ゆらだいば

由良台場

鳥取県東伯郡


旧国名 : 伯耆

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征9日目:由良台場 (2026/05/19 訪問)

青山剛昌ふるさと館から車で5分弱で、お台場公園南側駐車場入口(35.498859、133.756488)に着きました。

江戸末期、鳥取藩内に築かれた台場名所の内のひとつ。現在6ヶ所(由良台場跡 境台場跡 淀江台場跡 橋津台場跡 浦富台場跡 赤崎台場跡)が残っています。
農民等が積極的に協力して築造し、西洋式の城塞プランが採用されるなど、藩築造の台場としては極めて特徴的で、幕末史の理解に欠くことのできない重要な遺構のようです。
由良台場跡は、高島秋帆に西洋砲術を学んだ武信潤太郎を総指揮者として、伯耆5台場のうち最も早く着手され、1864年(文久4年)に完成しました。
平面形が正八角形を真横に二分した形で、東西125m、南北80m、土塁の高さ5m、総面積8,000平方メートルの遺構がほぼ完全に残っています。
鳥取藩史によると、台場には近くの六尾反射炉で製造された60斤砲、24斤砲、15斤砲、5寸径砲各1門が配備されたそうです。

現在、史跡周辺は公園として整備され、高い土塁に囲まれています。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=槻下豪族館に向かいました。

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赤い城

鳥取藩の台場のひとつ (2025/11/25 訪問)

幕末に築かれた鳥取藩の台場のひとつ。
9カ所築かれたうち残るのは6カ所、その中でも最も保存状態が良いとされています。

公園になっていて駐車場もあります。
周囲を囲む土塁が残り、北側の砲台部は御胸壁、砲台、往来の三段になっています。
土塁の外側は道路が走りますがその先は海岸、冬の日本海でもこの日は穏やか、鉛色の雲も趣があるんですけどね。
南側には虎口があり、外側にも土塁があって目隠しとなっていました。

所用の時間も迫っていましたが充分見学することができました。

【見どころ】
 ・土塁
 ・南側の虎口
 ・日本海を望む眺望

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しんちゃん

月に願いを 🚀🌝 (2025/06/28 訪問)

今日はバックムーンらしいです。バックと言ってもT-バックのバックじゃないですよ。英語圏で雄シカのことをバック(buck)というらしくて、7月は雄シカの角が生え変わる時期の為、7月の満月のことをバックムーンというらしいですわ。

由良台場は幕末に鳥取藩によって築かれた台場の一つで昔、藩倉が置かれた由良湊に築かれました。鳥取藩によって築かれたとは言っても、藩の財源が乏しかったため費用は大・中庄屋や豪農らによって賄われ、総人数のべ7万5000人が動員されたようです。由良台場は周囲に高さ4.5mの土塁を設け、四門の砲座を備え、由良湊近くの六尾反射炉で製造された大砲が設置されました。
一部復元もあるでしょうが、良く形状を残しており三段の土の造形はアートのようにも見えます。

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にのまる

江戸末期の原型ほぼ完存の国史跡 (2023/04/22 訪問)

米子城訪問を終え、米子駅(ねずみ男駅)から鳥取行きの山陰本線に1時間揺られて到着した由良駅はコナン駅。
(「時計じかけの摩天楼」「天国へのカウントダウン」「業火の向日葵」はよく見ていました(・∀・)/)
コナン君たちの出迎えにホクホクしながら歩き、途中、由良藩倉跡に寄ってから由良台場へ。
幕末に築造されたフランス式砲台は藩の財政難のため、資金も労働力も民間に頼っていたそうで、日本の隅々まで時代の大きなうねりの中にあったことを思います。
きれいな緑の芝の敷かれた台場跡は「市民の憩いの場」(←城郭用語!?)
「八角形を二つに割った」「長方形の2隅を落とした」と表現される六角形の稜堡式城郭は4門の砲座跡が海に向かっており、近づいてみるとその大きさに圧倒されてしまいました。
さまざまな時代を経て今があることを思いながら土塁の上をひとまわりしました。
初めて訪れた土地の土塁の上で沈む夕日を眺める贅沢なひとときを持てたことに感謝。

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城郭情報

分類・構造 台場
天守構造 なし
築城主 武信潤太郎
築城年 文久4年(1864)
主な城主 鳥取藩
遺構 土塁
指定文化財 国史跡(鳥取藩台場跡)
再建造物 説明板、大砲
住所 鳥取県東伯郡北栄町由良宿
問い合わせ先 北栄町生涯学習課
問い合わせ先電話番号 0858-37-5871