2018/09/26
日本100名城・続日本100名城のお城 【続日本100名城・黒井城編】明智光秀を苦しめた「丹波の赤鬼」が守る山地の要塞
破竹の勢いで天下取りに近付いていった織田信長に敵対、明智光秀を敗戦に追いやった丹波の赤鬼・赤井直正をご存知ですか? 今回は、光秀が攻略に苦戦したという堅城・黒井城(兵庫県)とその城主・赤井直正をご紹介。黒井城を知るにはとにかく歩いてみるのがおすすめなので、最寄りのJR黒井駅から山城トレッキングで攻略しましょう!
黒井城本丸。荒々しく積み上げられた野面積みの石垣が迎えてくれる
まずは丹波平野を一望する山上の要塞へ
案内板に描かれた赤井直正のイラストと「風雲急をつげる黒井城」の文字
登城口に立つ案内板に力強く書かれた「風雲急をつげる黒井城」の文字。黒井城に関する前知識がなくとも、気分が高揚します。「急坂コース」と「ゆるやかコース」の2つのコースがあり、「急坂コース」は城正面を固めるために造られた「三段曲輪」や、見張り所と太鼓櫓のあった「太鼓曲輪」を通過する、より実践的なルートですので、山城を感じたい方には「急坂コース」がおすすめです。
連続する石段から始まる「急坂コース」
両コースが合流するのは、山の7合目付近の「石踏(せきとう)の段」。大手道最大の曲輪跡で、切崖の遺構も見られ、丹波平野が一望できます。ここから「本城」とよばれる山頂部へ。複数の曲輪が並べられ、さらに荒々しく積み上げられた石垣に圧倒されつつ登り続けます。
山の7合目あたりに構えられた石踏の段
黒井城は丹波山地に張りめぐらされた城ネットワークの一部
本丸跡に立つ石碑。昭和初期までは建物の礎石があったという
山頂部まで苦労して登るものの、実はまだ黒井城のほんの一部分。猪ノ口山系と呼ばれる、約120ヘクタールにも及ぶ広大な山地全体が城の領域なのです。山中の至るところに曲輪や土塁、堀切などの防御施設があります。さらに驚くべきは、この広大な黒井城と連携する支城や砦が、約1kmごとに張りめぐらされており、敵の襲来に備える防御態勢も敷かれていたのです。織田信長の家臣として頭角を現わしていた明智光秀が、一度は敗戦に追い込まれた理由がよく分かります。
猪ノ口山の遠景。台形状の最高部に黒井城が築かれていた跡があり、石垣が見える
織田信長に抵抗し明智光秀を苦しめた「丹波の赤鬼」とは?
東曲輪跡の石垣。土塁上に野面積みの石垣が積み上げられている
黒井城をこんなにも強固な城に改修し、光秀に苦戦を強いた赤井(荻野)直正とは一体どのような人物なのでしょうか? 赤井直正は豪勇とうたわれ、「丹波の赤鬼」と恐れられた武将で、荻野氏の一族である赤井氏に生まれ、荻野姓を名乗っていました。天文23年(1554)正月の年賀の席で、黒井城主の萩野秋清を刺殺して城主となりました。これにより「悪右衛門」を名乗ったといわれます。黒井城の改修や城下町の整備に着手し、丹波国全体に勢力を拡大しました。そして、同時期に勢いを増す織田信長に一度は従うものの、敵対することになります。
手前から広がるのが猪ノ口山系。山地を生かした要塞であることが一目でわかる
織田信長の命で、丹波平定のために派遣された総大将が明智光秀。天正3年(1575)、赤井直正の籠る黒井城を包囲し、戦いは2カ月に及びましたが、明智光秀に従っていた丹波の国人・波多野秀治が裏切り明智光秀の陣を急襲。明智光秀軍は総崩れになり、壊滅的な打撃を受けてしまいます。
その後、赤井直正は毛利、武田、石山本願寺など反織田勢力と同盟を結び、幾度も織田軍を撃退させる役割を果たしました。しかし、天正6年(1578)に病没。その後は赤井勢の士気が衰え、天正7年(1579)に明智光秀が2度目に黒井城へ攻めてきた際には、ついに落城してしまいます。
徳川家光の乳母・春日局は「丹波の赤鬼」の下館生まれ
興禅寺に積み上げられた石垣が下館の面影を残す
黒井城を中心に山地を生かして戦った赤井直正でしたが、黒井城の南麓に下館を設けて平時には政務を行いました。この場所は現在、興禅寺という寺院。野面積みの高い石垣と、白壁などが当時の面影を残しています。実はこの興禅寺は、徳川家光の乳母として知られる「春日局(かすがのつぼね)」の生誕地。「お福さま」と呼ばれ、3歳までここで過ごしていました。境内には幼少時代を過ごした名残である「お福の腰掛け石」や「お福の産湯井戸」が残っています。
黒井駅前広場に立つ「お福(春日局)の像」
黒井城登山口まではJR黒井駅から約1km。興禅寺など城下町風情残る町並みを通り、山城トレッキングのウォーミングアップにちょうどいい距離です。山城トレッキングとして、秋の行楽シーズンにぜひ訪ねてみたい、続日本100名城ですね。ちなみに電車内からも黒井城跡は見えますので、黒井駅に近づきましたら車窓からの景色もお楽しみください。
住所:兵庫県丹波市春日町黒井
電話:0795-70-0819(丹波市教育委員会文化財課)
アクセス:JR福知山線黒井駅から登山口まで徒歩約10分
執筆・写真/藪内成基(やぶうちしげき)
奈良県出身。30代の城愛好家。国内旅行業務取扱管理者。出版社にて旅行雑誌『ノジュール』などを編集。退職し九州の城下町に移住。観光PRやガイドの傍ら、「城と暮らし」をテーマに執筆・撮影。『地域人』(大正大学出版会)など。海外含め訪問城は500以上。知識ゼロで楽しめる城の情報発信を目指す。
※歴史的事実や城郭情報などは、各市町村など、自治体や城郭が発信している情報(パンフレット、自治体のWEBサイト等)を参考にしています