日本100名城

いわくにじょう

岩国城

山口県岩国市

別名 : 横山城
旧国名 : 周防

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岩国城
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todo94

城カード再建天守シリーズ (2023/01/28 訪問)

予定していた山城を一つパスしたため時間にゆとりが出来ました。沼城から思い切って岩国城に転戦です。錦帯橋を渡ってロープウェイ乗り場に駆けつけてみると何とメンテナンスのための運休中でした。ロープウェイの発券所で岩国城の城カード(再建天守シリーズ)を手に入れることが出来たので良しとします。岩国寿司を売っている店が見当たらなかったのですごすごと徳山に引き返しました。ホテルでの部屋飲みは獺祭と山口ビール。お土産用にも購入しました。わらび粉を用いた外郎は添加物を使っていない老舗の製品を選択。名古屋の外郎よりプリプリしていてみずみずしい感じでおいしかったです。

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トク

⑤【関ケ原の26人 】(2)吉川広家 (吉川広家と岩国城) (2022/09/04 訪問)

(2人目)は「吉川広家」です。
広家の関ケ原当時の居城は「米子城」ですが、今回は関ケ原後の居城「岩国城」を訪れてきました。

関ケ原の敗戦により毛利輝元は120万石から周防・長門の二か国36万石に大減封されてしまいます。岩国城はその時、毛利の重臣であった「吉川広家」が米子からここに移り築城を始め1608年(慶長13年)に完成した城です。しかし、その後の1615年(元和元年)に一国一城令で廃城の命を受け泣く泣く破却、天守はわずか7年しか存在しませんでした。

現在ある天守は、昭和37年に観光目的で50m南に移動した位置に再建されています。天守からは、錦帯橋や岩国城下(岩国市街)、米軍基地や瀬戸内海まで遠望でき、とても気持ちのいい眺めでした(写真⑥⑦)。また桃山風南蛮造りの天守はとても美しく感じました(写真③)。当時の天守台も残っており、広家が築いた野面積の石垣も見ることができました。その横には同じく広家時代の空堀もありました(写真④⑤)。

吉川広家は、関ケ原では毛利輝元の名代である毛利秀元(元就の四男で輝元の養子)を補佐すべく、南宮山の麓に陣を構えました。南宮山の頂上にいる秀元はやる気満々でしたが、広家が動かないため山を下りる事ができません。そこで石田三成は広家に再三の出陣要請をしますが、今は飯を食べているので出陣できぬと答え、後の「宰相殿の空弁当」の言葉で有名となりました。実は黒田長政との密約で東軍に寝返へれば毛利120万石の所領は安堵されるとの約束があったようです。広家は父の吉川元春の教えに従い、誰よりも毛利家の行く末を案じていました。よって、このような決断をしたのだと思いますが、結局は家康から反故にされてしまい、この決断は裏目に出てしまいました。最大の過ちは、家康から直接お墨付きを取っていなかった事ですかね🤔?(そんな時間もなく長政を信じたのでしょうが・・)。家康は長政が勝手にやった事として反故(ほご)にしたようです(これも口実でしょうが・・)。

私は岩国城の天守に立ち、そこから城下を眺めて見ました(写真⑥)。岩国城を築城したものの、結局は自分のせいで毛利家を没落させてしまう事になった広家は、どんな思いでここから城下を眺めていたのでしょうか? そして、どうすれば毛利家を元のように再興できるのか? 日々ここで悩み、そして苦しんでいたのではないでしょうか?


【余談:ハローキティ号】
新岩国駅から博多行の山陽新幹線こだま号に乗った時、たまたまでしたが、それがカズさんと同じ「ハローキティ号」でした。おじさんがビール片手に乗るには、ちょっとはずかしい列車でした😊(写真⑩)。


次は、「吉川広家陣跡」を歩き「南宮山」を眺めます。
 

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侍ホリタン

安芸の名城を訪ねて① (2023/01/03 訪問)

JR利用の場合、岩国駅、新岩国駅からバス利用になりますが岩国駅の方がバスの本数が多い様です。いずれも15分程度で錦帯橋バスセンターに到着します。ここから錦帯橋を渡ってロープウェー駅まで10分程度です。登山道利用でも天守まで行けますがロープウェー利用するなら、錦帯橋入橋、ロープウェー乗車、天守入場のセット券を購入するのがおすすめです。天守からの錦川にかかる錦帯橋の眺めは素晴らしいです。あと旧天守台石垣、北ノ丸跡の石垣、旧天守台近くの登り石垣、空堀跡も迫力があり見逃せません。

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カズサン

南蛮造りの復興天守閣 (2004/08/13 訪問)

 岩国城の再建復興天守閣は元の天守台より、麓から観易いようにと南に50m程ずらして昭和37年建てられ、下階より張り出した南蛮造りと成って居ます、南蛮造り天守は小倉城、再建されれば高松城が有名所です。
 また錦川に架かる錦帯橋を入れて天守を撮るスポットが素晴らしい景観です。

 18年前の平成16年8月中旬鳥取盆帰省前に妻の希望を入れ、山口市湯田温泉一泊計画で、秋吉台、秋芳洞、萩城、松下村塾、津和野城城下町、瑠璃光寺五重塔、萩焼の物色と廻り旅の最終が岩国、錦帯橋、岩国城山頂の丸、麓のお土居陣屋跡、武家屋敷と訪ねました。

 写真はサブのデジカメに残っていた写真を投稿します。最後の方に8月12日訪れた秋吉台、萩城跡、津和野城城下町の寸景を各一枚投稿します。
 

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概要

関ヶ原合戦の後、毛利輝元の家臣・吉川広家が新領地の岩国に築いた城。横山山頂の山城と山麓の居館で構成され、四重六階の天守は、4階と6階が下の階よりも張り出している珍しい南蛮造によって築かれた。一国一城令で建物や石垣が取り壊されたが、城中には大釣井と呼ばれる井戸や空堀が残っている。

城郭情報

城地種類 連郭式山城
築城年代 慶長6年(1601)
築城者 吉川広家
主要城主 吉川氏
天守の現況・形態 複合式望楼型[4重6階/1608年築/破却(一国一城令)]、複合式望楼型[4重6階/1962年築/RC造復興]
主な関連施設 天守、旧天守台(発掘復元)、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、横堀(水堀)、横堀(空堀)、隠居所長屋
住所 山口県岩国市横山
問い合わせ先 岩国市観光課
問い合わせ先電話番号 0827-41-1477