日本100名城

さくらじょう

佐倉城

千葉県佐倉市

別名 : 鹿島城
旧国名 : 下総

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佐倉城
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織田晃司

♪佐倉・佐倉 今舞い上がる (2011/05/01 訪問)

土の城としてかなりの高低差を有する。
馬出し空堀はきれいに整備されて見ごたえ有りです。
本丸から出丸に降りてまた本丸に帰るのに心が折れそうになります。

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生太郎

歴博の行き帰りに (2021/05/01 訪問)

現在歴博で開催中の企画展「海の帝国琉球」を観に行きました。

グスクフェチの方には大変見応えのある展示になってました。

タクシー乗り場の前を発掘調査してるみたいで写真を撮ってみました。
佐倉城のお堀が緑でとても良い感じでした。
土の城の醍醐味かなと個人的には思います。

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カズサン

見所は圧巻の角馬出、出丸も捨てがたい! (2014/04/11 訪問)

 連休は連泊で城廻りを2方向思案して居たのですが武漢コロナウイルス禍4波の自粛、高速道の休日割(4/29~5/9)無し、天気の荒れ模様予想等が重なり自宅籠り、以前の城写真データーが未整理で残ってますので空白だった千葉県の城郭廻りを投稿させて頂きます。
 
 【佐倉城】
 
 駐車場:旧椎木郭に在る国立歴史民俗博物館の駐車場を利用
 
 登城ルート:ナビ設定の関係で本丸西出丸→博物館駐車場⇒椎木門跡⇒三の丸⇒二の門跡、堀田正睦公像⇒一の門跡⇒本丸内、本丸土塁、銅櫓跡、天守跡、角櫓跡、台所門跡⇒帯曲輪⇒出丸(西と北)⇒戻って三の門跡⇒大手門跡⇒ガイダンスで佐倉城模型を見学⇒椎木郭の角馬出⇒国立歴史民俗博物館。
 
 感想:角馬出は圧巻です、房総丘陵が北西に張り出した先端利用し外濠代わりに印旛沼及び沼、湿田を巧みに取り入れ南側は空堀で固めてる、空堀も深いのですが樹木が茂り写真では実感が掴めません、天守は本丸土塁を一部使い三層四階建てだったそうです。
 今回は行けませんでしたが武家屋敷群、旧堀田邸見所の一つです。
 また、城探訪を終えて国立歴史民俗博物館を閲覧しましたが時間不足でちょっと未消化、この博物館は1日は掛かります、其の位価値の有る内容です、次回にはゆっくりと閲覧したいものです。
 
 歴史:戦国末期千葉氏の築城成るが未完成鹿島城と呼称、江戸期に土井利勝入封し元和3年(1617年)に近世城郭に改修完成、関東特有の土の城、以後譜代大名が入れ替わり老中など幕府の要職を務めています、江戸後期は堀田氏、幕末日米交渉をまとめた老中堀田正睦が有名で二の門跡辺りに堀田正睦公像として顕彰して居ます。

 沢山写真を撮ったのですが10枚を選ぶのに苦労しました。立派な城郭です❕
 
 

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昌官忠

佐倉周辺攻城:佐倉城 (2018/09/01 訪問)

入会後の2020/07/29に投稿していますが内容がないので、再度投稿します。
佐倉城は3回攻城しています。
①2017/06/10    100名城スタンプ押印目的で妻と二人で攻城
②2018/04/02    濠沿中心に一人で攻城
③2018/09/01  姥ヶ池方面から一人で攻城。

1回目は歴史民俗博物館第1駐車場(35.722856、140.220043)に駐車して攻城しました。
2回目は佐倉城址公園御三階駐車場(35.720335、140.220080)に駐車して攻城しました。
3回目は歴史民俗博物館第1駐車場(35.722856、140.220043)に駐車して攻城しました。

戦国時代、本佐倉城主千葉親胤が大叔父にあたる鹿島幹胤に命じて築城を開始したが、親胤が暗殺されたために工事は中断。
千葉邦胤の代にも工事が試みられたが邦胤の暗殺によって頓挫、いつしか築城予定地には鹿島親幹にちなんで「鹿島台」と呼ばれるようになったとされます。
1610年(慶長15年)徳川家康の命を受けた土井利勝によって築城が再開され佐倉城が完成しますが、1813年(文化10年) 盗賊の失火により三重櫓(御三階櫓)が焼失。
江戸時代には江戸を守る要衝の地として、代々譜代大名が封ぜられています。
老中・大老といった幕府の要職につくと佐倉に移されるという傾向があり、城主の交代が頻繁に行われ、9家20代の佐倉城主が誕生していますが、そのうち9人が老中となっています。
城郭は石垣を一切使わずに築かれており、印旛沼を外堀の一部にしています。また天守は建てられず、三重櫓(御三階櫓)を天守の代用としていました。
現在は佐倉城址公園として整備されており、国立歴史民俗博物館が建てられています。

大手門跡、三の門跡、三逕亭、台所門跡、天守閣跡、本丸跡、礎石、椎木門跡、馬出空堀、出丸跡、薬医門、姥ヶ池等 3回の攻城で一通り散策しました。
巨大な馬出空堀等の空堀が見事です。写真は3回の攻城での抜粋版を投稿します。
攻城時間は3回の合計で4時間~5時間くらいだと思います。

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概要

石を一切用いず、土塁と深い空堀・水堀で守りを固めた土造の近世城郭。水堀は湿地帯の本丸台地を巡るように掘られ、馬出のように突き出た出丸が今もよく残っている。土塁は天守台とセットになっていて、天守の一部が土塁に懸かっていたとされる。また椎木門跡の前面には、発掘調査を元に巨大な角馬出が復元されている。

城郭情報

城地種類 連郭式平山城
築城年代 天文年間(1532〜1555)
築城者 鹿島幹胤
主要城主 鹿島氏、千葉氏、久野氏、小笠原氏、土井氏、堀田氏
文化財史跡区分 市史跡(佐倉城跡)
近年の主な復元・整備 千葉邦胤、土井利勝
天守の現況・形態 独立式層塔型御三階櫓[3重4階/1616年築/焼失(失火)]
主な関連施設 馬出、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
住所 千葉県佐倉市城内町官有無番地
問い合わせ先 佐倉市公園緑地課
問い合わせ先電話番号 043-484-6165