2018/11/16
お城の現場より〜発掘・復元最前線 第22回【松本城】三の丸から発掘された武家屋敷地の姿
松本城三の丸
松本城三の丸跡土居尻(どいじり)第6次調査(2015年度調査)では、武家屋敷内に絵図には記されていない大きな窪地が長期間設けられていたことが発掘調査から判明した。
松本城三の丸跡土居尻9次調査(2016~2018年度調査)では石組水路が出土。外堀の水位調整のため、総堀につながる石組水路が設けられていた。水路は繰り返し改修され、築城期から昭和30年頃まで使われて続けてきたものである。上の写真の箇所では、石組列が4列確認できる。これらの調査の中で、ここでは2014年度に実施した土居尻第5次調査の成果を紹介する。
総堀の土塁裾部にあった乱杭の発見(松本城三の丸跡土居尻5次)
調査地は三の丸の西端に位置し、武家屋敷とその外側にあった総堀土塁と総堀の一部を調査した。この調査で特に注目されるのは、総堀土塁の土坡部分に、敵の侵入に備えたものと考えられる乱杭が11mの中に297本確認され、その分布状況について分析できたことである。松本城ではこれまでにも総堀の土塁裾部(堀側)において、乱杭が確認されており、おそらく堀の全周にわたって、乱杭が設置されていた可能性が高い。密度をもとに試算すると、全域に9万9000本もの杭が設けられていたことになる。
こうした乱杭は、『大坂冬の陣図屏風』の大坂城外堀の土塁土坡に描かれているものに類似しており、山形県米沢城の内堀の発掘調査などにおいても確認されている。
総堀土塁の土坡部分で発見された乱杭(東から撮影、手前が土塁側・奥が総堀側)
乱杭を観察すると、4種類の割杭と転用材が確認できた。杭の分布をみると、種別ごとにまとまりがみられたことから、それぞれの形状で異なった用途やねらいがある可能性がうかがえる。
<出土した乱杭の種類>
みかん割り:太い材を使用し、土中部分が長く、深く設置されているものが多い。
方形割り:みかん割りをさらに割ったもの。太い材を使用し、土中部分が深く長い。
丸太材:芯持ちの太い材を使用(木皮が付いているものが多数あった)土中部分の長さが最も長く深い。
丸太半裁:細い丸太材を使用し、半分に断ち割ったもの。土中部分は浅く、先が尖っているものが多い。
転用材:柱材を転用したもので、数は少ない。手斧の工具痕が確認できる。
松本城(まつもとじょう/長野県松本市)
松本城は、1590年代に秀吉の命により、石川数正・康長父子が築城した。藩主は、築城から50年間は、石川氏・小笠原氏・戸田氏・松平氏・堀田氏とめまぐるしく交代し、以後80年間は水野氏、最後の140年間は再び戸田氏が務めた。明治維新後に二の丸の櫓や門が取り壊され、天守も解体の危機にさらされるが地元有力者たちの尽力によって難を逃れる。