駅前の城下町発!苔むす石垣探しに、高取城で山城トレッキングデビュー!

何百年も山にたたずむ石垣や掘に囲まれ、トレッキング(山歩き)の心地よさも味わえる「山城トレッキング」が、お城ファンだけでなく、ハイキングや登山を楽しむ方たちにも注目されています。「山城」といっても日本全国にたくさんあり、「おすすめの山城やコースを知りたい!」という「城びと」読者も多いのではないでしょうか? 今回は「お手軽」で「大迫力」で「フォトジェニック」、さらに「城下町も楽しめる」という、大満足な高取城(奈良県高取町)の山城トレッキングコースをご紹介します。



高取城、本丸、天守台、石垣、苔
苔むす姿が趣を感じさせる本丸天守台石垣

山城トレッキングにおすすめの高取城

高取城、城ガール、城内
最近は、城内を散策するリュック姿の女性も多い

舞台は奈良盆地南部の高取城。「日本100名城」であり、「日本三大山城」とも称される名城です。作家の司馬遼太郎さんが、「大げさにいえば、最初にアンコール・ワットに入った人の気持ちがすこしわかるような一種のそらおそろしさを感じた」(司馬遼太郎『街道をゆく』(朝日新聞出版))と記した城で、二ノ丸大手門、多門櫓、本丸高石垣・・・と、連続する石垣群を眺めながらの、山城トレッキングが楽しめます。

山城トレッキングでは暑さや虫よけ対策が重要

高取城、トレッキング、装備
暑さや虫刺されに備え、トレッキング用の装備がおすすめ

「山城トレッキング」というからには、歩きやすい格好が基本です。城跡の整備は完全ではないため、靴はトレッキングシューズやスニーカーがマスト。リュックスタイルで両手を空け、写真撮影やスマートフォンが使えるように。夏と言えば、日射しと虫よけ対策もお忘れなく。暑いとは思いますが長袖・長ズボンがおすすめ。ほかには、帽子、タオル、急な天候の変化に備え雨具や救急セット、軍手などもあるといいですね。

飲み物やおやつの準備もお忘れなく。高取城跡周辺に、売店や自動販売機はほとんどありませんので、最寄り駅の近鉄壺坂山駅周辺で調達しておくと安心です。また、街灯が少ないため、夜間の散策は避けましょう。日暮れの時刻に注意し、余裕をもった時間配分が一番です。

駅前からスタートし城下町から城を目指す

高取城、城下町、土佐街道
城下町と高取城を結ぶ土佐街道

山城トレッキングの準備ができたらいよいよ出発です!近鉄壺阪山駅近くに広がる城下町を通る土佐街道を進みます。約3kmを過ぎたあたりで、敵からの攻撃に備えて何度も屈折する「七曲り」が待ち構えます。その後には「一升坂」。城に荷物を運ぶ人が重荷の苦しさにヘトヘトになったため、駄賃として米一升を上乗せして激励したという逸話が残ります。ここまで壺阪山駅から約4km、本格的な高取城散策はここから始まります。

圧倒的な石垣群と446mもの高低差

高取城、御成門、二の丸、大手門跡
「御成門」とも呼ばれた二ノ丸大手門跡

何より石垣の量の多さに目を見張りますが、うっそうと茂る木々の葉が心地よい気分にさせてくれます。目の前に広がるのは、司馬遼太郎さんが「アンコール・ワット」に例えた頃と変わらない景色。春には桜、夏には深緑、秋には紅葉が目を楽しませてくれるのです。一方で、難攻不落の城。二ノ丸大手門、多門櫓、本丸高石垣・・・と、連続する石垣群に圧倒されます。

高取城、十五間多門跡、石垣、櫓
十五間多門跡。左右の石垣をまたぐように櫓が立っていた

高取城、本丸、大天守、小天守、三層櫓群
本丸では大天守・小天守・三層櫓群が多門櫓でつながっていた

高取城は比高(ふもとから本丸までの高さ)が446mもあります。こんな高いところに、しかも大砲を備えていたそうです。ただでさえ険しい道のりを上ってきたうえに、攻める側からすれば、たまったものではないですね。。。

見上げるような天守の高石垣は約12m、かつては天守のほか、27の櫓と33の門を備えていました。「薩摩や長州が近畿に攻めてくる時」を想定して、ここまで厳重にしたと考えられています。実際に幕末、江戸幕府打倒を目指した天誅組が攻めてきた際、大砲が威力を発揮し、撃退したと伝わっています。

高取城、本丸、天守台、石垣
迫力満点の本丸天守台石垣は登城のごほうび

織田信長が壊そうとしたものの大城郭へ変身

高取城、写真、再現
往時の高取城の写真(右)と再現したCG(左)

