2021/09/08
名古屋から約1時間!明知鉄道で『半分、青い。』の舞台・城下町岩村と明智光秀ゆかりの城へ
秋の行楽シーズンに、旬の城下町と城を目指すローカル線の旅はいかがでしょうか? 岐阜県東部を走る明知鉄道は、その名の通り武将・明智光秀ゆかりの地を走るローカル路線。NHK連続テレビ小説『半分、青い。』のロケ地である城下町岩村も通ります。岩村駅では、城下町をのんびり歩きながら、日本100名城・岩村城に登城。終点の明智駅では、明智光秀の面影を訪ねながら明知城を目指します。(※2018年10月23日初回公開)
岩村城が大きく描かれた案内地図が立つ岩村駅。城旅の始まりにワクワクする
出発地の恵那駅付近には中山道「大井宿」の跡が残る
恵那駅付近を走る明知鉄道。1両編成のかわいらしい車両
名古屋駅からJRを使って約1時間、恵那駅で乗り換えるところから城旅はスタート。恵那駅周辺は、2020年・2021年放送のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公、明智光秀ゆかりの里でもあります。すぐにでも出陣! とはやる気持ちを抑えて、まずは中山道「大井宿」の「枡形」を見学に行きましょう。
恵那駅から400mほど歩くと、江戸時代の五街道のひとつ、中山道「大井宿」の跡が残っています。大井宿の入口に設けられているのは、宿の安全防備の役割を果たす「桝形」。外からの見通しを遮り、侵入者の直進を妨げる機能は、実際に歩いてみてこそ実感できます。この後訪ねる、城下町岩村でも桝形が見られますのでお見逃しなく。
中山道大井宿の桝形。街道を直角に曲げ、行路を阻むように造られている
散策を楽しんだ後は、恵那駅へ戻り明知鉄道に乗車。明知鉄道は、恵那駅から終点の明智駅までの約25.1kmを11の駅が結び、地元では「あけてつ」の愛称で親しまれています。鉄道を指す場合は「明知」鉄道、駅名は「明智」駅と、表記が少しややこしいですね。
岩村駅で途中下車し『半分、青い。』のロケ地めぐり
岩村駅に掲げられた「女城主の里」の看板
車掌帽をかぶってうれしそうに記念撮影を楽しむ5歳くらいの男の子。その後ろ姿を追いながら明知鉄道に乗車し、のんびりした雰囲気を味わいながら、いよいよローカル線旅の始まりです。車窓に広がるのどかな風景と、時折くぐる木々のトンネル。恵那駅を出発して約30分、岩村駅に近づくと車窓から「女城主の里」という看板が見えてきます。ここで途中下車。「日本100名城」であり「日本三大山城」のひとつ岩村城への拠点です。
岩村駅を降りて約200mで、商店が立ち並ぶ岩村本通りへ。江戸時代の町並みが残り、国の重要伝統的建造物保存地区に選定されています。歩くにつれて商店の数が増え、伝統の岩村カステラや酒蔵の看板が気になります。名物の五平餅を求めて並ぶ人だかりも。どこかで見たことがある景色だなと思えば、城下町岩村はNHK連続テレビ小説『半分、青い。』のロケ地ですね。立ち寄りたい店ばかりですが、何よりもまずは岩村城へ。
五平餅を求めてならぶ観光客。岩村本通りには五平餅をいただけるお店が多数並ぶ
城下町岩村で食べられる五平餅は種類豊富で、形だけでも写真の「だんご型」ほか、「おにぎり型」、「きりたんぽ型」、「わらじ型」が楽しめる
「日本100名城」岩村城の6段石垣は必見!
岩村城登城口付近の石畳。撮影時は雨あがりのため表面が濡れている
岩村駅から登城口付近の岩村歴史資料館まで約1.5kⅿありますが、古い町並みを眺めながら歩いていると距離を感じません。「日本三大山城」の名を冠するため、急峻な登り道を覚悟していましたが、登城道は整備され歩きやすいのでご安心を。城下町散策のついでに足をのばしている気軽な登城客が目立ちますが、石畳みを登っていきますので、雨上がりは濡れてすべりやすいです。歩きやすい靴で、油断せずに登ってください。
岩村城は標高717mの高所に築かれた近世山城の代表格。霧が発生しやすい場所に築城されたため、「霧ケ城」の別名をもちます。まさに地形を巧みに利用した要害堅固な城です。最大の見どころはなんといっても本丸に雛壇状に積み上げられた石段。なんと6段も積み上げられ、迫力満点です!
