南九州で力をつけた戦国大名伊東氏の基礎は、伊東祐堯(すけたか)・祐国(すけくに)二代によって築かれたと言われています。永享12年(1440)~宝徳2年(1450)にかけて、川南の曾井城、石塚城(共に宮崎県宮崎市)を中心に支配領域を拡げた祐堯は、日向国へ度々攻め寄せる薩摩の島津氏を退けました。
伊東氏が勢力を拡大してくると、日向国北部で力を持つ土持(つちもち)氏が警戒を強めたため、両者の信頼関係が薄らいでいきます。すると、土持氏は敵対する島津氏と手を結ぶようになりました。
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