続日本100名城

やまとこおりやまじょう

大和郡山城

奈良県大和郡山市

別名 : 郡山城、冠山城、犬伏城、雁陣之城
旧国名 : 大和

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大和郡山城
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イオ

外堀めぐり(南半分) (2021/09/05 訪問)

(続き)

外堀は、蛇ヶ池から南の大職冠裏池に続いていましたが、現在では丘陵の断崖に堀跡を感じられるくらいです。西矢田辻番所跡を経て、箕山裏池から外堀は東方向に折れますが、外堀南辺はほとんど埋め立てられていて、このあたりでは駐車場奥の段差に堀の痕跡を見ることができるだけです。

外堀南西隅部に大和大納言と呼ばれた豊臣秀長の墓所・大納言塚があるので、ちょっと寄り道しました。大和郡山城で病死した秀長はこの地に埋葬されましたが、豊臣家の滅亡により墓所も荒れ果てていたのを、江戸中期に菩提寺・春岳院の僧が城下町の人々とともに土塀をめぐらせ五輪塔を建てたとのことで、徳川の天下にあっても城下町を拓いた秀長は人々から慕われていたんでしょうね。しばし手を合わせてきました。

大納言塚から東方向の箕山裏池や高塚池あたりには堀の痕跡すら見当たりませんが、近鉄郡山駅すぐ南の踏切北の線路の下を流れる水路が堀の名残らしいです。踏切を渡って少し行くと、東西に続く外堀と市役所前の大手堀から南にのびる中堀との合流地点に至り、郡山八幡神社に沿って南から東にL字型に続いています(八幡堀池)。八幡神社の裏手には堀沿いの土塁が遺っており、神社側からは見づらいので、西側の民家の間からどうぞ。八幡神社の南東部にはかつて柳町大門と呼ばれる高麗門があり、伏見城惣門の移築と伝わりますが、
現在では石碑と跡地の銭湯にその名を残すくらいです。

柳町大門跡の東の牢屋裏堀や洞泉寺裏池はスーパーの敷地になっていて、県道側に立派な石碑があるだけでした。県道沿いに北に少し行くと東側に高麗門が見えてきます。外堀緑地の南門で、柳町大門をイメージして建てられた模擬門のようです。門をくぐると、細長い公園が北向きに曲がりながら続いています。外堀緑地は外堀を埋め立てて市民憩いの場として整備したもので、水路や橋、築地塀を設けて外堀の雰囲気を残しています。常念寺裏堀のあたりに城下の木戸をイメージした冠木門(模擬門)の北門があり、外堀緑地はここまで。外堀緑地から北に続く宮本上池も高付上池も、道路整備のため近年に埋め立てられてしまい痕跡も見られませんが、現地の完成予想図を見ると、外堀緑地と同様に外堀の面影を残したミニ公園が設けられるようです。

…と、これで外堀をひとめぐり。約7kmのコースで、自転車でも2時間あまりを要しましたが、北辺は思ったよりも外堀がそのままに近い姿で遺っており、西辺では高低差を利用した様子が見られ、南辺は痕跡すらほとんどなかったものの、東辺では都市整備を進める中で外堀の面影を伝えていこうとする取り組みがあり、それぞれ興味深くめぐることができました。

そのままではいずれ消滅してしまうだろう外堀を、公園整備や道路整備、治水整備に活用しつつ後世に存在を伝えていく大和郡山市の取り組みは、城好きにとっては大変ありがたいものです。おかげさまで半日かけてとことん大和郡山城を堪能することができました。
 

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イオ

外堀めぐり(北半分) (2021/09/05 訪問)

本丸(極楽橋)、二の丸・三の丸に続いては、自転車で惣構の外堀めぐりです。大和郡山市観光協会公式ウェブサイトでダウンロードできる「郡山城外堀跡コース」のマップを片手に、惣構北東部の広島下池からスタートです。

広島下池・上池は秋篠川を付け替えた元の川筋を堀としたもので、石碑と郡山城外堀案内板が建てられています。時季的にウキクサが水面を埋め尽くしていましたが、L字型に長くのびる堀の内側にはかつては土塁が設けられ、松や竹が植えられていたそうで、堀沿いのお土居公園には往時の名残の松と説明板がありました。

広島浅池は広島下池・上池から小川町裏池に続く堀で、小川町裏池は水をたたえた堀が東西にのびています。小川町裏池から西は埋め立てられていますが、正願地上池では外堀跡を利用した保水池整備事業により、堀跡と土塁上の竹藪を見ることができます。また、その西側の代官池でも保水池整備事業により外堀の存在をはっきりと認識できます。

代官池に隣接する鴫ヶ池は溜池を堀代わりとしたもので、現在は南半分が埋め立てられています。鴫ヶ池から続く番鐘池も溜池を堀としたものですが、現在は住宅地になっていて痕跡もありません。番鐘池から西の尼ヶ池までの間は一面に金魚池が広がっていて、柳沢氏入封以来の金魚の産地らしい景色です。

尼ヶ池とその南西の蛇ヶ池をつなぐ細長い堀は竹藪になってしまっており、蛇ヶ池も埋め立てられて住宅地になっていますが、道路との高低差に痕跡を見ることができます。このあたりで外堀めぐりも約半周。後半に続きます。
 

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イオ

門と石垣と堀 (2021/09/05 訪問)

(続き)

