超入門! お城セミナー 第49回【歴史】「日本一」と言われる江戸城。いったい何が「日本一」だったの?

お城に関する素朴な疑問を、初心者向けにわかりやすく解説する連載「超入門! お城セミナー」。2019年の記念すべき第1回目は、江戸幕府の政庁だった江戸城を紹介。現在では皇居として知られる江戸城は、よく「日本一」と評されます。江戸城のいったい何が「日本一」なのでしょうか?

江戸城二重橋、皇居
 東京屈指の観光名所である江戸城二重橋。写真左の西の丸大手門は、皇居の正門となる

江戸城は比類なき日本一デカい城

年末年始の恒例行事といえば、紅白歌合戦や初詣、年賀状に並んで、天皇陛下や皇族がお出ましになる新年の一般参賀が挙げられるでしょう。毎年1月2日に行われ、必ずテレビでも中継される一般参賀。今年は今上天皇退位前の最後の一般参賀だったこともあり、例年より参賀者は多かったそうです。

天皇陛下の住居であり、一般参賀も行われる皇居がかつての江戸城だったことはよく知られています。この江戸城、紹介されるにあたり、「日本一の江戸城」と評されることが少なくありません。江戸時代には徳川将軍が住み、明治以降は天皇の住まいとなった江戸城は、確かに日本一にふさわしい歴史と格式を持っているように感じますが、実際には何が「日本一」なのでしょうか。

その答えは、ずばり「広さ」。江戸城の規模は、日本で1番の、それも圧倒的な広さを誇るのです。それではどれほど広かったのか。代表的な城の規模を比較してみましょう。

 熊本城:約20ha
 姫路城:約23ha
 名古屋城:約35ha
 仙台城:約44ha
 大阪城:約106ha(大阪城公園)
 江戸城:約230ha!(皇居+皇居外苑)
 
上にあげた各城を訪れて、「広いなぁ」と感じたことがある人も多いと思いますが、江戸城は大阪城の2倍以上、姫路城のなんと10倍も敷地面積があるのです。江戸城を訪れた人からはよく、「とても1日では周りきれなかった」という感想を聞きますが、これだけ広いのですから無理はありません。

千鳥ヶ淵公園、江戸城
 日本武道館のある北の丸公園や桜の名所である千鳥ヶ淵公園も江戸城の一部だった

将軍家の威光を諸大名に示すため

さて、上で取り上げた江戸城の面積は、皇居がある城の主要部分になりますが、じつはその外側にも江戸城は広がっていました。「外側に広がっていた」と言われても、意味不明で不親切ですよね。このことを理解するためには、江戸城が「内郭」と「外郭」の2段構造だったことを理解しなければなりません。

江戸城の「内郭」は内濠の内側であり、本丸・二の丸・西の丸・吹上・北の丸などがあった城の中心部を指します。一般的に、皇居及びその周辺の公園とイメージしている範囲ですね。

一方で、「外郭」は外濠の内側を指しますが、この外濠がとんでもなく長い。外濠を現在の駅で追っていくと、神田駅周辺を始点として新橋駅まで南下し、虎ノ門駅を経由して赤坂見附駅、そして四ツ谷駅へと延び、四ツ谷駅からは東へと向きを変えて市ヶ谷駅、飯田橋駅、御茶ノ水駅とJR総武線と平行して走り、そのまま隅田川へと達します。この渦巻き状にのびる外濠の内側も江戸城だったわけです。

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 江戸城の内郭と外郭の範囲。麹町も神保町も日比谷も江戸城内だった。隅田川も濠の役割を果たしたが、外郭の範囲は不明瞭である(マップ制作:ウエイド)

内濠と外濠の間には、大名屋敷や町人街など、いわゆる城下町が広がっていました。「それじゃ城ではないじゃないか!?」という反論があるかもしれませんが、城下町全体を内包する城の構造を「総構(そうがまえ/惣構とも)」と言って、江戸城に限らず、多くの城で採用されていたのです。例えば北条時代の小田原城(神奈川県)や、豊臣秀吉が築いた大阪城(大阪府)にも総構がありましたが、この総構の長さ(規模)も江戸城は圧倒的に日本一だったのです。ここで、総構の長さを比較してみましょう。

 姫路城:約5200m
 萩城:約5500m
 大阪城:約8100m(豊臣時代)
 小田原城:約9000m(北条時代)
 江戸城:約1万5700m!

家康が築いた江戸城は、総構の長さでもライバル秀吉の大阪城にダブルゲームの差をつけて、圧倒的に日本一! 総構を含めた江戸城の規模は、中央区と千代田区がすっぽり入るほどの広さで、この範囲を中心に大江戸八百八町は発展していったわけです。

さらに、日本一は城の規模だけではありません。かつては、天守も日本一の高さを誇りました。残念ながら現在の皇居に天守は残っていませんが、江戸時代初期には徳川家康・秀忠・家光と将軍の代替わりごとに天守が築かれました。家康と秀忠の時代の天守の高さはわかりませんが、家光時代の3代目天守(「寛永期天守」とも呼ばれる)は正確な高さがわかっています。それでは、天守の高さ比較をしてみましょう。

 松本城天守:約25m(現存)
 姫路城天守:約32m(現存)
 名古屋城天守:約36m(外観復元)
 大阪城天守:約42m(現在の再建天守)
 江戸城3代目天守:約45m!(焼失)

上であげた数値は、天守台の石垣を含まない建物だけの高さです。天守台も含めると、江戸城3代目天守の高さはなんと約58m! 20階建てビルに相当し、現存木造建築では日本一の高さとなる東寺・五重塔を3m上回る高さでした。日本一の天守であったのはもちろん、当時は世界最大の木造建築だったのです。

江戸城、天守台
 現在に残る天守台は、3代目の寛永期天守の焼失後に、4代目天守を建てる予定で築かれたもの。ただし、予算削減のため4代目天守は建造されなかった

さらにさらに江戸城は、将軍の住居であり政務にあたった御殿も日本一の大きさを誇りました。また、広い城内と外濠に配された門の数も、断トツで日本一でした。

城郭史上、類例を見ないほどの巨大さを誇った江戸城。その理由は、徳川将軍の威光を全国に轟かせるため。江戸時代は参勤交代で、全国の大名が江戸城を訪れることになります。そのとき、「やっぱり将軍様はスゴいな」、「こんな徳川家に刃向かうなんて無謀だな」と諸大名に思わせるために、江戸城は「日本一」である必要があったのです。今も昔も、「大きいは正しい」ということですね。



執筆・写真/かみゆ歴史編集部
ポップな媒体から専門書まで編集制作を手がける歴史コンテンツメーカー。かみゆ歴史編集部として著書・制作物多数。

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