【日本100名城・伊賀上野城編】「築城の名手」に託された、時代の転換を象徴する大改修

伊賀上野城の代名詞といえば、高さ約30mもある全国有数の高石垣。この高石垣は、「築城の名手」藤堂高虎による大改修によって、大坂城をにらみつけるように築かれたもの。大改修の背景には、豊臣氏と徳川氏との間に高まる緊張感がありました。天守の復興に尽力した川崎克や、俳人・松尾芭蕉など、伊賀出身の人物とともに伊賀上野城をご紹介します。

■もともとは豊臣氏を守るための城

天正13年(1585)、3重の天守を備えた伊賀上野城(三重県伊賀市)が築かれました。築城主は羽柴(豊臣)秀吉に仕えていた筒井定次。伊賀上野城は、大坂城を中心とする豊臣氏の守りを固める役割を担いました。

伊賀上野城,城びと
伊賀上野城に残る、筒井定次が城主の頃に築かれた石垣

この年、秀吉は関白に就任し、秀吉への権力の集中が加速していました。秀吉の弟、羽柴秀長が大和郡山城(奈良県大和郡山市)の城主になったのにともない、定次は大和郡山から伊賀国(三重県西部)へと移ります。

秀吉が亡くなると、豊臣氏から徳川家康へと権力の中心が移っていきます。それでも、大坂城(大阪府大阪市)には秀吉の子・豊臣秀頼が健在であり、豊臣氏と家康との間に緊張感が高まっていました。

伊賀上野城,城びと
筒井氏の時代に本丸があった場所に、藤堂氏は城代屋敷を建てた 

そこで、家康が目を付けたのが伊賀上野城でした。

■「打倒豊臣氏」を意識して築いた高石垣

慶長13年(1608)、徳川家康は筒井定次を改易し、代わりに宇和島城(愛媛県宇和島市)の城主・藤堂高虎を伊賀国に移しました。

藤堂高虎は「築城の名手」と称され、もともとは浅井長政や羽柴秀長、そして羽柴(豊臣)秀吉などに仕えたのち、秀吉の死後は家康に重用されていました。

こうして慶長16年(1611)、家康の命によって高虎は、伊賀上野城の大改修をおこないました。

伊賀上野城,城びと
本丸西面の高石垣は高さ約30mもある

改修によって伊賀上野城の本丸を拡張し、10棟の櫓や、巨大な渡櫓をのせた東西の両大手門、御殿などが建てられました。そして、極めつけは本丸西面で、高さ約30mもの高石垣がそびえることになります。

伊賀上野城の本丸西面ということは、まさに大坂城に向いており、豊臣氏に対抗するために築かれた厳重な防御だとわかります。

伊賀上野城,城びと
大坂城をにらむかのように、本丸西面に築かれた高石垣

筒井定次の時代には、豊臣氏の守りを固めるための伊賀上野城でしたが、高虎による改修を機に、豊臣氏に対抗する城として生まれ変わったのです。

伊賀上野城,城びと
上部から高石垣をのぞきこむと、急な傾斜や高さが実感できる

伊賀上野城に計画された5重の天守は、慶長17年(1612)9月、建設中に暴風によって倒壊してしまいました。

伊賀上野城,城びと
石を割るときに空けられた「矢穴」が残る石材

慶長20年(1615)、大坂夏の陣で勝利した江戸幕府は、以降の城普請を禁じます。そのため、伊賀上野城の天守は再建されませんでした。それでも、伊賀上野城は伊賀国の城として認められ、城代(城主の代理人)が置かれ、藤堂氏が明治維新まで治めました。

■「伊賀文化産業城」として復興

現在の天守は、昭和10年(1935)に復興された建物です。伊賀上野の代議士、川崎克(かつ)が中心となり、支援者の協力を得ながら私財を投じて建てました。

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木造3重の大天守は2重の小天守をともなっている

当時はコンクリート造りを推す意見もありましたが、木造3重の大天守と2重の小天守として復興されました。文化と産業の振興の拠点として「伊賀文化産業城」と名付けられます。

川崎克は、明治13年(1880)に現在の伊賀市で生まれ、明治34年(1901)に日本法律学校(現日本大学)を卒業。大正4年(1915)、三重県から衆議院議員に初当選しました。このとき、川崎克に資金援助をしたのが、実業家・渋沢栄一でした。前年に川崎克が発行した「自治新聞」の題字を、栄一が担当しています。

伊賀上野城の天守内には、川崎克のブロンズ像が展示されています。このブロンズ像の作者は朝倉文夫。朝倉文夫といえば、岡城(大分県竹田市)二の丸に立つ瀧廉太郎像のほか、東京国際フォーラムに立つ、江戸城を築いた太田道灌の像などを手がけています。ですので、朝倉文夫は城とゆかりの深い彫刻家と言えるかもしれません。

■伊賀上野は松尾芭蕉と忍者ゆかりの地


伊賀上野城,城びと
東の空を仰ぎ見る芭蕉の像

川崎克のほか、伊賀出身の有名人と言えば、俳人・松尾芭蕉です。伊賀上野城の最寄り駅、伊賀鉄道伊賀線「上野市」駅前には松尾芭蕉の像がたっています。若かりし頃の芭蕉は、俳句を通じて藤堂氏と親交を深めていました。

ちなみに、伊賀上野城がある上野公園内にも、芭蕉生誕300年を記念して建てられた「俳聖殿」があります。建てたのは、天守と同じく川崎克です。

伊賀上野城,城びと
昭和17年(1942)、松尾芭蕉の生誕300年を記念して建てられた俳聖殿

また、伊賀上野は「忍者の里」でもあり、「伊賀流忍者博物館 」の見学や体験、伊賀鉄道のラッピング列車「忍者列車」の乗車もおすすめです。
     
伊賀上野城,城びと
伊賀鉄道伊賀線の「忍者列車」。伊賀上野駅と伊賀神戸駅を結ぶ

さらに、三重県に残る唯一の藩校建築、「旧崇広堂」(国指定史跡)もお見逃しなく。文政4年(1821)、10代藩主・藤堂高兌(たかさわ)によって、津(三重県津市)の藩校「有造館」の支校として建てられました。

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旧崇広堂は、天守から南南西に約300mの位置にある

全国屈指の高さを誇る高石垣と、松尾芭蕉や川崎克ら伊賀出身者の足跡が残る伊賀上野城。忍者の気配が感じられる城下町とともに、じっくりと散策してみてはいかがでしょうか。

伊賀上野城,城びと
あらゆる場所や角度から高石垣を堪能したい

住所:三重県伊賀市上野丸之内
電話:0595-22-9611
アクセス:伊賀鉄道「上野市」駅から徒歩8分

執筆・写真/藪内成基(やぶうちしげき)
国内・海外で年間100以上の城を訪ね、「城と旅」をテーマに執筆・撮影。著書『講談社ポケット百科シリーズ 日本の城200』(講談社、2021)。『地図で旅する! 日本の名城』(JTBパブリッシング)や『1日1ページ、読むだけで身につく日本の教養365歴史編』(文響社)などで執筆。日本お城サロン(まいまい京都主催)のコーディネーターを務める。

※歴史的事実や城郭情報などは、各市町村など、自治体や城郭が発信している情報(パンフレット、自治体のWEBサイト等)を参考にしています。

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