とよたのたち

豊田館

岩手県奥州市

別名 : 豊田城
旧国名 : 陸奥

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しんちゃん

奥州藤原氏四代の祖 (2025/01/05 訪問)

豊田館は国道と県道の交差する北東側の丘陵に築かれていました。館跡には江刺市の文化財に指定されている豊田城趾碑があり、
「昔 亘理権太夫(藤原)経清の城であった、経清 平泉の役(厨川柵)で戦死し、其の子権田郎清衡、勤王の勲功があったので奥の六郡の領主としてここに居た。其の当時、北上川は豊田城のあたりを流れていて、浮梁(舟橋)と言う地名が今も残っている(中略・・・)
年を経るに従い土地の人でさえ忘れられるので、この碑を建て、後の世まで伝えるものである。」
といったことが記載されているようです。この碑が立てられたのが安永三年で関わった人物の名も記載されています。
やがて、清衡は藤原姓に戻って、平泉に戻り奥州藤原氏四代の祖となった・・と考えると「おおっ」となりますね。

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にのまる

藤原経清・清衡の館 (2022/11/26 訪問)

新幹線の水沢江刺駅から徒歩約1時間。
前九年合戦から後三年合戦にかけての奥州の歴史には惹かれるものがあり、この地に来られたというだけで満足です。建物のイメージはこの後に行ったえさし藤原の郷で(^o^)/

駅から向かう途中「新奥の細道」の案内板があったので見てみるとこのあたりは『義経北行コース』上で、近くに弁慶屋敷跡なるものがあるとのことでしたので寄ってみました。伝説の仔細は写真⑩のとおりですが、これほど具体的な伝説が生まれたのは義経の生き様の壮絶さ故と、改めて菅田将暉くんを思い出したりしました。

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カズサン

平泉に移る前の藤原清衡の館 (2020/10/26 訪問)

人首城を終えて西方に約14、5km程の豊田館を目指す、情報とガイドは何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさん、走行中コンパクトカメラのバッテリーをシガレットソケットに繋ぎ充電するが中々満充電に成らない。
 県道8号線を走りながら所々にえさし藤原の郷看板が目に入って来る、ナビを国道465号線と県道156号線の交わる手前の県道156号線約20m北側に公園駐車場に合わせ到着。
 
 5m程の高台に館跡が有り公園化されてる、堂と石碑、案内板、東屋が立ってる、割とこじんまりした館跡。
 
 歴史的には清衡の父藤原経清の館で経清は安倍氏と婚姻関係を結び清衡が生まれる、前九年役で経清は安倍氏と結び源頼義と対抗し捕らえられ殺害される、清衡の母は清原氏と再婚し後の後三年の役後清原氏が奥六郡を治める事に清衡が後を治める事になり横手の館から父の館、豊田館に戻り藤原姓に復した。
 この後平泉に館を構えて奥州藤原三代の栄華を極める。

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藤原経清・清衡縁の地 (2020/09/19 訪問)

 藤原清衡生誕の地と伝えられています。公園として整備されています。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 藤原経清
築城年 長元年間(1028〜1038)
主な城主 藤原氏
遺構 曲輪
指定文化財 市史跡(豊田館跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 岩手県奥州市江刺岩谷堂字下苗代沢
問い合わせ先 奥州市役所江刺総合支所
問い合わせ先電話番号 0197-35-2111