萩原さちこの城さんぽ 〜日本100名城・続日本100名城編〜 第9回 幕末に築かれた星型の要塞 五稜郭

城郭ライターの萩原さちこさんが、日本100名城と続日本100名城から毎回1城を取り上げ、散策を楽しくするワンポイントをお届け!今回は、函館のシンボル・五稜郭。五稜郭は、幕末に外国からの攻撃に備えて築かれたというのをご存知ですか?

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函館を代表する観光地でもある五稜郭。陵堡を5つ並べ、石垣、水堀、土塁で囲む陵堡式

5つの稜堡を持ったヨーロッパ式

まだまだ暑さが厳しい季節、涼しい北海道での城めぐりはいかがでしょうか。実は、北海道にも城はあるのです。そのひとつが、函館のシンボルでもある五稜郭です。

五稜郭は幕末に、江戸幕府が直轄地に国防を目的として築いた要塞です。五稜郭とは通称で、正式名は函館奉行所。「五稜郭」とは5つの郭を持つ星型要塞の総称で、函館市内には五稜郭と時期を同じくして築かれた四稜郭もあります。

嘉永6年(1853)にアメリカのペリー艦隊が上陸すると、日本は翌年に日米和親条約を締結。函館と下田の開港が正式に決定したことで、幕府の外務省にあたる箱館奉行所は外交の窓口となりました。外国への危機感が高まったことで、安全な場所へと移転して築かれたのが五稜郭というわけです。それまでの箱館港を見下ろせる場所(現在の元町公園あたり)から内陸へと場所を移し、堀と土塁で守られた防衛力の高い施設として生まれ変わりました。

珍しい星型をしているのは、西洋式の城だからです。設計を担当したのは、蘭学者の武田斐三郎。中世ヨーロッパで発達した城塞都市を参考に西洋式の土塁を考案したとされ、フランスの築城書を写したとされる図面が残っています。堀幅が広いのは、大砲の攻撃を想定してつくられているためです。

五稜郭、堡塁
堡塁。当初の設計図には5つ描かれており建設予定と思われるが、実際には1つしかない

よみがえった函館奉行所も必見

外国からの攻撃に備えてつくられたはずでしたが、本来の目的とは異なり、戊辰戦争という内紛の激戦地として歴史に名を刻むことになりました。榎本武揚率いる旧幕府軍は五稜郭に籠ったものの、新政府軍の攻撃を受けて降伏。戊辰戦争は五稜郭での激戦を最後に、幕を下ろしたのでした。

星型の頂点の部分に陵堡というスペースを5つ並べて、石垣、水堀、土塁で囲む陵堡式という形式です。さらに、正面にあたる星型の凹みの部分に、半月堡という堡塁が設けられています。五稜郭タワーの展望台から見下ろせば、星型の輪郭がばっちり見えます。半月堡は5カ所建造される予定でしたが、財政難により断念したため1カ所しかありません。

平成22年(2010)には、旧箱館奉行所庁舎が復元されました。式台のある大名屋敷のような建造物で、屋根の上には櫓が乗った個性的な外観です。箱館戦争ではこの太鼓櫓が目印となって大砲の照準を計算されてしまい、砲撃を浴びてしまったというエピソードも残ります。

五稜郭、函館奉行所、赤瓦
復元された函館奉行所。屋根には越前産の赤瓦が使われていた

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執筆・写真/萩原さちこ
城郭ライター、編集者。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演など行う。著書に「わくわく城めぐり」(山と渓谷社)、「お城へ行こう!」(岩波書店)、「日本100名城めぐりの旅」(学研プラス)、「戦う城の科学」(SBクリエイティブ)、「江戸城の全貌」(さくら舎)、「城の科学〜個性豊かな天守の「超」技術〜」(講談社)など。「地形と立地から読み解く戦国の城」(マイナビ出版)2018年9月14日発売、「続日本100名城めぐりの旅」(学研プラス)2018年9月18日発売。ほか、新聞や雑誌、WEBサイトでの連載多数。公益財団法人日本城郭協会理事兼学術委員会学術委員。

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