くのうざんじょう

久能山城

静岡県静岡市

別名 : 久能城、久能寺城
旧国名 : 駿河

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本殿
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ぴーかる

久能山東照宮 (2020/09/18 訪問)

【久能山城】
<駐車場他>南側麓には駐車場があるようです。日本平の方はロープウェイのりばに無料Pがあります。
<交通手段>静鉄バス・ロープウェイ

<見所>東照宮・博物館・家康公神廟
<感想>GoTo静岡1泊2日攻城の旅2城目。旅行会社で予約した時無料で付いてきた「ふじのくに家康公きっぷ」というチケットを利用して静岡駅から静鉄バスで日本平まで行き、日本平からロープウェイで久能山に到着。
 事前調べで城跡はほぼ東照宮になっており、お城としての遺構は少なそうなので最大の目的、家康公廟をじっくり堪能した。博物館400円には徳川将軍の歴代の書や秀忠・家光が書いた東照宮の寄進状、家康の遺品、洋時計等が展示されています。なかなかの見応えです。石段を下って登るのは大変なので一の木戸の所まで行って引き返した。今回の満足度は遺構は少ないので東照宮・神廟・博物館で付けています。

 日本平に戻り、展望台より富士を見たが、残念ながらあいにくの曇空。超うっすらとは見えました。

<満足度>◆◆◆

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🏯城好きのメガネ

「久能山城」 (2020/03/25 訪問)

<オススメ>★★★☆☆
久能山城は、垂直に近い崖で囲まれた駿河随一の要害である。武田氏が駿河支配の拠点として中世山岳寺院を改修した。武田氏滅亡後は徳川氏の支配下に入った。徳川家康の死後、遺骸が遺命によって久能山に葬られ、1617年12月には徳川秀忠によって東照社(現・久能山東照宮)の社殿が造営された。駿府城代支配の職である久能山総門番として交代寄合の榊原家(榊原康政の兄・清政の家系)であった。現在、武田氏築城時の伝山本勘助の井戸が遺されている。

<アクセス>
JR静岡駅 しずてつジャストラインバス「日本平ロープウェイ行き」下車すぐ

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赤い城

家康が眠る (2020/06/28 訪問)

麓に駐車場があり、そこから石段を登ります。
日本平からロープウェイも出ています。

ちょうど紫陽花のシーズンで綺麗でしたが石垣イチゴも有名だそうです。

元々は久能寺が建っていたが武田信玄ににより城となったそうです。
勘助井戸がその名残かどうかはわかりません。

その後徳川の城となり、現在では東照宮が建ち、家康公の墓所となっています。
やはり東照宮なので彫刻なども見事、雰囲気もありました。
ただし、城としての遺構は無さそうでした。

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姫街道

駿府城の本丸 (2020/06/20 訪問)

甲斐の武田信玄にとって、武田水軍の結成は悲願であったと思う。しかしながら甲相駿三国同盟もあり、悲願達成は1568年の駿河侵攻後となってしまった。身延街道から、江尻城、袋城、久能山城、持舟城を整備し、高天神城まで陸上でも海上でも行けるルートを確保されては、徳川方は高天神城を守るのは至難の技だっただろう。勝頼が長篠の敗北後、早々と二俣城が落城してしまったのは、この海岸ルートの死守を優先したからではなかろうかと私は考えている。その中で、久能山城は駿河湾の海上ルートを守る中心地だったであろう。久能山城としての遺構はほとんど残っていない。今は麓から東照宮まで石垣が連なり国宝の威厳と雰囲気を感じるが、戦国期や江戸初期などガケ地に獣道がついてた程度であろう。木々が無ければ、守衛に発見されずにこのガケを登る事はほぼ不可能に近い。
家康公は久能山を駿府城の本丸と言っていたが、納得だ。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 武田信玄
築城年 永禄11年(1568)
主な城主 今福氏(武田氏家臣)、本多氏、松平氏、榊原氏
遺構 曲輪、土塁、井戸
指定文化財 国史跡(久能山)
住所 静岡県静岡市駿河区根古屋
問い合わせ先 静岡市経済局商工部観光課
問い合わせ先電話番号 054-354-2422