2019/05/20
超入門! お城セミナー 第66回【鑑賞】現存天守で一番古いのはどこのお城?
お城に関する素朴な疑問を、初心者向けにわかりやすく解説する連載「超入門! お城セミナー」。今回のテーマは、現存天守の建築年代について。現存天守の中で最も古いのは何城なのか。これまでの最有力候補は丸岡城でしたが、2019年4月、これを覆す調査結果が明らかになりました。
古式の望楼型であることから「最古の現存天守」と考えられていた丸岡城
最古の天守最有力候補・丸岡城の築城年代が判明!
城の象徴として、織豊期から江戸時代初期にかけて盛んに造られた天守。最初期の天守(天主)としては織田信長が築いた岐阜城(岐阜県)や安土城(滋賀県)が有名ですが、この頃の天守はいずれも江戸時代までに喪失しています。では、江戸時代以前に築造され現在まで残る「現存天守」の中で、最も古い天守はどこのお城なのでしょうか。
その謎の答えに迫るニュースが2019年4月に発表され、大きな注目を集めました。なんと、これまで「最古の現存天守」といわれていた丸岡城(福井県)の天守築造年代が判明したというのです。
丸岡城は天正4年(1576)に織田信長が柴田勝豊(しばたかつとよ/柴田勝家の甥)に築かせた城。文献資料の記述や古い時代の望楼型の特徴を持つことなどから、創建時に築かれたという説が有力視されていました。天正期の築造となれば、現存天守ではダントツに古いことになります。
丸岡城の天守は初重の底面が天守台より狭い。そのため、天守台に雨水が入らないように庇がつけられている。これは丸岡城にだけ見られる構造だ
丸岡城がある坂井市は、天守の国宝化を目指して、2015年から天守の築造年代の調査を開始。天守を支える梁や柱の伐採年代を特定するため、建材の年輪の幅から伐採年代を測る年輪年代測定法や、建材に含まれる炭素量を調べてその木が生きていた年代を特定する放射性炭素年代測定法などが行われました。その結果、主要部分に使われている建材の伐採時期が、1620年代後半だったことが判明。これにより、天守の築造年代は寛永年間(1624〜1645)である可能性が高くなり、天正4年築造説は否定されてしまったのです。
現存最古の天守はどこなのか?
では、「最古の現存天守」は何城なのでしょうか?
まず候補にあがるのが、以前から丸岡城と並んで「最古の天守」を争っていた犬山城(愛知県)です。犬山城天守は丸岡城と同じ古式の望楼型天守であり、文禄4年(1596)に石川氏が城主となった際、美濃金山城(岐阜県)の建物の建材を再利用して天守を造ったという伝承がありました。
しかし、1961年の天守解体修理の調査で、天守の建材に移築の痕跡はなかった事が確認され、文禄4年築造説はほぼ否定されています。その後の文献等の調査により、現在では一・二階の入母屋部分が慶長6年(1601)に造られ、元和6年(1620)に三・四階の望楼部分が増築されたという説が有力になっています。
犬山城は天文6年(1537)に織田信長の叔父・信康によって築かれた。天守の入母屋部分はこの創建時に造られたという説もあるが、これを裏付ける資料などは見つかっていないため否定的に見られている
犬山城天守の入母屋部分は、中心の部屋を幅の広い武者走りが取り巻く構造になっている
丸岡城も犬山城も違うとなると、いったい「最古の現存天守」はどこなのか。新たな有力候補として浮上したのは、漆黒の姿が美しい松本城(長野県)です。
松本城の天守群は左から月見櫓、辰巳附櫓、大天守、渡櫓、乾小天守の5基の建物からなる
松本城天守群の内、大天守と乾小天守、渡櫓は天正18年(1590)に入封された石川数正(いしかわかずまさ)と康長(やすなが)父子によって、文禄2〜3年(1593〜94)頃に築かれたという説が有力なのです。この説が有力視されている理由は、この時期に木を大量に伐採したという記述が古文書にあったため。ただし、松本城では丸岡城のような科学調査までは行われていないため、この説はまだ覆る可能性もあります。なお、松本城天守群が現在見られる連立複合式になったのは、月見櫓と辰巳附櫓が築造された寛永10年(1633)です。
天守の築造年代は、文献調査だけでも科学調査だけでも確定することができないむずかしい問題で、「最古の現存天守」は確定していないのが現状。しかし、近年は2015年に国宝となった松江城や今回の丸岡城のように、天守に関する新発見が相次いでいます。今後も全国で調査が進めば、真なる「最古の現存天守」が分かる日が来るかもしれない……と考えるとわくわくしてきますね!
執筆・写真/かみゆ歴史編集部
ポップな媒体から専門書まで編集制作を手がける歴史コンテンツメーカー。かみゆ歴史編集部として著書・制作物多数。