9年振り桜の頃に探訪しました、今回は飯田城跡より東に約2.2km程の所に発掘調査(H19~H26)されて、整備工事が6年がかり昨年度完了公開された「吉岡大塚古墳」見学目的で寄りました。
駐車場:崇信寺駐車場10台は可能(静岡県周智郡森町飯田3052)東側、崇信寺南のジャリ道を案内指示板に従い南進約300m程の飯田城谷堀跡近くまで進行可能、3,4台駐車可能、軽四、小型車。
参考資料:余湖図コレクション、グーグルマップに依る。
崇信寺参拝して南のジャリ道を案内指示板に従って南進約300m程で飯田城の東土塁上に大看板が桜に添われて立っている、素晴らしい景観です、谷堀跡、東腰曲輪、登城を上がっていくと本曲輪口標柱、登ると広い本曲輪、一段南に2,3m程下がって二の曲輪が控えてる、結構草が深い、東土塁に登り「遠州飯田城想定図」をじっくりと眺める、往時の規模が脳裏に浮かんでくる、東土塁上を歩き物見曲輪へ、祠と飯田城跡碑、解説板が立っている、物見曲輪より本曲輪、二の曲輪を眺める、西側にも土塁があるのか?草深く前日の雨上がりで露を含んでおり眺めるだけ。
こじんまりした良い中世城館跡です。
城主山内氏は鎌倉期に当地の地頭職として本拠地の備前より赴き当初は天方城、時代は降って応永の頃1400年頃天方郷から飯田郷へ移り飯田城(飯田古城)を築く、時代の趨勢から要害性の高い居城の必要性から飯田城(新城)を築いた。
今川義元が桶狭間で討たれ、徳川氏遠州侵攻後も今川氏に忠誠を貫き徳川と戦い討たれる。(解説板要約抜粋)
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