正71城目。
JR佐倉駅に隣接している観光情報センターで自転車をレンタルしようと思いましたが
月曜日は定休日でした。仕方ないので徒歩で30分かけて城址公園に行きました。
佐倉城を攻略したい方は月曜日を避けることをお勧めします。
佐倉城内の紅葉と銀杏が大変綺麗でした。
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2023/11/27 18:32
2023/11/01 11:43
出丸・本丸周辺は遺構がよく整備されている (2023/10/27 訪問)
千葉県のHPに、慶長16年(1611)徳川家康の命で土井利勝が、鹿島城を6年掛け改修し近世佐倉城を完成させる。老中などの要職に就いた大名が多く城主となる。幕末期の老中・堀田正睦(ほったまさよし)もその1人。明治になり政府に接収され、明治6年、兵舎建設のため諸門、建物が払い下げられ取り壊された。引き続き兵舎・軍の病院などが置かれた。昭和39年に城址公園となり、昭和54年病院が城外に移転後、58年に歴史博物館が設置され、周辺も建設に伴う整備として、椎木門北側の馬出しなどが復元された、と記されている。
本丸と出丸周辺はよく遺構が残り、大手門跡の土塁・堀も一部復元整備されている。角馬出側は佐倉連隊の兵舎等、その後博物館などの建設で遺構は少ない。本丸・一の門、二の丸・二の門、他の空堀の内部は樹木が多く画像では分かりづらい。広大な城址公園のため隅々まで回れず、武家屋敷なども訪問ができなかった。
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2023/07/30 21:37
佐倉城 江戸の東の防御拠点 (2023/02/18 訪問)
2月後半の城郭巡り第2段は千葉県佐倉市の佐倉城。
千葉氏9代の本佐倉城から西に約4km。
同じ台地の西端、印旛浦に流れる鹿島川も要害となる比高約30mの鹿島山に築かれた土の城。
江戸の東の防御拠点として、江戸初期に徳川家臣の土井利勝が築城。
しかし元々は戦国期に千葉氏が築き始めていた城だったとか。
土井利勝以来、城主は堀田氏8代など頻繁に入れ替わり、8名の老中を輩出。
現在は佐倉城址公園となっており、梯郭式の本丸・二の丸・三の丸が緑の公園に。椎木曲輪が国立歴史民俗博物館、惣曲輪は中学校や高校となっています。
訪問時は大手門から入城し、椎木曲輪を経由し徐々に城の中心部へ。
復元された椎木門前の広い馬出は、堀の深さが本来は約2倍あったとのこと。
本丸から二の丸に掛けての立派な堀が樹木で存在感を潜めている印象でしたが、クランク状の三の門と二の門、本丸西側下に配置された2つの出丸はおもしろいところ。
最後は竹林のひよどり坂と武家屋敷通りを歩き滞在時間は約3時間半。
期待より城のオーラは小さかったものの、堅い虎口であっただろう佐倉城が、私の城郭巡りの149城目となりました。
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石を一切用いず、土塁と深い空堀・水堀で守りを固めた土造の近世城郭。水堀は湿地帯の本丸台地を巡るように掘られ、馬出のように突き出た出丸が今もよく残っている。土塁は天守台とセットになっていて、天守の一部が土塁に懸かっていたとされる。また椎木門跡の前面には、発掘調査を元に巨大な角馬出が復元されている。
城地種類 | 連郭式平山城 |
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築城年代 | 天文年間(1532〜1555) |
築城者 | 鹿島幹胤 |
主要城主 | 鹿島氏、千葉氏、久野氏、小笠原氏、土井氏、堀田氏 |
文化財史跡区分 | 市史跡(佐倉城跡) |
近年の主な復元・整備 | 千葉邦胤、土井利勝 |
天守の現況・形態 | 独立式層塔型御三階櫓[3重4階/1616年築/焼失(失火)] |
主な関連施設 | 馬出、石碑、説明板 |
主な遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀) |
住所 | 千葉県佐倉市城内町官有無番地 |
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問い合わせ先 | 佐倉市公園緑地課 |
問い合わせ先電話番号 | 043-484-6165 |