日本100名城

いわくにじょう

岩国城

山口県岩国市

別名 : 横山城
旧国名 : 周防

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岩国城
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たか

やっときた岩国城 (2024/10/08 訪問)

仕事の関係上、いつでも行けるさなどとしてずっと行ってなかった岩国城に行ってきました。
錦帯橋には鵜飼いや屋形船も含めてかなり来ていました。
岩国城がこんなにいいところだとは思わなかったです。

早速、車でロープウェー乗り場まで行って往復切符を買いました。
わたし自身ロープウェーはおそらく小学生以来だと思います。
まあ景色も良いですがこんな斜面を攻城するのは大変だろうと思いました。

到着すると今度は山道か舗装した道かの選択があります。
当日弱い雨でしたので舗装した道を選びました。
これは正解、木が生い茂っているせいで傘もいりません。
上がっていくと大きな井戸の跡、これは水もさることながら有事の際には逃げるための抜け穴と書いてありました。
さらに進むと石垣が!これが本来の天守台とのこと。
小ぶりではありますがなかなか素晴らしい石垣です。
皆さんは現在の天守閣に向かわれましたがわたしはそのまま奥へ進んで空堀を見学。
これはとても深くて素晴らしい。
写真では伝わりにくいんですが、苔とゴロゴロ下に転がっている岩と堀の傾斜がとてもマッチングしています。
わたしはこの場所を独り占め(笑)

それから裏をまわって景色を堪能しながら復興天守へ。
まずは御城印、カードを購入してスタンプを押印。
中の展示品は刀が多く少し急ぎで上へ(笑)
やはりここは天守閣からの錦帯橋を含めた眺めを見なければ!

少し弱い雨で煙っていた感じではありますが、いやいやこれは絶景!
錦帯橋もすごく小さい!お殿様気分とはこのこと!
なんだか童心に帰った感じになりワクワクしました。
あちこちの天守閣は登りましたがここは標高が高いせいか、あるいは見渡す広さが大きいせいかとても良かったです。
最後に下りのロープウェーを待つ間に広場のからくり時計が作動して童謡を聞きこれまた懐かしくて童心に帰るようでした(苦笑)

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トク

平和について考える旅(岩国徳山2/4)-周防大島 (2024/08/03 訪問)

平和について考える旅(2/4)です。岩国城の天守から見えた周防大島へ渡ってきました。岩国駅からJR山陽本線に乗り「大畠駅」で下車。駅前から(写真②)のバスで島内を1時間ほど走ります。島は橋でつながっていて、とても大きな島です。

そして「陸奥記念館前」のバス停で下車しました。そこが沈没点に最も近い場所(写真①)で、そこに記念館が建っています(写真③)。海底から引き揚げられた、陸奥の巨大なスクリューや副砲や高角砲などが野外展示されていて、また館内には同じく引き上げられた乗組員の遺品や、また海底調査からの沈没状況がビデオや模型で説明されていました(写真④⑤⑥⑦)。

記念館の前はキャンプ場になっていました。とてもきれいな場所で、いつかここでキャンプしたいな~と思いました(写真⑧)。さらにその先には水族館やきれいなビーチが広がり、大勢の海水浴を楽しむ家族連れや若者たちでにぎわっていました。ここは「瀬戸内のハワイ」と地元の方々は呼んでいるそうです(笑)。そのビーチを抜け、暑い中海沿いの道を20分ほど伊保田まで歩きました(写真⑨)。 やっぱり海はいいですね! 潮風の爽快感が暑さを忘れさせ、私を平和な気分にさせてくれました。

帰りはその伊保田港に寄港する(松山~柳井フェリー)に乗って(写真⑩)柳井港で下船し、JRで柳井港駅から次に目的地「徳山」へ向かいました。

次は「徳山城」を訪れ、続きを考えていきます。
 

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トク

平和について考える旅(岩国徳山1/4)-岩国城 (2023/08/03 訪問)

トクの8月恒例、終戦記念日を前にまた平和について考える旅に出てきました。一昨年は(鹿屋・知覧)を、昨年は(呉・広島)を訪れたので、今年は(岩国・徳山)を訪れてきました。ではまず「岩国城」から始めます。

岩国城の南蛮造りの天守は何度見ても美しいと思います。錦帯橋から見上げた景色や、反対に天守から見下ろした景色も最高です。ここは私の好きな城の一つです。一国一城令で破却されたとはいえ、吉川広家が築いた天守台や石垣や空堀もよく残っています。ではこの天守から本題の平和について考えていこうと思います。

皆さんは、太平洋戦争中に「陸奥」という戦艦があった事を御存知でしょうか? 陸奥は、大和・武蔵に次いで長門と並ぶ、当時の日本で2番目に大きな戦艦でした。

しかし陸奥は、昭和18年6月8日、周防大島沖に停泊中に謎の大爆発を起こし、乗組員1100名を乗せたまま海底に沈みました。原因は今も不明だそうで、当時の大本営はその失態を国民に必死に隠したそうです。そしてその乗組員1100名は、今でも陸奥とともにこの岩国沖の海底に眠っています。

岩国城の天守からは、その沈没地点を眺める事ができます(写真⑥)。そしてその手前に見えるのは米軍岩国航空基地です。この基地には最新ステルス戦闘機F35Bやオスプレイなどの米軍最新鋭(最先端)の機種が多数配備されています。つまりここが、北朝鮮や中国に最も近い米軍航空基地という事になり、ここで日本本土は守られているという事になるのです。私にはなぜかこの距離感が、とても皮肉に思えました。

では次は、写真で見える周防大島へ渡り、この続きを考えていきます。
 

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風来坊や

山賊焼き食べそびれた!! (2024/07/10 訪問)

岩国城から楽しみでお店へダッシュ%&¥みょーに空いてるな?ガ~ン全店休日

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概要

関ヶ原合戦の後、毛利輝元の家臣・吉川広家が新領地の岩国に築いた城。横山山頂の山城と山麓の居館で構成され、四重六階の天守は、4階と6階が下の階よりも張り出している珍しい南蛮造によって築かれた。一国一城令で建物や石垣が取り壊されたが、城中には大釣井と呼ばれる井戸や空堀が残っている。

城郭情報

城地種類 連郭式山城
築城年代 慶長6年(1601)
築城者 吉川広家
主要城主 吉川氏
天守の現況・形態 複合式望楼型[4重6階/1608年築/破却(一国一城令)]、複合式望楼型[4重6階/1962年築/RC造復興]
主な関連施設 天守、旧天守台(発掘復元)、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、横堀(水堀)、横堀(空堀)、隠居所長屋
住所 山口県岩国市横山
問い合わせ先 岩国市観光課
問い合わせ先電話番号 0827-41-1477