超入門! お城セミナー 第31回 【構造】ヨーロッパみたいな星形のお城がなんで日本にあるの?

初心者向けにお城の歴史・構造・鑑賞方法を、ゼロからわかりやすく解説する「超入門! お城セミナー」。第31回目は星形の城を取り上げます。上空から見ると綺麗な星形を描く城の写真を見て、「ヨーロッパの城だ」と思う人もいるかもしれませんが、そのとおり、星形の城はヨーロッパで誕生しました。それがなんで日本に築かれたのでしょうか? そしてなぜ星形なのでしょうか? 

五稜郭、五稜郭タワー、星形
五稜郭タワーから見た、綺麗な星形を描く五稜郭。日本の城とはフォルムも様式もまったく異なっている

星形の五稜郭が函館(箱館)に建てられた理由とは?

北海道を代表する観光地であり、金銀に彩られる夜景が有名な函館。2016年の北海道新幹線開通により、東京や関東・東北圏からのアクセスがぐんと良くなりました。この函館を代表する観光地の一つが五稜郭! 実際に行ったことはなくても、上空から見た星形を描く城跡の写真を見れば、「あぁ、このことね」と気づくことでしょう。 

われわれがよく知っている日本の城(近世城郭)は基本的に四角形の組み合わせで成り立っていますが、それと比べると五稜郭のフォルムはあまりに異質。なんで、こんな星形の風変わりな城が日本に築かれることになったのでしょうか。

五稜郭が築城されたのは、慶応2年(1866)。この年はペリー来航から13年後で、江戸幕府が崩壊する2年前のこと。つまり、幕末もいよいよ差し迫ったときに造られたわけです。江戸時代は基本的にお城の新築は禁止されていましたが、幕末になって西洋列強の艦隊が来航するようになり、幕府は国防のための城を築き始めました。江戸湾に築かれた品川台場や北海道の松前城も、幕末に築かれた海上防衛のための城(要塞)です。

それにしても、なぜ函館(当時の表記は「箱館」)だったのでしょうか。直接的な理由は、箱館が開港してこの地に奉行が置かれたためですが、その背景にはロシアの脅威がありました。日本と領土を接するロシアは、じつはペリーよりもずっと早く日本へと来航し、虎視眈々と北海道(蝦夷地)や北方の島々を狙っていたのです。ロシアを牽制し、いざというときの防衛拠点にするための最前線基地が、五稜郭だったわけです。

星形要塞は滅び行く江戸幕府のあだ花だった!?

五稜郭はよく、「洋式城郭」「洋式築城法」という用語で説明されます。その言葉通り、五稜郭の城の様式はヨーロッパから伝わったものでした。ヨーロッパで星形要塞が誕生するのは16世紀頃(日本では室町~戦国時代の頃)。その頃ヨーロッパでは合戦に大砲が用いられはじめます。高い城壁は大砲によって打ち壊されてしまい、さらに塔などの高層建造物は的になってしまうので、城壁は低く全面に土塁と水堀を持つ構造となり、高い建物の建築は抑えられます。

バウルタンゲ要塞、オランダ、ヨーロッパ、稜堡式
オランダのバウルタンゲ要塞。16〜18世紀頃のヨーロッパでは、こうした稜堡を重ねたような城郭主流となる(Aerovista Luchtfotografie/Shutterstock.com)

ただし、城の守りは高低差を利用するのが基本。山城も天守も基本的には高所に築かれ、より低い場所から攻め寄せる敵に対して有利になるように築かれています。大砲に対抗するために城壁や塔など〝高さ〟というアドバンテージを失ったヨーロッパの城はどうなったか。ここで登場するのが星形なわけです。城のフォルムを星形やダイヤモンド形のように〝トゲトゲ〟にすることで、守備側から見たときの死角を一切なくしました。このトゲトゲの部分は「稜堡」と呼ばれ、星形要塞は「稜堡式要塞(稜堡式城郭)」とも呼ばれます。稜堡式は長い間ヨーロッパの主流となり、幕末に西欧列強への対抗手段を迫られた幕府首脳は、「ならば西欧で築かれている稜堡式城郭を採用しよう」と五稜郭を築いたのでした。

五稜郭、稜堡、守備
稜堡が五方向に飛び出ていることで射撃の死角をなくし、効率的な守備を可能にした(函館市教育委員会文化財課提供)

稜堡、半月堡、馬出、五稜郭、
稜堡と稜堡の間に設置された半月堡は、防備を強固にし、日本の城の「馬出」のような役割を担う。五方向すべてに築かれるはずだったが、財政難などを理由に1カ所しかつくられなかった。

しかし幕末のこの時点で、稜堡式城郭はすでに時代遅れな軍事様式でした。射程距離も長くなり、威力も段違いに高くなった大砲に対して、もはや有効な防御施設ではなかったのです。このことは、戊辰戦争の末尾を飾る箱館戦争で実証されます。榎本武揚が率いる旧幕府軍は新政府軍の軍艦からの射撃になすすべなく、降伏開城することになったのです。五稜郭の敗戦は、幕府の時代錯誤ぶりを伝える歴史的事件といえるでしょう。

さて、あまり知られていませんが、日本にはもう一つ星形の城が残ります。長野県佐久市に残る龍岡城です。航空写真で見ると五稜郭と同じ五角形の星形となっていますが、規模は五稜郭の1/5程度とミニチュアサイズ。ものの数分で城の外周をめぐることができ、水堀もせまくて、とても近代兵器に対抗できるとは思えません。築いたのは、陸軍総裁など幕府の要職を務めた松平乗謨(のりかた)(大給恒とも)。西洋事情にも通じていた彼が、なんでこのような実戦的でない城を築いたのか。五稜郭の試作だったのか、西洋趣味が長じただけか、滅び行く江戸幕府のあだ花にしたかったのか……。龍岡城を訪れることがあったら、この城の意義と築城された理由に思いを馳せてみてください。
 
鳥瞰、龍岡城、水堀、未完成
龍岡城の鳥瞰写真。写真の左上の辺は水堀が築かれておらず、築城は未完成のまま終わった(佐久市教育委員会提供)

龍岡城、土塁、石垣、切込接
石垣や土塁も低くでは実用的ではないが、すき間のない切込接で綺麗に積まれている


執筆・写真/かみゆ
ポップな媒体から専門書まで編集制作を手がける歴史コンテンツメーカー。かみゆ歴史編集部として著書・制作物多数。

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