ふしみじょう

伏見城

京都府京都市

別名 : 桃山城、指月城、木幡山城
旧国名 : 山城

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しんちゃん

桃山の由来? (2024/04/19 訪問)

伏見城は文禄元年(1592)~文禄5年(1596)に豊臣秀吉によって最初の伏見城である指月伏見城が築かれますが、完成直後に慶長伏見地震によって倒壊してしまいます。慶長2年(1597)に木幡山(現・桃山丘陵(明治天皇稜))に二代目の伏見城が築かれました。
秀吉の死後、徳川家康が入り、関ヶ原の合戦の際には鳥居元忠が守将として西軍に攻められ自害しています。
その後、慶長7年(1602)に徳川家康によって再建されますが、元和5年(1619)に廃城となりました。
伏見城花畑跡には昭和39年に「伏見桃山城キャッスルランド」が建設されますが、2003年に閉園。模擬天守は市民の意向で残りますが、耐震基準を満たしていないので中に入ることは出来ません。
桃山稜の北にある伏見北堀公園はその名の通り、伏見城の堀跡だと思われます。あと本丸跡である伏見桃山稜には西と南からアクセスできますが、西からはえらく歩かなければならず、南からはかなりきつい階段を登らねばなりません。まあ西からですね、階段でへばるよりはマシです。入口周辺に車数台を留めるスペースくらいはあります。

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WEST

伏見桃山城探訪 (2024/04/12 訪問)

伏見城を訪問しました。伏見城の本丸跡は明治天皇陵となっていますが、今回行く先はお花畑山荘跡にある模擬天守や門がある場所です。京阪本線丹波橋駅を降り、徒歩15分程度で着きます。(緩やかな坂道を登ります)
天守は観光用で建てられたのもので、現在は耐震の関係で内部に入ることはできません。しかし、天守や門は荘厳でなかなか見ごたえがあります。
訪問時は桜が綺麗に咲いており、天守も映えますね。
お城訪問後、伏見城の遺構の一部がある御香宮神社を参拝しました。この神社の神門が伏見城大手門とのことです。お城から徒歩10分程度ですので、是非訪問してみてください。

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Tokyobay

明治天皇陵が本丸跡だったとは (2024/01/13 訪問)

修学旅行で来て以来数十年ぶり。確か城に登って夜景を見たような記憶が。そして、明治天皇陵が本丸跡だったとは。でも、徳川が廃城にした本丸跡地を明治天皇陵に使うって当時の政府の判断はどうなんだろうか?何らかの意図はあるんだろうが。まあ、眺めはいいんだけど。ちなみに階段は結構大変なんだが、近所の小学生の女の子が何度も往復していて驚く。
その他、堀跡を利用した滑り台が面白い。グランドやテニスコートになっている場所が堀跡だったというのは「ブラタモリ」を見るまで知らなかったが。それにしても巨大な城である。

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モト

元忠の想いを想像しながら (2023/07/07 訪問)

鳥居元忠が命と引き換えに家康を天下人にするきっかけを作って自死した歴史ある伏見城です。
跡地に建っている模擬の天守が老朽化もあって立ち入り禁止になっています。
その朽ち具合が逆に非常に雰囲気を出しておりました。

しかし、私はこれも知りませんでした。
この天守が、かつてここにあった遊園地の1つだったという事を…。
元忠の死や家康、秀吉が滞在したりと歴史的にも多く登場する伏見城です、昔から伏見城と検索すると画像が出てくるこの天守に、これが城跡の確固たる建物だと思っておりました。
まぁ、天守の像にある程度似せた造りなのでしょうし、カッコは良いです。
しかもほんと朽ちた建物はかなり雰囲気が出ていると思いました。
雰囲気は充分に味わう事ができました。

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城郭情報

分類・構造 梯郭式平山城
天守構造 型式不明(指月山)[階層不明/1594年築/倒壊(地震)]、望楼型(木幡山)[5重?/1597年築・1601年再/解体]、複合式望楼型[5重6階/1964年築/RC造模擬]
築城主 豊臣秀吉
築城年 文禄元年(1592)
主な改修者 徳川家康
主な城主 豊臣氏、徳川氏
廃城年 元和9年(1623)
遺構 曲輪、移築門、石垣、横堀
再建造物 模擬天守、石碑、説明板
住所 京都府京都市伏見区桃山町
問い合わせ先 京都市産業観光局観光部観光企画課
問い合わせ先電話番号 075-222-4130