お城紀行〜城下と美味と名湯と お城紀行〜城下と美味と名湯と 第3回 |【会津若松城・前編】雪けむりに包まれし、会津武士の故郷を歩く

お城はもちろん、その城下町にある美味しいグルメや温泉を紹介する「お城紀行〜城下と美味と名湯と」。今回は雪深い会津若松を訪れ、戊辰戦争の舞台となった会津若松城(鶴ヶ城)に思いを馳せます。※初掲 2018年1月11日。2022年10月5日更新



会津若松城、鶴ヶ城、天守、威容
雪をかぶってそそり立つ優雅な鶴ヶ城(会津若松城)天守の威容

会津戦争で、その名を轟かせた鶴ヶ城

いやはや。なんとも、すごい雪である。豪雪地帯と知ってはいたが、まさかこんなに積もるだなんて・・・。モノクロ写真と思われるかもしれないが、さにあらず。これぞ白い冠をかぶった、「鶴ヶ城」こと会津若松城(福島県会津若松市)の天守の姿である。

近世の城といえば、思い起こされるのが戦国時代。この鶴ヶ城の原型である黒川城を築いたのも、戦国武将・蒲生氏郷(がもう うじさと)である。一説に「鶴ヶ城」の通り名も、氏郷の幼名・鶴千代に由来するのだとか。

会津若松城、鶴ヶ城、干飯櫓、兵糧庫、走長屋
鶴ヶ城の干飯櫓(ほしいやぐら)。つまり兵糧庫。天守とは走長屋で結ばれている

だが、やはり鶴ヶ城といえば、大河ドラマ『八重の桜』でも描かれた「幕末」の戊辰戦争(会津戦争)をイメージする方が多いのではないだろうか。蒲生、上杉(景勝)、加藤(嘉明)、保科という歴代城主を経て江戸時代の初めに松平家の城になったことが、この城の運命を大きく変えることになったのだ。

なにを隠そう、隣にいる家内は「新選組」と「白虎隊」のファンなのです。この会津と新選組のつながりは非常に強いものがあり、この天守を眺めていると、ウルウルきてしまうらしい・・・。なるほど、会津戦争で新政府軍のアームストロング砲の的となって破壊された、あの傾いた天守の写真を見ると、涙を禁じ得ない。その天守は明治7年(1874)に取り壊され、1965年に復元されたのが、現在の姿だ。

鶴ヶ城、会津若松城、鉄門
鶴ヶ城で最も防備に適した場所といわれる鉄門

本丸へと通じる表門の役割を果たす、鉄門(くろがねもん)。扉や柱はすべて鉄で覆われていて、天守と干飯櫓の間にあるため、城内で最も防衛に適しているそうだ。大砲の射程の死角になるため、会津戦争の末期には松平容保は、実際ここに立て籠もっていたという。

そうそう。鶴ヶ城といえば赤褐色の屋根瓦がトレードマーク。この色が渋く、実に味わい深いのだ。天守は屋根まで雪に覆われてしまっているが、風雪の死角なのか、鉄門の南側は雪が少なく、はっきりと屋根が見えた。

会津若松城、鶴ヶ城、銀世界、天守
天守の最上階から城下を見下ろす。ありふれた表現だが、まさに銀世界。繰り返すが、モノクロではありません(笑)

天守へのぼり、その最上階から城下を見下ろしてみた。若松城の名物ともいえるのが、南と東にのびる走長屋(多聞櫓)だ。上から見ると、その構造がハッキリわかる。まさに走っているような趣でのびているのが素敵ではないか。

「復元天守だから」といって中に入らず、見上げるだけで帰る人もいらっしゃるが、それはもったいない。天守や櫓に上がれば、当時の殿様と同じ視点から城下の眺めを楽しむことができるからだ。この鶴ヶ城天守の内部は博物館になっていて、会津藩がらみの貴重な収蔵品が常時展示されている。時間の許す限り、天守は中まで楽しみたいものだ。

