続日本100名城

やまとこおりやまじょう

大和郡山城

奈良県大和郡

投稿する
大和郡山城
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

トーダイ

やはり石垣が素晴らしいです (2020/10/09 訪問)

近くに来たので寄ってみました。
4回目の登城、やはり石垣が素晴らしいです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

転用石・石垣の孕み・おもしろ石積み (2019/05/22 訪問)

【大和郡山城】
<感想>仕事半休を取り、天気がよかったので午後からバイクにてツーリングがてら城攻めの1城目。大和郡山城は3度目の来城。天守台は近年積み直しして転用石は元に戻してあったのかどうか前回きちんと見なかったので気になっていたのと、復元の櫓は内部に入れなかったのは記憶していたが、追手門はどうだったか確認していなかったので行ってみた。
 こういう理由で今回は石垣をじっくり観察した。結果は天守台の転用石はさかさ地蔵を除いてきれいに無くなっていた。野面の間詰め石が真新しかった。そして追手門は内部には入れなかった。木造再建櫓・門にも入れるようにすればいいいのに。残念です。
 
 転用石は本丸東面北側に特に多く、そのあとは北西側にもいくつかある。その他の場所にはあまり見当たらなかったということは、石材不足もあるが集めた石材を御加護があるようわざと天守台や天守台下の本丸石垣に使用した様子が感じられた。本丸全体からみると北東側鬼門の位置にもあたるからからか。

 石垣の孕みは転用石の集まっている本丸東面北側のすぐ上方に長く膨らんでいる。来城された方はすぐわかったと思います。本丸石垣は見れる範囲では他にはなかった。

 おもしろ石積みは本丸側で極楽橋を再建していて、添付写真の通り本丸側の石垣の折れの部分の隅角部にある。一番負荷のかかるところなのだろうが平たい石の下に団子石3兄弟とはちょっと驚き(゜_゜>)です。テキトー、算木積み完全未発達・・

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

くろもり

勘兵衛の『城明け渡し』 (2015/12/06 訪問)

車で訪問しました。みなさんの投稿の通り、駐車場が分かり辛かったです。狭い一本道の先の追手門の横に7~8台分の無料駐車場がありました。

訪問時は天守台がまだ工事中で中に入れませんでしたが、外側から古い野面積みの石垣を見るだけでも十分城を堪能できました。

小一郎こと豊臣秀長の100万石の居城として有名な郡山城ですが、自分の中では関ヶ原の合戦後に、城主・増田長盛の留守中に郡山城を守り通した渡辺勘兵衛了(わたなべかんべえさとる)の『城明け渡し』の舞台の印象が強かったです。

関ヶ原の合戦後、大和国郡山城20万石の大名であった増田長盛は西軍に加担した為、出家して家康に謝罪し、高野山へ蟄居してしまいました。長盛の大坂出陣中に郡山城を任されていたのが渡辺勘兵衛で、郡山城を接収しに来た藤堂高虎と本多正純に「主君・長盛の命でこの城を預かっている。長盛の命でなければ、誰にも城を明け渡すことはできない」と東軍の要求を突っぱねます。結局、高野山の長盛が「開城せよ」との書状を書いてようやく勘兵衛は東軍に郡山城を明け渡しました。

時は戦国、敗軍となれば味方が賊に変わり寝首をかかれるかもしれない時代に、郡山城を守り通し(おそらく城下町の治安も維持)主への忠義も果たした勘兵衛は、後に藤堂高虎に4千石から2万石に加増され召し抱えられました。

このままハッピーエンドで終わらないのが勘兵衛らしいところで、そんな無骨な勘兵衛の生涯が気になる方は池波正太郎先生の『戦国幻想曲』必読です。上司にしても部下にしても苦労しそうな人間ですが、嫌いにはなれない生き様です。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

かず

行ったど~ (2019/06/20 訪問)

車で行ったが入口が少しわかりにくい。

+ 続きを読む

城郭情報

城地種類 平山城
築城年代 天正8年(1580)
築城者 筒井順慶
主要城主 筒井氏、豊臣氏、水野氏、松平氏、本多氏、柳澤氏
文化財史跡区分 県指定史跡(郡山城)
近年の主な復元・整備 天守台石垣解体整備、展望デッキ整備、天守台・付櫓台・周辺園路部舗装
主な関連施設 (公財)郡山城史跡・柳沢文庫保存会
主な遺構 本丸、二の丸(毘沙門郭・陣甫郭・常盤郭など)、天守台
住所 奈良県大和郡山市城内町2-18
問い合わせ先 大和郡山市地域振興課
問い合わせ先電話番号 0743-53-1151