「老中の城」佐倉城(千葉県佐倉市)。代々9人もの老中が配置された特別な城ですが、幕府の要職ともなると、それぞれ一筋縄では行かない問題も抱えていたようで。
江戸を守る東の要。一方、西国から江戸が攻撃された際には将軍家が退避する地と定められていたといいます。三重の天守をはじめ、櫓や本丸御殿、8基もの大規模な櫓門が備わった重要拠点でしたが、残念ながら現在、建造物はほとんど残っていません。それでも、結構なサイズの城址をつぶさに歩き回ることで、この城がもつ意味合いが見えてきます。
前身は中世城郭。徳川家康の関東入国後、徐々に改修し完成は1617年ごろ。石垣を用いない土造りで、空堀は結構な深さ。北には印旛沼があり、湿地帯に掘られた水堀が本丸周辺を巡っています。ちなみに100名城スタンプは、復元された角馬出の空堀。渋い。
「出世城」というよりは、むしろすでに幕府の重鎮になった人物がその都度配されたという印象でしょうか。城内(二の丸入り口付近)にはそんな中のひとり、佐倉藩5代藩主・堀田正睦(1810-64)の銅像。藩内の蘭学を盛んにし、幕末期の老中首座として「開国に尽力」(佐倉市)した御仁。加えて、その近くにはアメリカ初代駐日総領事であるタウンゼント・ハリスの立ち姿、、。んー、どこか微妙な並び。
定説では不平等条約とされる日米修好通商条約。交渉で米側から圧をかけられまくった窓口が堀田一派だったはず。事実、調印後、最後まで朝廷の賛同を得られなかった失策により老中を罷免されます(*結果的に無勅許で踏み切ったのは大老・井伊直弼)。
もちろん、ハリスの存在が「開明派」の堀田を外交の舞台に引き上げたという点で2人の関係性は特別なのかもしれませんが、もし仮に今、堀田自身がこの距離での並びを見せられたら何と言ったか。興味は尽きないのであります。
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