2018/08/30
超入門! お城セミナー 第27回【構造】沖縄のグスクが「城じゃない」って本当!?
初心者向けにお城の歴史・構造・鑑賞方法を、ゼロからわかりやすく解説する「超入門! お城セミナー」。今回取り上げるのは、観光地としても有名な沖縄に残るグスク。首里城などのグスクを訪れて、「日本のお城と似ているな」と感想を持った人もいるかもしれませんが、じつは日本の城とグスクはまったくの別物。グスクはどのように誕生し、発展してきたのでしょうか。
陽光に映える首里城の守礼門
本土の城に先駆けて石垣づくりになった琉球のグスク
「夏本番! 夏といえば南国のビーチ!! 」ということで、夏休みを利用して沖縄の島々に遊びに行く人も多いのではないでしょうか。沖縄本島の定番の観光地というと、美ら海水族館や国際通りと並んで、首里城が有名です。ちょっと歴史や史跡好きであれば、世界遺産に登録されている勝連城や座喜味城、中城城、今帰仁城も是非行っておきたいところでしょう。
南国の海を望む今帰仁城。流れるように石垣がのび、直角に折れる部分はない
グスクって? どういう背景で生まれたの? 特徴って?
さて、首里城や勝連城は「城」と書いていますが、日本(正確に言うと日本列島の北海道南部・本州・四国・九州)に残る「城」とは異なる存在で、「グスク」と総称されています。だいぶ端折った説明になりますが、沖縄は基本的に、明治時代以前は独立国でした。「琉球王国」が沖縄本島と諸島を広く治めており、中国(明や清)をはじめアジア諸国との交易によって隆盛しました。グスクはこうした歴史的背景のもと、九州以北の本土の城とはまったく別系統で発達した、独自の城郭なのです。
グスクといえば、南国の日差しを受けて青白くそびえ立つ石垣が印象的です。本土の石垣が直線的なのとは対照的に、グスクの石垣はうねるような曲線でつくられており、隅(コーナー)部分も直角に折れる本土の城とは異なり、ゆるやかな孤を描いています。石造りで築かれたアーチ門も見事なもの。そこはかとなくエスニックな雰囲気をかもし出しており、中国の城門をイメージする人もいるかもしれません。こうした造形美を可能にしたのは、石材として用いられている琉球石灰岩のおかげ。珊瑚礁から生成される琉球石灰岩は多くの気孔を含むため、たいへん軽く、加工しやすいのが特徴です。
世界遺産である座喜味城の城壁とアーチ門。石垣はまったく隙間なく積まれている
そのため、琉球(沖縄)では本土に先駆けて石垣づくりの城が登場しました。14〜15世紀頃、沖縄本島では地方の豪族が群雄割拠する時代がありました。その頃に築城技術も発達し、それ以前からあった土づくりのグスクは石垣づくりへと変貌を遂げ、各地に築かれるようになります。本土で石垣づくりの近世城郭が普及するのは、織田信長や豊臣秀吉が天下統一を目指した16世紀後半ですが、琉球では100年以上先駆けて、すでに総石垣のグスクが築かれていたわけです。
グスクの起源は「集落」なのか? 「聖域」なのか?
先ほども説明したように、一般にグスクには「城」という字をあてはめています。そのため、私たちは琉球(沖縄)のグスクも本土の城と同じように、城主が住む場所であり、敵から身を守る軍事的な防御施設であると考えてしまいがちです。確かに、勝連城も中城城も争乱の時代に城砦として築かれていますし、首里城は琉球を統一したのち、江戸城と同じように統治者の住まい兼政庁となっていますから、その点では本土の城も琉球のグスクも役割や目的はいっしょといえます。
ただし、グスクはそれとはまったく違う顔も持ちます。グスク内には「御嶽(うたき)」「遙拝所」と呼ばれる信仰の場所が必ず備わり、現在でもその場所で祈りを捧げるおばぁを見かけることがあります(沖縄では神に仕えるのは女性とされる)。「沖縄以外の城にだって城内に神社があるじゃないか」という意見もあるかと思いますが、ちょっと事情が違うのは、本土の城の中心に神社が築かれるようになったのは明治以降のことですが、グスクには昔から、不可欠な存在として御嶽が備わっていました。
中城城内の遙拝所。この雨乞いの御嶽とは別に、神の島・久高島を拝する久高遙拝所も残る
垣花城に残る御嶽。垣花城は大部分が藪に埋もれ石垣も崩れているが、祈りの場だけはきれいに整えられていた
グスクの起源とは?
グスクのはじまりを巡っては、防御機能を持った集落であったとする説や、地方の実力者(「按司」という)の住居が発達したとする説があり結論は出ていませんが、「村落の聖域だったのではないか」とする説も有力です。拝所や墓地を囲って聖域としていたのが、必要に迫られて人が篭もる場所となり、防御施設として発達したというわけです。琉球には数百というグスクが存在していたとされますが、いかにも「城」という立派なグスクもあれば、現在では防御機能は一切失われ、ただ御嶽だけが残るグスクも少なくありません。合戦のため(身を守るため)に築かれたグスクが「聖なる場所」でもあるというのは、どこか神秘的ですし、「城の起源って何だろう」と考えさせてくれます。
今回は南国の沖縄に残るグスクを紹介しましたが、目を転じて日本列島の北に注目すると、北海道、昔の蝦夷地にはアイヌ独自の城郭である「チャシ」が残されています(チャシについては改めてこの連載で取り上げます)。列島の北にチャシ、南にグスクという本土の城とは異なる城郭形態があったということは、日本列島は多様な民族と文化を有しており、「日本」の歴史もまた均質的・単一的ではなかったことを意味しています。
首里城の儀礼の場であった正殿。中国や朝鮮半島の宮殿建築からの影響が見られる