家城城から徒歩40分くらいで、登城口付近(34.643060、136.3147830)に着きました。
天正年間(1573年~1592年)に長野左京進が築城したとされています。
長野左京進は北畠具教の家臣であり、1568年(永禄11年)織田信長が伊勢に進行し、北畠氏は大河内城に籠城しましたが、その際、左京進は奮戦しました。
しかし、北畠氏が織田氏陣営に吸収され、左京進も信雄の家臣となります。
1576年(天正4年)三瀬館に隠居していた具教を左京進は、柘植、滝川らと殺害しています。それ以後にこの地を与えられ築城したと思われます。
北畠(織田)信雄と羽柴(豊臣)秀吉が対立した1584年(天正12年)には信雄から蒲生氏郷を通じて秀吉方に寝返ったとされます。
同様に蒲生氏郷に内応していた小倭の岡村修理亮とは仲が悪く、その子清次郎に津の半田山で殺されました。
その後、城は織田信包が守岡金助にこの城を与えたとされます。
城跡には倒木が多いですが、土塁、堀切、竪堀などが確認できます。
攻城時間は45分くらいでした。次の攻城先=稲垣北城(城びと未登録 三重県津市)へ徒歩で向かいました。
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