本丸を出て、中仕切門の前を過ぎて西に少し行くと、二の丸と麒麟郭を結ぶ松蔭門があり、道路の両脇に石垣が遺っています。松蔭門の北側には松蔭堀(松蔭池)と呼ばれる水堀があり、石垣が門から続いています。松蔭門から南に進むと、鷺池と鰻堀池の間に南御門があり、南御門から南に徒歩2分の永慶寺は柳沢氏の菩提寺で、山門は南御門の移築とされます。

鷺池は二の丸(現在は郡山高校)南側の溜池を堀代わりとしたもので、南岸の遊歩道からは、池越しに生い茂る樹木の間に坤櫓や砂子の間前櫓などの石垣を見ることができます。

鷺池の東、市役所南西の交差点には柳御門と頬當門があり、二つの門で枡形を構成していたようです。門の東側、市役所正面には大手堀が水をたたえ、大手堀東端には南にのびる中堀に架かる大手橋の欄干が遺っています。

三の丸緑地北の踏切を渡ったところには、三の丸と二の丸を結ぶ鉄御門があり、巨石を用いた石垣が見られます。鉄御門から踏切を戻って北に行くと、五軒屋敷堀の北端に桜御門があります。桜御門の石垣には武蔵坊弁慶の足型と伝わる窪みのある石があるようですが、見落としてしまいました…。

桜御門の北の踏切を渡り、空堀沿いに西に進んで行くと、左京堀越しに天守台が見えました。左京堀は北西隅で南に折れ、幅広く深い堀が西御門まで続いています。西御門の南からは堀底に下りることができます。堀代わりの鰻堀池の水上には遊歩道が設けられ、水面近くから石垣を眺めることができました。

これで二の丸、三の丸など周辺の曲輪をひとめぐり。大和郡山市観光協会公式ウェブサイトでダウンロードできる「郡山城跡案内絵図」を参照しながら1時間あまりかけてめぐりましたが、あちこちに門と石垣と堀が見られ、実に見応えがありました。でも、まだまだ終わりではありません。車に積んできた折りたたみ自転車に乗り換えて、外堀めぐりに出発です(続く)。

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イオ

極楽橋復元 (2021/09/05 訪問)

平安末期に郡山衆が築いた城(雁陣之城)がはじまりで、織豊期には織田信長の大和一国破城令により筒井城から筒井順慶が入城し、天守を築くなど居城として改修しました。順慶の死後、筒井定次は伊賀上野に転封となり、代わって入った羽柴秀長が大和・和泉・紀伊100万石の居城に相応しく大規模に改修、現在見られる曲輪と城下町を築きました。秀長と豊臣秀保の死後は増田長盛が入城し、惣構の外堀を完成させましたが、関ケ原の戦いで西軍に与したことにより長盛は高野山に追放され、大和郡山城は奈良奉行所の管理下に置かれます。大坂夏の陣では、城主となっていた筒井定慶が豊臣方の誘いを拒んで大野治房らの攻撃を受け、福住中定城へ撤退しましたが、一戦もせずに城を捨てたことを恥じて自害し、大坂の陣終結後には水野勝成が入りました。その後、松平氏、本多氏を経て、江戸中期には柳沢吉里が入封し、柳沢氏のもとで明治を迎えました。廃城令により城内の建物は撤去(移築)されましたが、昭和に追手門、追手東隅櫓、多聞櫓、追手向櫓を復元、平成には天守台を修復、今年(令和3年)3月には極楽橋が復元されています。

西ノ京丘陵の南端に位置する平山城で、京街道、奈良街道、伊賀街道、高野街道に通じた交通の要衝であり、城郭部を内堀と中堀で区画し、城下町を5.5kmに及ぶ外堀と土塁で囲んだ惣構の巨大城郭です。発掘調査で発見された礎石により天守の存在が確認され、慶長期二条城を経て淀城に移築されたと考えられています。

大和郡山城は2年半ほど前に登城していますが、今回のお目当ては前回は復元工事中だった極楽橋と、周辺の曲輪と堀、そして外堀めぐりです。まずは復元された極楽橋へ。本丸と毘沙門郭を隔てる内堀に架かる橋で、構造の詳細は不明ながら、江戸期の史料や発掘調査の成果に基づき木造で復元されました。本丸へ至る大手道だけに高欄に擬宝珠を設けた立派な造りで、橋の上から内堀を見下ろすと、堀の深さと幅広さを実感させられます。橋を渡ったところの白沢門付近はまだ工事中で、引き続き整備されるようです。柳澤神社にお参りして天守台に登る前に、東側の月見櫓趾へ。ここからは内堀に架かる極楽橋がよく見えます。天守台はさかさ地蔵が有名ですが、それ以外にも転用石があちこちに見られます。付櫓台から天守台に登ると、展望台からは奈良盆地を一望する絶景! やっぱりいいですね。

本丸周辺は前回ひとめぐりしているのでこれくらいにして、竹林門を出て中仕切門の前を通って、今度は周辺の曲輪と堀をめぐります(続く)。
 

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城郭情報

城地種類 輪郭式平山城
築城年代 応保2年(1162)[雁陣之城]、天正8年(1580)[郡山城]
築城者 郡山衆[雁陣之城]、筒井順慶[郡山城]
主要城主 筒井氏、豊臣氏、水野氏、柳沢氏
文化財史跡区分 県史跡(郡山城跡)
近年の主な復元・整備 筒井順慶、豊臣秀長、増田長盛
天守の現況・形態 型式不明[5重6階?/1583年築/焼失(火災)?]
主な関連施設 追手向櫓、追手門、東隅櫓、多聞櫓、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(水堀)
住所 奈良県大和郡山市城内町2-18
問い合わせ先 大和郡山市地域振興課
問い合わせ先電話番号 0743-53-1151