超入門! お城セミナー 第24回【歴史】現存天守はなぜ12城しか残っていないの?

初心者向けにお城の歴史・構造・鑑賞方法を、ゼロからわかりやすく解説する「超入門! お城セミナー」。今回のテーマは現存天守。かつて全国に林立していた城郭の天守は昭和時代の後半までに12基まで減ってしまいました。12基の天守はどのような経緯で現代まで存続できたのか? 天守たちの波乱の歴史を紐解きます。

姫路城、現存12天守
白鷺にも例えられる姫路城も、取り壊しの危機にさらされたことがあった

天守を激減させた幕府の政策「一国一城令」

「現存天守」とは、江戸時代までに建てられ、修復されながら現在まで残っている天守のことです。日本全国に、現在12基しかありません。安土城(滋賀県)以降、江戸時代までに数百基の天守が建てられたといいますが、現在はなぜたったの12基しか残っていないのでしょうか?

天守は、まず織田家中で広まり、豊臣政権時代に全国津々浦々に普及しました。そして、大規模な大名の配置換えのあった関ヶ原の戦い後は、諸大名が新天地にこぞって城を築きました(これが「慶長の築城ラッシュ」です)。すべてに天守があったわけではありませんが、この時に天守もたくさん誕生したはず。しかし江戸時代に入ると、徳川幕府の「一国一城令」と「武家諸法度」により一部の例外を除いて、大名の居城となる1城以外の城の破却と城の新築工事の禁止が定められます。この時、全国に3000ほどあった城が170ほどに激減したといいますから、実に約95%を失ったことになります。

錦帯橋、岩国城、吉川広家
錦帯橋と天守の2ショットが人気の岩国城(山口県)も、一国一城令で破却された城だ。城主の吉川広家は、周防国には岩国城以外の城がないことを理由に廃城を拒否したが、幕府をはばかった毛利家に説得され、泣く泣く城を取り壊した

廃城令・第二次世界大戦を乗り越えた現存12天守

そして、明治時代まで残った城たちにとって運命の分かれ道となったのが、明治6年(1873)の「廃城令」です。廃藩置県を機に、一旦城はすべて陸軍省の財産となりましたが、すべてが軍用地として必要なわけでもなく、管理も大変で手に余ります。そこで、要塞として必要な城は「存城」、不要な城は「廃城」が通達され、廃城となった城は大蔵省の普通財産になりました。

この時40城余りが存城となったとはいえ、文化財として保存されるわけではありません。軍用地確保のために建物を壊したり、逆に主要な建物は残して石垣や堀を壊したりといった扱いでした。一方、廃城処分となった約150城の中には、学校用地となったものも多かったようです。確かに、城跡に建っている学校をよく見かけますよね。また建造物のうち、小ぶりな門や櫓・玄関や式台などは、近くの寺や神社に移築・再利用された例もたくさんあります。

では、天守はどうでしょう? 天守は、巨大なため取り壊し・移築・再利用のどの道を選んでも莫大な費用がかかります。そのため無用の長物と判断され、超低価格で払い下げられてしまいます。存城処置となっても、その後結局払い下げられた天守も多く、現在国宝の松江城(島根県)天守は180円、世界遺産でもある姫路城(兵庫県)天守はなんと、23円50銭の値しかつかなかったといいます。当時は米1俵が3円弱。姫路城天守はたった米10俵の価値だったということになります。

松江城、現存12天守
2015年に国宝となった松江城天守は、売却されかけたところを旧藩士・高木権八や豪農・勝部本右衛門らによって買い戻された

薪の値段が暴落するほど全国の城が一斉に取り壊される中、城を守ろう!と動いた人たちもいました。陸軍大佐の中村重遠(なかむらしげとお)は、日本の城が建築的・美術的に価値あるものだと考えた一人。陸軍トップの山県有朋(やまがたありとも)に建白書を提出し、これが認められて永久保存決定・修理されたのが、姫路城と名古屋城(愛知県)です。彦根城(滋賀県)も、立ち寄った明治天皇に大隈重信が保存を奏上したことにより、勅命で保存が決定しました。また、松本城(長野県)は、『信飛新聞』発刊者の民権運動家・市川量造(いちかわりょうぞう)が、有志から資金を集めて落札主から天守を借り受け、さらに県の協力も取り付けて天守で博覧会を開催。その収益で天守を買い戻し、取り壊しを回避したのです。