雛壇状に積み上げられた岩村城本丸の石垣。登城者の誰もが足を止めて見上げる
岩村城は歴史も古く、文治元年(1185)、鎌倉幕府初代将軍・源頼朝の重臣であった加藤景廉(かげかど)が地頭に命じられたのを機に築城が始まったとされます。その後も加藤氏は姓を地名にちなんで遠山にし、遠山氏として岩村城に居城しました。戦国時代に入ると武田信玄の家臣・秋山信友に奪取され、その後は織田家の勢力下になるなど変遷を重ねました。ちなみに、秋山信友が岩村城を攻めた際、城主・遠山景任を亡くし未亡人となった修理夫人が城主でした。女城主として、岩村の領民を守るために、秋山信友の妻となることで岩村城を守り続けました。しかし、彼女は織田信長の叔母という立場でもあり、武田家と織田家が争う中で、織田信長が岩村城を攻略すると殺害されるという悲しい最期を遂げました。
慶長5年(1600)の関ヶ原の戦い後には松平家、丹生家が治めて明治維新を迎えました。
終点の明智駅から明智光秀「生誕地」の明知城へ
明知駅前に立つ「明智光秀ゆかりの地」の石碑と、明知城を指す標識
岩村駅から再び明知鉄道に乗り2駅先の終点明智駅へ。明智駅前には「明智光秀公ゆかりの地」の石碑が立ち、隣には「明知城」の標識も並んでいます。この標識が要所にしっかり設置され明知城まで導いてくれます。
明知城への途中、キキョウの花が目に留まり、咲いている龍護寺に立ち寄ってみると「光秀公供養塔」の文字が。龍護寺は慶長元年(1596)に明智城主・遠山利景が建立し、代々、遠山氏の菩提寺となりました。本堂横に遠山氏累代の墓が残り、時代劇『遠山の金さん』のモデルになった遠山景元の墓もあります。遠山氏と明智氏は関係が深く、その縁で明智光秀の供養塔が立っています。また、龍護寺には、ある夜に落武者が現れ、明智光秀の直垂(男性用衣服)を持参して去っていったという伝承が残っています。この明智光秀の直垂を縫い込んだ九条衣とよばれる袈裟が、寺宝として伝わり、毎年5月3日に開催される「光秀まつり」で一般公開されます。そういえば、明智光秀の家紋はキキョウ。入口に咲いていたキキョウと関係があるのでしょうか。
毎年5月3日に開催される「光秀まつり」で明智光秀公追善供養が行われる(龍護寺)
明智駅から約1kmで明智城登城口。明知城は通称「城山」(標高530m)の頂上に位置し、頂上に本丸跡・二の丸跡・出丸跡などが残っています。本丸跡には大規模な土塁が残り、高さは約10m、東西の幅は約44m、南北の幅は12~14m。原型のまま残っている山城として希少な存在であり、岐阜県の指定文化財となっています。岩村城を築城した加藤景廉の孫・加藤景重によって、宝治元年(1247)に築城。明智光秀の生誕地だとする説もありますが定かではありません。
明知城登城口。築城当時の原型が残る珍しい山城とされる
明知鉄道の城旅をもっと楽しくしてくれる食堂車
明知鉄道はその名の通り、明智光秀や明智家と関係の深い遠山家の足跡をたどれる、城旅にぴったりなローカル線。季節限定運行の企画列車も人気です。9~11月には地元で採れたきのこ料理が食べられる「きのこ列車」が運行。1日1本(恵那駅12時25分発、明智駅13時19分発)のみの運行で毎年大人気のため予約が難しく、また訪城スケジュールとの調整が必要になるかと思います。12~3月には「じねんじょ列車」、4~9月には「寒天列車」が運行し、ほかにも期間限定で走る企画列車がありますので、乗車の際にはぜひ明知鉄道HPをチェックしてみてください。
岩村城や明智城にゆかりのある人々も、同じように東美濃の食材を食べていたのでしょうか。ローカル線に揺られつつ、地元の味を楽しみながら城旅ができれば最高ですね。
<基本情報>
【岩村城】
所在地:岐阜県恵那市岩村町字城山
交通:明知鉄道「岩村」駅下車、岩村歴史資料館まで徒歩約20分(本丸まではさらに約20分)
【明知城】
所在地:岐阜県恵那市明智町城山
交通:明知鉄道「明智」駅下車、徒歩約15分で登城口
執筆・写真/藪内成基(やぶうちしげき)
奈良県出身。30代の城愛好家。国内旅行業務取扱管理者。出版社にて旅行雑誌『ノジュール』などを編集。退職し九州の城下町に移住。観光PRやガイドの傍ら、「城と旅」をテーマに執筆・撮影。『地域人』(大正大学出版会)など。海外含め訪問城は500以上。知識ゼロで楽しめる城の情報発信を目指す。
※歴史的事実や城郭情報などは、各市町村など、自治体や城郭が発信している情報(パンフレット、自治体のWEBサイト等)を参考にしています