【続日本100名城・知覧城編】火山地形を活用した南九州特有の中世城郭

「知覧」と聞くと武家屋敷群のイメージが強いかと思いますが、元々は中世の城郭、知覧城が原点です。知覧城のある鹿児島県は、火砕流堆積物からなる「シラス台地」にほぼ覆われています。そんな特殊な地形の中で、シラス台地を切り込んだため、堀が深く、規模が大きいなどの独自の城の構造が発展してきました。近世になると、薩摩藩は独自の統治システム「外城制」を敷きましたが、その代表格として知覧が挙げられます。(※2019年1月18日初回公開)




知覧城、本丸跡
シラス台地上の知覧城本丸跡。南北約600m、東西約700mにも及ぶ南九州を代表する城郭

「シラス台地」を生かした城の代表格

知覧城、空堀、大空堀
シラス台地の浸食谷を生かして造られた大空堀。堀の底は道路としても使用された

知覧城は標高170mの「シラス台地」に築かれ、切り立ったシラス崖によって本丸、倉ノ城(くらんじょう)、今城(いまんじょう)、弓場城(ゆんばじょう)の4つの独立した曲輪(くるわ)に分けられています。各曲輪は約40mの切り立った崖によって守られています。

シラス台地とは、鹿児島湾内の姶良(あいら)カルデラから約2万6000年前に噴出した火砕流堆積物からなる台地を指します。鹿児島県を中心に広く残されており、その台地上には霧島山、桜島などの火山灰が堆積しています。シラス土壌は一般的な石垣のような勾配にすると雨水に浸食されてしまうため、垂直に切断することで安定させています。このように直立した崖を利用して作られた城は、中世の城跡の中でも南九州特有のものです。知覧城跡はその中でも特に保存状態がよく、規模も大きな城跡です。

島津家ゆかりの佐多氏が知覧城の礎を築く

知覧城、桜島
現在も噴火を続けている桜島は、姶良カルデラの南端に当たる

知覧城、枡形虎口、曲輪
シラス台地を削って造られた桝形虎口(ますがたこぐち)。主要な4つの曲輪(くるわ)それぞれに残っている

鎌倉時代には知覧氏が治めていた知覧城ですが、南北朝時代に島津氏庶流(分家)の佐田氏に与えられています。佐田氏は島津家三男の家。途中で知覧城を奪われたり、左遷されたりしながらも知覧城を居城にしました。

10代当主・佐多久政は、天正8年(1580)から豊後(大分県)に駐屯し、豊臣秀吉による天正15年(1587)の島津攻めの際に討死。さらに11代当主・佐多久慶は文禄の役に朝鮮に出兵したように、佐多氏が島津氏を献身的に支えていたことがうかがえます。その後、佐多久慶の時に知覧城で火災があり、以後廃城になりました。

近世には佐多氏私領の外城(麓)として、知覧城の支城であった亀甲城の山麓に知覧麓(ちらんふもと)が造られ、明治維新まで存続しました。今でこそ知覧麓は、重要伝統的建造物群保存地区として保存され、多くの観光客が訪れていますが、元々は知覧城こそが佐多氏の居城として軍事や政治経済の中心だったのです。

薩摩特有の統治システム「外城制」の代表格・知覧麓

亀甲城、知覧城、知覧麓
知覧城の支城・亀甲城の麓に知覧麓が造られた

慶長20年(1615)に一国一城令が制定され、一部の特例を除き、全国の城は本城を残し、支城は廃城とされました。2国をもつ大名の場合は1国につき1城ずつの存続が許されたものの、関ヶ原の戦いで西軍に属した島津氏は、薩摩と大隅の2国を領有しながら、鹿児島城のみしか認められませんでした。また、薩摩藩の4人に1人は武士階級であったため、他藩のように武士を城下町に集住できませんでした。

知覧麓、知覧城
「外城制」の代表格である知覧麓の町並み

そこで、薩摩藩は「外城(とじょう)制」という独特の領国統治システムを造りあげました。琉球や大部分の離島を除いた薩摩藩内を113の「外城(とじょう)」に分割し、それぞれに政治や経済の中心となる「麓(ふもと)」と呼ばれる集落を置き、武士を配置させて地方行政・防衛を行わせたのです。この外城は、戦国時代に使われた山城の山麓に置かれる場合が多く、知覧もその代表的な一例です。知覧城のほかに、続日本100名城・志布志城(鹿児島県志布志市)麓の武家屋敷跡にも、江戸時代に造られた外城の跡を見ることができます。

知覧麓の武家屋敷群は庭園もみどころ

知覧麓、武家屋敷
武家屋敷の正面には屏風石が置かれ、行く手を阻む

知覧麓は東西に通る本馬場通りを中心に、約18.6ヘクタールが国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。本馬場通りは真っすぐに見通せないように曲線になっており、両側には切石や玉石が積まれ、内側が武家屋敷になっています。武家屋敷には門が立ち、門をくぐると正面に屏風石とよばれる石垣の壁が行く手を阻みます。

知覧麓
知覧麓のメインストリート「本馬場通り」。まっすぐ見通せないように曲がっている

さまざまな軍事上の工夫がこめられた城下町ですが、武家屋敷内では庭園が整備されており、名勝に指定されている7つの庭園は見学できます。知覧麓では、イヌマキやツツジの生垣や、「薩摩の小京都」とよばれる風情ある町並みが味わえます。

知覧麓、知覧茶
知覧麓の郊外には知覧茶の畑が広がる

知覧城と知覧麓をめいっぱい散策した後は、ほのかな甘みがたまらない知覧茶で一服してみてはいかがですか? 鹿児島はお茶の名産地ですが、中でも知覧茶は、知覧の特産品で、農林水産大臣賞なども受賞しています。武家屋敷群周辺の露店や喫茶店、カフェでいただくことができます。

知覧城
住所:鹿児島県南九州市知覧町永里
電話番号:0993-83-4433(ミュージアム知覧)
入城時間:なし
入城料:なし
アクセス:JR九州新幹線「鹿児島中央」駅から鹿児島交通バス1時間14分「中郡(南九州市)」停留所下車徒歩約15分
 
知覧武家屋敷庭園
住所:鹿児島県南九州市知覧町郡13731-1
電話番号:0993-58-7878
入園時間:9~17時
入園料:大人530円
休園日:なし
アクセス:JR九州新幹線「鹿児島中央」駅から鹿児島交通バス1時間14分「中郡(南九州市)」停留所下車徒歩すぐ


執筆・写真/藪内成基(やぶうちしげき)
奈良県出身。30代の城愛好家。国内旅行業務取扱管理者。出版社にて旅行雑誌『ノジュール』などを編集。退職し九州の城下町に移住。観光PRやガイドの傍ら、「城と旅」をテーマに執筆・撮影。『地域人』(大正大学出版会)など。海外含め訪問城は500以上。知識ゼロで楽しめる城の情報発信を目指す。


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