伏見城は文禄元年(1592)~文禄5年(1596)に豊臣秀吉によって最初の伏見城である指月伏見城が築かれますが、完成直後に慶長伏見地震によって倒壊してしまいます。慶長2年(1597)に木幡山(現・桃山丘陵(明治天皇稜))に二代目の伏見城が築かれました。
秀吉の死後、徳川家康が入り、関ヶ原の合戦の際には鳥居元忠が守将として西軍に攻められ自害しています。
その後、慶長7年(1602)に徳川家康によって再建されますが、元和5年(1619)に廃城となりました。
伏見城花畑跡には昭和39年に「伏見桃山城キャッスルランド」が建設されますが、2003年に閉園。模擬天守は市民の意向で残りますが、耐震基準を満たしていないので中に入ることは出来ません。
桃山稜の北にある伏見北堀公園はその名の通り、伏見城の堀跡だと思われます。あと本丸跡である伏見桃山稜には西と南からアクセスできますが、西からはえらく歩かなければならず、南からはかなりきつい階段を登らねばなりません。まあ西からですね、階段でへばるよりはマシです。入口周辺に車数台を留めるスペースくらいはあります。
+ 続きを読む