2022/10/06
お城紀行〜城下と美味と名湯と お城紀行〜城下と美味と名湯と 第5回 |【岡城・前編】西洋風デザインに秘められた謎を追う
お城はもちろん、その城下町にある美味しいグルメや温泉を紹介する「お城紀行〜城下と美味と名湯と」。今回は『荒城の月』のモチーフとして知られる天空の城・岡城(大分県)への旅。※初掲 2018年8月30日。2022年10月6日更新
ヨーロピアンな雰囲気が漂う岡城跡。登城口入口から大手門を見上げる
西洋風のデザインが注目を浴びる城跡
瀧廉太郎作曲『荒城の月』のモチーフとして知られる天空の城・岡城(大分県竹田市)。「天空の城」というと、某CMで有名になった竹田城(兵庫県朝来市)を頭に浮かべる方も多いかも知れませんね。岡城跡があるのは熊本県と大分県の県境付近。れっきとした日本100名城のひとつです。
岡城は、世界最大級の旅行サイト・トリップアドバイザーによる「旅好きが選ぶ!日本の城 ランキング 2018」で5位にランクインした、九州のみならず日本を代表する名城の一つ。集まった口コミを眺めていると「ヨーロッパの城のよう」というコメントが。確かに、登城口から大手門を見上げるとヨーロッパの古城のよう。「カマボコ石」とよばれる丸く加工した岩が城全体に用いられ、石垣や登城道の随所に曲線が多用されている珍しいデザインです。
地元の岡城跡に詳しい方に聞いてみると、建築やアート関係者でこのユニークなデザインに夢中になる方が多いそう。ただ本丸を目指すだけでなく、お城のデザインも気にしながら歩くと、楽しみが増しますね。岡城跡の歴史を知らなくても楽しめますよ。
西洋風の佇まいの大手門跡。登城口から続くカマボコ石も存在感を示す
丸みを帯びたバルコニーのようなデザイン
二の丸跡に立つ作曲家・瀧廉太郎像。ほかにも月見櫓や風呂屋跡など見どころが多い
どこかヨーロッパの古城を感じさせる岡城跡。その謎を解くヒントは城下町にありそうです。というのも、竹田は江戸時代のキリスト教禁教期に、藩主が中心となり藩ぐるみでキリシタン隠しを行ってきたという珍しい城下町。「隠しキリシタン城下町」として5年以上も町おこしを行い、国内外に「竹田キリシタンファン」が増えているそうです。「隠しキリシタン」を象徴する史跡、キリシタン洞窟礼拝堂を目指すことにします。
禁教期を超えて400年以上残る洞窟の礼拝堂
岡城跡駐車場から10分程歩くと大きなトンネルに出合います。トンネルをくぐるとそこは城下町。城下町竹田は、今でさえどこから入るにもトンネルをくぐる必要がある「要塞都市」です。ここからして、不思議な城下町ですね。
歴史風情漂う城下町をそぞろ歩きしながら、城下町で最も身分の高い家老屋敷が並ぶ、殿町(とのまち)武家屋敷通りを目指します。茶人・千利休の高弟である古田織部の名前をご存知でしょうか? 陶器の「織部焼」や茶道の「織部流」、漫画『へうげもの』(講談社)の主人公として名前が浮かぶ方もいるかと思います。その古田織部の末裔が岡藩の筆頭家老を務めていた時期があり、古田家を始めとする威風堂々とした武家屋敷が並んでいます。
武家屋敷通りを歩いていると、何やら意味ありげなキツネの石像がこちらを見ています。近づいて札を見てみると「INRI」という文字が強調され、キリシタン洞窟礼拝堂へと続く脇道を導いています。
岡藩きっての家老屋敷が並ぶ「殿町武家屋敷通り」
「INRI」の文字を強調しているキツネの石像。お稲荷さんとキリシタンの関係はいかに?
