いいだじょう

飯田城

静岡県周智郡

別名 : 飯田本城
旧国名 : 遠江

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①飯田城址碑
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昌官忠

(東海&関西)遠征24日目:飯田城 (2025/06/07 訪問)

天王バス停から徒歩15分くらいで、城址入口(34.804737、137.921868)に着きました。

飯田城は山内対馬守道美の孫である山内大和守通泰によって築かれた城です。
1569年(永禄12年)に徳川家康の家臣である榊原康政・大須賀康高らに攻められ落城し、通泰も討死しました。
1572年(元亀3年)には武田信玄の軍勢によって攻め落とされ、約5年ののちに徳川氏が奪還しましたが、そのまま廃城となったようです。

主郭周囲に土塁や櫓台、堀などの遺構が残っています。
物見曲輪に城址碑と説明板が建てられています。
攻城時間は20分くらいでした。次の攻城先=飯田古城(城びと未登録 静岡県森町)へ徒歩で向かいました。

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カズサン

9年振り桜の頃探訪 (2024/04/04 訪問)

 9年振り桜の頃に探訪しました、今回は飯田城跡より東に約2.2km程の所に発掘調査(H19~H26)されて、整備工事が6年がかり昨年度完了公開された「吉岡大塚古墳」見学目的で寄りました。

 駐車場:崇信寺駐車場10台は可能(静岡県周智郡森町飯田3052)東側、崇信寺南のジャリ道を案内指示板に従い南進約300m程の飯田城谷堀跡近くまで進行可能、3,4台駐車可能、軽四、小型車。
 参考資料:余湖図コレクション、グーグルマップに依る。

 崇信寺参拝して南のジャリ道を案内指示板に従って南進約300m程で飯田城の東土塁上に大看板が桜に添われて立っている、素晴らしい景観です、谷堀跡、東腰曲輪、登城を上がっていくと本曲輪口標柱、登ると広い本曲輪、一段南に2,3m程下がって二の曲輪が控えてる、結構草が深い、東土塁に登り「遠州飯田城想定図」をじっくりと眺める、往時の規模が脳裏に浮かんでくる、東土塁上を歩き物見曲輪へ、祠と飯田城跡碑、解説板が立っている、物見曲輪より本曲輪、二の曲輪を眺める、西側にも土塁があるのか?草深く前日の雨上がりで露を含んでおり眺めるだけ。
 こじんまりした良い中世城館跡です。

 城主山内氏は鎌倉期に当地の地頭職として本拠地の備前より赴き当初は天方城、時代は降って応永の頃1400年頃天方郷から飯田郷へ移り飯田城(飯田古城)を築く、時代の趨勢から要害性の高い居城の必要性から飯田城(新城)を築いた。
 今川義元が桶狭間で討たれ、徳川氏遠州侵攻後も今川氏に忠誠を貫き徳川と戦い討たれる。(解説板要約抜粋)
 

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じゅんじん

13年ぶり (2024/01/28 訪問)

かなり整備されていました。駐車場もあり。

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しんちゃん

良く整備された中世城郭。遺構も残る。有り難や。 (2021/12/24 訪問)

飯田城は今川方に属する山内大和守道泰の城で、今川氏への忠節を貫き
榊原康正・大須賀康高らの攻撃を受け凄惨な最期を遂げ、飯田城も
落城したとあります。
城址は良く整備され、散策しやすく遺構も良く残っています。
南西より虎口・大手口を通り帯曲輪・二の丸などの遺構を見ながら
本曲輪に至ります。
各所に土塁が残り本丸北側には物見曲輪もあり天守の雰囲気も漂います。
北西側には二重の堀切があるそうなのですが草が生い茂っていて良く見えません。
飯田城の北側にある崇信寺は古城と呼ばれていて土塁が残っていました。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 山内道美
築城年 応永7年(1400)頃
主な城主 山内氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 町史跡
再建造物 石碑、説明板
住所 静岡県周智郡森町飯田