お城紀行〜城下と美味と名湯と お城紀行〜城下と美味と名湯と 第7回 |【大洲城・前編】地元民の愛情で甦った藤堂高虎の名城

お城はもちろん、その城下町にある美味しいグルメや温泉を紹介する「お城紀行〜城下と美味と名湯と」。今回は、映画『男はつらいよの舞台ともなった大洲城(愛媛県)を訪ねます。※初掲 2018年8月30日。2022年10月6日更新



大洲城、肱川橋、雄姿
肱川橋から眺めた伊予大洲城の雄姿

映画『男はつらいよ』にも登場した大洲6万石の象徴

旅先で城を訪ねるとき、天守や櫓のある城だったら、それを遠目に眺めるだけで、「ああ。城下へ来たんだなあ」と実感できる。そして、もし自分が城のある町に住んでいたなら、毎日それを見て暮らせたら、どんなにいいだろうか。そんなふうに思いをめぐらせてみたりもする。伊予大洲駅から、ゆるゆる歩いて20分。程良く汗が出てきたかな、という時に肱川(ひじかわ)を渡る。この橋の上から眺める伊予大洲城(愛媛県)の姿。これが、雰囲気があって実にいい。また少し思いをめぐらせば、肱川は城の堀の役目を果たし、この城を堅城たらしめている…と、マニアックな目線で見ることができたりもする。本当に奥の深いものだ。城見物は。

大洲城、ニの丸、本丸、白漆喰、土塀
二の丸から本丸へ向かって白漆喰の土塀がのびている

大洲。6万石の城下町。藤堂高虎や脇坂安治が整備したのち、加藤貞泰以来、加藤氏が12代にわたり大洲藩主として治めた。その石高を聞けば小さなものだが、なかなかどうして立派な城下町である。なんでも、城郭は明治初期に政府から民間に払い下げられ、個人所有の時代が長く続いたことで取り壊しを免れたのだとか。他の城が次々と取り壊されていくなか、明治21年(1888)になってようやく老朽化のために天守は解体された。しかし、4つの櫓は元のまま残され、大洲城は市民のシンボルとして愛されるようになったのである。

大洲城、二の丸表御殿、家屋群
寅さんも歩いた古い家屋群。往時は二の丸表御殿が建っていた

城とあいまって、周辺の景観も江戸時代さながら。素朴な木造家屋が多く残っている。特に、この二の丸のあたり。どこか、「懐かしいなあ」と郷愁に駆られるような風情を持つ城下町は、かつて映画『男はつらいよ』(第19作 寅次郎と殿様)で、ロケ地として使われた。まさにこの城下で、寅さんと嵐寛寿郎(あらし かんじゅうろう)演じる「お殿様」が出会うシーンが撮影されたのだ。あとでDVDを観てみたら、見事に映画の中と同じ。あの1970年代の寅さん映画と同じ風景が、今もほとんどそのまま残っている。

大洲城、本丸、石垣、幟旗
本丸部分の石垣上に幟旗がはためく

期待に胸ふくらませ、本丸へと登る。風格のある石垣を目の前に見て、細い道を登っていく。駐車場はこの下にあって一般車両はここまで入って来られないため、ちょっとした歩行者天国というのも嬉しい。明治21年に取り壊された天守も、今は復元され、こうして立派な姿で蘇っている。先述の映画『男はつらいよ』の時(1977年)は、まだ復元されていなかったことを考えると、なかなか感慨深いものがある。

大洲城、高欄櫓
全国でも貴重な存在の高欄櫓(こうらんやぐら)

何度も折れ曲がりながら登っていくのは、ちょっとした城攻め感覚である。城兵の射撃をかい潜って突き進むのは、まさに至難の業だったのだろうなあ、と思いをめぐらせていると、頭上に高欄櫓が堂々たる姿をあらわした。これは現存4櫓のひとつで、写真で見てお分かりのように、天守と渡櫓で連結されている。そしてまた、何よりの特徴が、2階に据え付けられた廻縁(まわりえん)、つまりベランダだ。普通は天守に付けられるもので現存例は極めて少なく、他には熊本城(熊本県)の宇土櫓だけである。

大洲城、天守、四層四階、複連結式天守
大洲城天守。市民の情熱が蘇らせた四層四階の複連結式天守

大洲城天守。地元市民による寄付などで、2004年に念願かなって復元された。地元民の城に対する思い入れは大変なものだったようだ。しかも、その復元の工法が素晴らしい。

大洲城、天守ひな形
(左)明治初期の取り壊し前の天守(右)天守ひな形/ともに大洲城内にて写す

市民の愛を感じる木造復元天守の内部へ

残っていた明治時代の古写真や、棟梁の子孫宅にあった木組み模型(ひな形)など、豊富な資料をもとにして、当時の姿が正確に復元されている。史料が多かったこともそうだが、平成になってからの史跡保存の動きが、いい形で実を結んだのだと思う。

大洲城、天守内部
天守内部。かつての天守も築城当時はこのような感じだったのだろう

復元まもないため、内部は真新しい雰囲気だが、これも時代を経れば味が出てくるのだろう。高さなどが現代の建築基準法に引っ掛かり、当初は愛媛県からなかなか許可が下りなかったが、2年ほどの交渉の末に建築基準法の「除外」扱いとなり、晴れて復元が叶ったのだという。もし、昭和の時代だったら、鉄筋で復元されていたかもしれない。地元民の熱意と、最新の技術に脱帽すると同時に感謝の念が湧いてくる。

大洲城、天守、肱川、大洲市街
天守から見下ろす肱川と大洲市街

素晴らしい眺めを堪能したら、段々と腹も空いてきた。城下へおりて、町を散策していたら手頃な感じの鉄板焼き屋を見つけた。素朴な店構えに惹かれて入り、カウンターに陣取った。

大洲城、大洲名物、ちゃんぽん、城下
大洲名物「ちゃんぽん」。城下に出してくれる店が何軒かある

ビールを頼み、ご主人に勧められた名物の「ちゃんぽん」を注文。はじめて食べるので、どんなものなのかワクワクしながら焼けるのを待っていたら、焼きそばのような、焼飯のようなものが置かれた。関西でよく見る「そばめし」に似ているが、それよりもそばの形がハッキリしており、個人的にはグッドな食べ物だった。

ビールで喉をうるおしつつ、「ちゃんぽん」をつまむ。ソースの風味が口いっぱいに広がって、幸せな気分になる。城見物の心地良い疲れがスーッと溶けていくようだ。さあ~て、城を満喫してお腹もふくれた。そろそろ、宿泊地の温泉へ向かおうか。

▶「【大洲城・後編】幕末から湧き続ける伊予の秘湯・小薮温泉へ」はこちら

大洲城(おおず・じょう/愛媛県大洲市)
大洲城は文禄4年(1595年)に藤堂高虎によって近世城郭へ整備された城。江戸時代は大洲藩の藩庁となり、明治維新後も天守や一部の櫓は保存された。その後老朽化により天守は解体されるが、2004年に木造復元される。

執筆・写真/上永 哲矢(うえなが てつや)
神奈川県出身。歴史文筆家・トラベルライター。日本史・三国志や旅を主な生業として雑誌・書籍などに寄稿。歴史取材の傍ら、名城や温泉に立ち寄ることが至上の喜び。著書に『高野山 その地に眠る偉人たち』(三栄書房)『三国志 その終わりと始まり』(三栄書房)『ひなびた温泉パラダイス』(山と溪谷社)がある。

※歴史的事実や城郭情報などは、各市町村など、自治体や城郭が発信している情報(パンフレット、自治体のWEBサイト等)を参考にしています

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