現存12天守、松本城、小林有也
市川が買い戻した後の明治34年(1901)、傷みや傾きが激しかった天守を松本で教師をしていた元士族・小林有也(こばやしうなり)が、寄付金を募って修復した

こうして、昭和に入るまで20基の天守が残りました。しかし第二次世界大戦の爆撃や戦後の失火で、広島城(広島県)をはじめ、水戸城(茨城県)、名古屋城、大垣城(岐阜県)、和歌山城(和歌山県)、岡山城(岡山県)、福山城(広島県)、松前城(北海道)の計8基を失ってしまいました。残ったのは、ついに12基に。これが現存12天守なのです。

広島城、天守、自壊
原子爆弾が至近距離に落ちた広島城天守は、熱戦と爆風の衝撃に一度は耐えたが、建物下部が重さに耐えきれず自壊したという

上にあげた例のほかにも、町民が奔走して買い戻した後、町に寄附され公会堂として親しまれた丸岡城(福井県)、昭和まで放置された城を修復するため、学生や子どもたちも協力して地元の人たちが山上まで瓦を運んだという備中松山城(岡山県)、明治24年(1891年)の地震で半壊した天守を修復することを条件に旧藩主に譲渡され、2004年まで個人所有だった犬山城(愛知県)、旧藩士の嘆願によって取り壊しを免れた丸亀城(香川県)など、すべてを紹介しきれませんが、長く困難な道のりを経て、そこに立ち続けている現存12天守には、それぞれに違ったドラマがあります。現地を訪れた時は、ぜひそのドラマにも注目してみて下さい。きっと、その天守がより愛おしく感じられるはずです。

現存12天守についての記事をチェック!

江戸時代に建てられ、現在まで残っている12の現存天守を改めてご紹介!このうち5基の現存天守が国宝に指定されています。同じ天守なのに、なぜ国宝と重要文化財の違いがあるのか、気になる方はこちらの記事もチェック!→「国宝天守5城ってどうやって選ばれたの?

弘前城(青森県弘前市/重要文化財)

弘前城は、最近は、天守のお引越しで話題です。天守のお引越しって何?と思われた方は、ぜひ↓記事をチェック。


松本城(長野県松本市/国宝)

漆黒の天守が美しい松本城。実は年に1回お色直しをしているってご存知ですか?


犬山城(愛知県犬山市/国宝)

最近は、フォトジェニックな城下町のある城としても人気の犬山城。つい最近まで個人所有のお城でした!


丸岡城(福井県坂井市/重要文化財)

北陸唯一の現存天守。実は、築城時にお静という女性が人柱になったという、人柱伝説も残るとか・・・。


姫路城(兵庫県姫路市/国宝・世界文化遺産)

その白く美しい姿であまりにも有名な姫路城。そして、かの有名な怪談「皿屋敷伝説」のルーツかもというのをご存知?


彦根城(滋賀県彦根市/国宝)

ひこにゃんで可愛らしいイメージもある彦根城ですが、実は、関ヶ原の戦いの後、実戦を想定して築かれたお城です。


備中松山城(岡山県高梁市/重要文化財)

雲海の城として、その美しい姿を写真で見たことがある方も多いのでは? でも、雲海のお城をこの目で見るにはタイミングを合わせる必要があるのです。


松江城(島根県松江市/国宝)

国宝天守の中では、一番最近指定された松江城。日本の夏の風物詩・盆踊りが、市内の一部では“ある事情”により、行われていない・・・!?


高知城(高知県高知市/重要文化財)

戦闘のための仕掛けも、たくさん設けられている高知城。天守の1階には、敵を撃退する忍び返しがありますが、現存しているのは高知城だけです。


伊予松山城(愛媛県松山市/重要文化財)

松山城で現存しているのは大天守のみで、小天守・北隅櫓・南櫓は近代になって焼失し、木造で再建されました。高い防衛性を誇るお城です。


宇和島城(愛媛県宇和島市/重要文化財)

藤堂高虎が造った天守は三重三階の望楼型でしたが、現存しているのは伊達宗利が建てた層塔型。千鳥破風や唐破風など装飾性の高い天守です。



執筆・写真/かみゆ
「歴史はエンタテインメント!」をモットーに、ポップな媒体から専門書まで編集制作を手がける歴史コンテンツメーカー。

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