大和と吉野をつなぐ要衝地として、南北朝時代から城が築かれていました。当時は今のような石垣はなく、山の地形に合わせて土を生かしたものでした。天正8年(1580)、織田信長の命令で壊すことになりましたが、天正12年(1584)に大和を治めていた筒井順慶が改修し、さらに豊臣秀吉の弟・秀長が家臣の本多利久に命じて、近世の城郭に変身させました。三代で本多氏が断絶したため、寛永17年(1640)に徳川家の譜代の家臣であった、植村家政が高取藩の初代藩主に。城の修理が必要な場合は、届け出をしなくても勝手に行えるという特別待遇でした。そして、明治維新まで14代にわたって植村家による高取藩は存続します。

14代も続いた高取城のお殿様「植村家」って何者?

高取城、本丸、奈良盆地
植村家が任された高取城は、奈良盆地や大和の山々を一望できる重要な場所にある

14代の藩主の名前を順に挙げると、家政、家貞、家言、家敬・・・・家保、家壷。すべてに「家」の字が入ります。そう、まるで徳川家のようですよね。実は、植村家は徳川家の譜代。松平清康(家康の祖父)が暗殺された際に仇を討ったことで知られる植村氏明は、松平広忠(家康の父)も支え、「当家随一の武功忠節の者」として称えられたほどです。徳川家康の時代になっても功を挙げ、「家」の字を与えられることになりました。徳川家からの信頼が厚い植村家だからこそ、重要な地であった高取城を任されたのです。

植村家の姿を思い浮かべ、高取の地が徳川家にとって重要な場所だったことを考えると、積み上げられた立派な石垣や、天守台からの雄大な眺望が腑に落ちます。

町屋が並ぶ城下町で味わう歴史&グルメ

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武家屋敷である田塩家長屋門。土佐街道沿いに歴史風情ある町並みが残る

高取城で山城散策に夢中になった後、我に返って下山です。帰路も約5kmありますが、下りながらの登城道の景色もまた新しい発見があるはず。往路は登城を優先してゆっくり見学できないと思いますので、帰路はぜひ城下町に残る武家屋敷や町屋を覗いてみてください。メインストリートは土佐街道。蓮子格子や虫籠窓などの造形をもつ、二階建ての町屋が並びます。土佐街道の名前は、はるか飛鳥時代に、都づくりのために連れてこられた土佐(現在の高知県)の人々が住み着き、故郷に思いを馳せつけたといわれます。

高取は「薬のまち」としても知られます。もともと付近の自然の中で、有用な薬草が育っていたのが始まり。その伝統は、今も製薬産業に残っています。「くすり資料館」に立ち寄れば、「薬のまち」としての歴史を詳しく知ることができます。

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米蔵を改装した町屋カフェnoco noco。

美味しいものを食べたい!という方は、「町屋カフェnoko noko」でひとやすみ。昔からの米蔵を改装した店内は、重厚な造りながら開放的な空間。数量限定の「のこのこランチ」は、絶品のゴマ豆腐など手作りにこだわった人気メニューです。
土佐街道沿いにはほかにも、豆腐本来の味にこだわる「手作り豆腐 土佐屋」、食パンが有名な「的場製パン」など、立ち寄りたくなるお店が並びます。

観光をもっと楽しみたいという方には、スマートフォン・タブレット専用のガイドアプリ「ええR高取町」がおすすめ。高取城をはじめ、高取町の観光にかなり役立ちますよ。

山城トレッキングから城下町散策まで楽しめる高取城。「日本100名城」「日本三大山城」と、城ファンなら一度は訪ねてみたい名城です!すでに山城トレッキング熱が盛り上がってきた方もおられるのでは?気持ちはいくら熱くなっても大丈夫ですが、夏の暑さにはくれぐれもご注意を。無理せずに山城トレッキングを楽しみましょう。


高取城
所在地:奈良県高市郡高取町高取
交通:近鉄吉野線「壺坂山」駅から徒歩約90分。または、近鉄吉野線「壺坂山」駅から奈良交通バス「壷阪寺行き」で 11分、「壷阪寺前」下車、徒歩約1時間程度

※寺の名前(壷阪寺)を指す場合は、「壷」の字を用います。

執筆・写真/藪内成基(やぶうちしげき)
奈良県出身。30代の城愛好家。国内旅行業務取扱管理者。出版社にて旅行雑誌『ノジュール』などを編集。退職し九州の城下町に移住。観光PRやガイドの傍ら、「城と暮らし」をテーマに執筆・撮影。『地域人』(大正大学出版会)など。海外含め訪問城は500以上。知識ゼロで楽しめる城の情報発信を目指す。

※歴史的事実や城郭情報などは、各市町村など、自治体や城郭が発信している情報(パンフレット、自治体のWEBサイト等)を参考にしています

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