お城紀行〜城下と美味と名湯と お城紀行〜城下と美味と名湯と 第5回 |【岡城・後編】隠しキリシタン城下町では出会いと発見の連続!

「隠しキリシタン」の謎に迫る新スポット

岡城跡の謎を追って、2017年10月にオープンした竹田キリシタン研究所・資料館へ。

但馬屋老舗から城下町を歩いて約15分。城下町内にあった空き店舗の衣料品店を改装したスペースで、下町竹田のキリシタン文化を研究し情報発信するNPO竹田キリシタン未来計画が中心となり、クラウドファンディングや寄付によって資金調達、オープンにこぎつけた施設です。

館内には、藩ぐるみでキリシタン隠しをした痕跡を残すキリシタン遺物が45点並びます。特に圧巻は、重量108kgもあるキリシタンベル「サンチャゴの鐘」。文化庁の監修下で制作したレプリカですが、成分や重さは本物(国重要文化財)と同じ、「カーン」と高く響き渡る音がヨーロッパの教会へと想いを馳せさせます。昨年のクリスマスには除夜の鐘ならぬサンチャゴの鐘を鳴らしに資料館を訪れる方が多かったとか。

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資料館内に展示されているサンチャゴの鐘(レプリカ)は鳴らすこともできる

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竹田でしか見られないキリシタン遺物ほか、関連図書やお土産も並ぶ

この巨大なサンチャゴの鐘、キリスト教禁教の時代になんと岡城で隠されていたそうです。同じく岡城に隠されていた、キリストの使徒・(伝)聖人ヤコブの頭像など館内は見どころたっぷり。1時間以上たっぷり見学してから城下町や岡城跡を見学し、帰りに立ち寄る旅行者も少なくないそう。また、100名城スタンプ目当てで岡城跡に来た観光客が、ふらりと立ち寄ってなかなか離れられなくなる方もいるみたいです。岡城跡とスペインの世界遺産都市クエンカのデザインの類似性を指摘する説明パネルもあり、城好きとしてはぜひ立ち寄りたい施設です。

思わず引き込まれるパン屋さんと地下室

竹田キリシタン研究所・資料館をじっくり見学し、城下町での謎解き散策はもうこれで十分!と、本日の宿がある長湯温泉へ向かうためにJR豊後竹田駅前のバス乗り場へ。駅に向かおうと間もなくして雰囲気のいいパン屋さんに吸い込まれます。こちらもクラウドファンディングで資金調達し、2017年3月にオープンしたお店。竹田が魅力ある町であり続けるためにスタートした「イミルバプロジェクト」として、築70年の古民家を買い取り、パン屋さん「かどぱん」とパン屋とゲストハウス「竹田駅前ホステルcue」が入る物件にリノベーション。城下町に活気を与えています。ゲストハウスのオーナー夫婦は大分県外からの移住者。城下町に移住して起業する方、制作活動するアーティストが増えているみたいですよ。

竹田キリシタン研究所・資料館から豊後竹田駅を結ぶ古町(ふるまち)通りには、江戸時代に地下室をもっていた屋敷がいくつもあり、地下室に備えていた礼拝スペースが藩に見つかって捕まった豪商もいたそうです。そういえば「かどぱん」の建物にも意味深な地下室がありました。

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1階入口がかどぱん、1階奥と2階は竹田駅前ホステルcueが営業

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かどぱんでは自家製の天然酵母パンなど20種類ほどのパンが並ぶ

思いがけず出合った素敵なパン屋さんで買い物をしていたら、バスの時間まであとわずか。駆け足で豊後竹田駅前のバス乗り場へ。豊後竹田駅の裏は巨大な岩の固まりから農業用水が流れ落ちるダイナミックな背景。水墨画で描かれそうな景観です。目を凝らすと、先ほど見たキリシタン洞窟礼拝堂と似た五角形に彫られた洞窟があるではないですか!しかもお稲荷さんの赤い鳥居も。岩下火伏(いわしたひぶせ)稲荷神社とよばれ、竹田市内にある五角形をした稲荷の中で最大級。城下町を離れるまで謎解き散歩は終わりませんね。

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JR豊後竹田駅の背後、五角形の洞窟に祀られた岩下火伏稲荷神社(右奥)をお見逃しなく

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岩下火伏稲荷神社。近くで見れば大きさを実感できる

「日本一の炭酸泉」にも竹田キリシタンとの関わり?

JR豊後竹田駅前からバスに揺られること約30分。「日本一の炭酸泉」として知られ、日本では珍しい炭酸泉が至る所で楽しめる温泉地「長湯温泉」に到着します。豊かに流れる芹川沿いに広がるのは、観光地化されていない鄙びた温泉街。数ある外湯の中でも特に人気なのが「ラムネ温泉館」です。日本を代表する建築家、藤森照信(ふじもりてるのぶ)さん設計による独創的な建築。もちろん高濃度の炭酸泉にも定評があり、露天風呂では体中が炭酸の泡で包まれるほど。

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芹川の中にある露天風呂「ガニ湯」は長湯温泉の象徴的な風景

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独創的な外観のラムネ温泉館。高濃度の炭酸泉を求めて観光客でにぎわう

ここでも一つ謎解きが待っています。豊富な炭酸泉が湧く長湯温泉周辺は、戦国時代には朽網(くたみ)とよばれていました。朽網氏という熱烈なキリシタン武将が治め、かつては「日本8大キリスト教布教地」のひとつとして、ヨーロッパにも知られた町でした。宣教師たちが歩いた長崎と大分を結ぶ「キリシタンロード」の途中にあり、朽網氏が治め、さらに炭酸泉があったためキリスト教が広まったと考えられています。炭酸泉については、ヨーロッパでは「聖水」として使われる例もあり、かつての宣教師たちを喜ばせた可能性があるそうです。
このように宣教師やキリシタンが存在した環境だったからこそ、遠い関西から中川家臣団が竹田に移り、ヨーロピアンな雰囲気漂う岡城を築いたのではないかとロマンが広がりますね。

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長湯温泉近くに残る「原(はる)のキリシタン墓碑」。レプリカは竹田キリシタン研究所・資料館で常設展示

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「原のキリシタン墓碑」には駐日バチカン大使が訪問されたこともある

かつてヨーロッパ人宣教師たちも疲れを癒していたかも知れない炭酸泉に浸かれば、旅の思い出も一層濃厚になること間違いなし。謎が謎をよぶ岡城跡と城下町竹田の動きは、今後も目が離せません。

▼前編はこちら

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岡城(おか・じょう/大分県竹田市)
岡城跡の起源は平安時代末期。源頼朝と仲違いをした弟・義経を迎え入れるために、豪族によって築かれる。戦国時代には大友宗麟の外孫である志賀親次(しがちかよし)が、島津の大軍を退けた舞台として知られる。文禄3年(1594年)、播磨国三木から中川秀成(ひでしげ)が総勢約4000人で入部し、現在の城郭や城下町を整備した。国指定史跡であり、日本100名城。

執筆・写真/藪内成基(やぶうちしげき)
奈良県出身。30代の城愛好家。国内旅行業務取扱管理者。出版社にて旅行雑誌『ノジュール』などを編集。退職し九州の城下町に移住。観光PRやガイドの傍ら、まちに着目し「城と暮らし」をテーマに執筆・撮影。海外含め訪問城(城下町)は500以上。知識ゼロで楽しめる城の情報発信を目指している。

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