札が示す方向に150mほど歩くと、突如静寂に包まれ荘厳な雰囲気に。近づくにつれ形が明らかになり、頭上には五角形の洞窟、足元には湧き水。石段を上ってみると、「キリシタン洞窟礼拝堂(大分県史跡)」が佇んでいます。日本唯一の手掘り礼拝堂で、内部にはマリア像が飾られていた跡。元和3年(1617)には掘られていたと『日本切支丹宗門史(レオン・パジェス著)』に記録され、イタリア生まれの宣教師・フランシスコ・ブルドリノが匿われていたとされています。
江戸幕府によってキリスト教が禁止されている時代に、このような大きな礼拝堂が掘られている。しかも家老屋敷が並ぶ脇道すぐのところに。気付かれずにどうやって掘ったのか? もしかして藩ぐるみで江戸幕府から守ったのか?・・・と突っ込みどころ満載です。
手前に湧き水、頭上に五角形の洞窟をのぞむ
独特のデザインに圧倒されるキリシタン洞窟礼拝堂
キリシタン洞窟礼拝堂を後にして殿町武家屋敷通りに戻ろうとすると、先ほどは素通りしたお稲荷さんが気になります。洞窟を利用した真っ赤なお稲荷さんの鳥居。地元の方に話を聞くと、城下町竹田にはたくさんのお稲荷さんがあるとのこと。それはINRI(ユダヤ語で「キリスト」を意味する)信仰を、江戸時代になって近い音の稲荷(INRIのNとRの間にaを加えて)に変えて信仰したからなのだとか。
そのため、先ほど視線を合わせてきたキツネの石像に「INRI」と強調してあったわけなんですね。しかも城下町竹田にはクリスマスに向けてキツネの装束で町をパレードする祭もあったとか。謎が広がるような、解決するような不思議な気持ちになります。
キリシタン洞窟礼拝堂近くに立つ赤松稲荷。ほかにも数多くの稲荷が城下町に存在する
竹田を代表する銘菓を食べながら謎解き
さて、謎解き散策も少し休憩ということで、大分県下で最も古い和菓子店、但馬屋老舗で銘菓を頂きます。但馬屋老舗の名物は何といっても「三笠野(みかさの)」と「荒城の月」。
但馬屋老舗を代表する銘菓、三笠野(右)と荒城の月(左)
「三笠野」は、よく練ったこしあんを小麦粉の香ばしい皮で包んだ三日月型の焼き菓子。「荒城の月」は黄身あんを淡雪羹で包んだふんわりとした食感の生菓子。上品な甘さにうっとり、散策の疲れも吹っ飛びます。
但馬屋老舗はもともと但馬国(現在の兵庫県)の出身。竹田の以前には播州三木(現在の兵庫県三木市)を治めていた中川家に召されて竹田へ来たために但馬屋の名を冠します。城下町竹田は播磨国三木から移ってきた4000人が中心となり農村地帯を開拓。西洋風のデザインである岡城跡も、播磨から移ってきた4000人が中心となり、さらに南蛮人の存在があってあのデザインに結び付いたとか。
岡城跡には二の丸跡に月見櫓。二の丸下を流れる稲葉川沿いには「三日月岩」とよばれる三日月形の岩が彫られ、岡藩主が野外で能を行う薪能(たきぎのう)を実施しました。奇しくも瀧廉太郎が作曲したのは『荒城の月』と、何かと月との関係が深いですね。偶然だと思いますが、月は聖母マリアとゆかりの深いモチーフでもあり、どこかヨーロピアンな岡城跡とよく合います。そういえば「三笠野」も「荒城の月」どちらも月をイメージさせるお菓子。お菓子をいただきながらも膨らむ岡城跡の謎。。。
謎解きの手がかりを求めて、2017年10月に城下町にオープンした必見スポットを目指してみましょう。
雰囲気のいい石畳や風情ある町並みが随所に残り、散策にぴったり
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岡城(おか・じょう/大分県竹田市)
岡城の起源は平安時代末期。源頼朝と仲違いをした弟・義経を迎え入れるために、豪族によって築かれる。戦国時代には大友宗麟の外孫である志賀親次(しがちかよし)が、島津の大軍を退けた舞台として知られる。文禄3年(1594年)、播磨国三木から中川秀成(ひでしげ)が総勢約4000人で入部し、現在の城郭や城下町を整備した。国指定史跡であり、日本100名城。
執筆・写真/藪内成基(やぶうちしげき)
奈良県出身。30代の城愛好家。国内旅行業務取扱管理者。出版社にて旅行雑誌『ノジュール』などを編集。退職し九州の城下町に移住。観光PRやガイドの傍ら、まちに着目し「城と暮らし」をテーマに執筆・撮影。海外含め訪問城(城下町)は500以上。知識ゼロで楽しめる城の情報発信を目指している。
※歴史的事実や城郭情報などは、各市町村など、自治体や城郭が発信している情報(パンフレット、自治体のWEBサイト等)を参考にしています