会津若松城、鶴ヶ城、御三階櫓、阿弥陀寺、境内
あの戦火を潜り抜けた、鶴ヶ城の生き字引・御三階櫓。城内から移築され、阿弥陀寺の境内にある

唯一現存する「御三階櫓」のもとに眠るのは・・・

鶴ヶ城の建物は、明治7年(1874)に政府によって天守をはじめ、ほとんどの建物が取り壊されてしまったが、事前に移築され、奇跡的に破壊をまぬがれて唯一残ったものがある。それが、阿弥陀寺(七日町)にある「御三階櫓」。本物の鶴ヶ城の櫓である。

そしてこの寺には、戊辰戦争で落命した1300人もの会津藩士たちが埋葬され、静かな眠りについている。新選組の一員にして戊辰戦争を戦い抜いた斎藤一の墓もある。昨年、子孫が所持していた写真が公開されて話題にもなった。雪のかぶった墓前に座り、そっと手を合わせた。斎藤一は明治以降、藤田五郎と名乗っているので、「藤田家」の墓石のもとに眠る。

寺を出ると、「ちょっとお腹がすいてきた」と家内がいうので適当なお店に入る。会津にはたくさんの名物があるが、ここはシンプルにラーメンを食べることにした。福島といえば、すぐ北隣にある喜多方市発祥の「喜多方ラーメン」が有名。しかし、会津城下にもラーメン屋は多くて、喜多方と同じ味わいの一杯が味わえるのだ。昔ながらというか、素朴な感じのラーメンで、とても身体があたたまった。

会津若松城、ラーメン
透き通るような醤油味の豚骨スープ、太い縮れ麺、厚めに切った叉焼が会津のラーメンの特徴

そしてもう一軒。同じく七日町にある「鶴乃江酒造」に立ち寄ってみた。東京でも割とおなじみの地酒「会津中将」を造る酒蔵だ。ここは会津藩御用達頭取を務めた永宝屋一族が寛政6年(1794)に創業。現在の建物は大正時代のものだそうで、本当に古くて趣がある。

会津若松城、鶴ヶ城、鶴乃江酒造、ゆり
総括部長の向井さんに蔵の中を見せていただいた。「酒は造るものではなく、飲むものです!」という、味にこだわる力強いひとことが印象に残った

看板商品の「会津中将」をはじめ、女性の造り手の名を冠した「ゆり」など県外にも愛好者が多い鶴乃江酒造の酒。「ゆり」は、トランプ米大統領夫妻に提供された酒として知る人も多いだろう。どちらも爽やかな感じの辛口といおうか、上品でいながら飲みごたえも感じる、おいしい酒だ。たくさん飲みたくなる欲求を抑え、後の楽しみにと「会津中将」を購入。さて、次はどこへ行ってみようか。

後編「【会津若松城・後編】土方歳三が傷を癒した、東山温泉へ」(https://shirobito.jp/article/220)へつづく


会津若松城(あいづわかまつ・じょう/福島県会津若松市)
会津若松城(鶴ヶ城)は葦名氏の居館を前身とする城。豊臣秀吉の天下統一後に移封された蒲生氏郷により七重の天守を持つ巨大城郭へ改修される。江戸時代は会津藩主松平家の居城となるが、戊辰戦争によって砲火にさらされる。維新後、城内の建物はすべて取り壊されたが、1965年に古写真をもとに天守が復元された。

執筆・写真/上永 哲矢(うえなが てつや)
神奈川県出身。歴史文筆家・トラベルライター。日本史・三国志や旅を主な生業として雑誌・書籍などに寄稿。歴史取材の傍ら温泉に立ち寄ることが至上の喜び。著書に『高野山 その地に眠る偉人たち』(三栄書房)『三国志 その終わりと始まり』(三栄書房)『ひなびた温泉パラダイス』(山と溪谷社)がある。

※歴史的事実や城郭情報などは、各市町村など、自治体や城郭が発信している情報(パンフレット、自治体のWEBサイト等)を参考にしています

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