があります。
南東の郭・戸次丸へ向かう途中に熊のフンがありました。山家城や東北の城で見たものより小さいですね。まだ若いクマのようですが小熊ではなさそうです。こんな町に近いところにも普通に出るんですね。もう慣れっこになってしまったのでそのまま散策を続行。
せちがらい人間社会より熊のいる城山の方が落ち着く‥‥いやいや周囲の警戒を怠らず慎重に進みます。本丸には櫓台や高土塁が残り土塁の上から局谷を覗き込みます。本丸をでて馬出曲輪に到着。周囲が良く見渡せます。柿の木が有ります。先ほどのフンの主はこのあたりまで足を延ばしているかもしれません。山家城と違ってここの熊は住みついている可能性があるので朝方や夕方は特に気を付けていただきたいと思います。そういえばこの城址公園、こんなうってつけの散歩コースなのに人の姿を全く見てない。
やはりそういうことなんですかね。

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城郭情報

分類・構造 連郭式平山城
築城主 狩野氏
築城年 鎌倉時代
主な改修者 柴田勝家
主な城主 狩野氏、一向一揆勢、朝倉氏、佐久間氏、溝口氏、山口氏、前田氏
廃城年 元和元年(1615)
遺構 曲輪、土塁、茶室(長流亭)
指定文化財 市史跡
再建造物 説明板
住所 石川県加賀市大聖寺八間道
問い合わせ先 加賀市歴史文化課
問い合わせ先電話番号 0761-72-7888