日本100名城

いわくにじょう

岩国城

山口県岩国市

別名 : 横山城
旧国名 : 周防

投稿する
岩国城
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

トク

【宮本武蔵】(3)岩国城(小次郎伝説-その1) (2025/08/25 訪問)

宮本武蔵の続き(3)です。

まず武蔵の最大のライバル、佐々木小次郎の話から始めます。小次郎の出身地には3つの説があります。
① 越前説(福井市一乗滝)
② 周防説(岩国市錦帯橋)
③ 豊前説(添田町岩石山)

越前説は、「二天記」によるものです。朝倉家の剣術指南役であった富田勢源に指南を受け、一乗滝で燕返しは編み出されたとされています。しかしこの二天記は、二天一流の兵法を継ぐ細川藩松井家(八代城主)の家臣が、武蔵没後130年も後になって、小倉碑文を基に数々の言い伝えを書き加えたもので、実際に彼が見聞きした話ではないので、信憑性に欠けるのではという意見もあり、また勢源・小次郎・武蔵の互いの年齢のつじつまも合わないなど、多くの疑問も残されているようです。

周防説は、吉川英二さんの小説によるもので、小説の中でのみで岩国の地名が出てきます。他のどの資料にも岩国の地名は出てきません。岩国城に天守があったのは1607-1615年ですから、小次郎がいた時期とは一致していますが、錦帯橋ができたのは小次郎が没してから60年後の1673年なので、錦帯橋の柳の下で燕返しを編み出したとする小説の内容には、少し矛盾があるようです。よってこの説は吉川氏の創作ではないかと言われています。しかし今ではドラマなどで大々的に岩国は宣伝されており、地元の観光の目玉にもなっているので、山口県の方々のためにも、そっとしておきたいと思います。この日は気温35度、私はあまりに暑かったので、佐々木小次郎商店のアイスに引かれ、巌流ゆかりの柳の下で燕返しを想像しながら食べました(😊冷たくておいしい)(写真⑥⑧⑨)。

この佐々木という苗字も実はうそだそうです。小倉碑文には、小次郎の苗字が佐々木だなどとは書かれていません。岩流の小次郎とのみ記されています。岩流は流派のようです。佐々木は1730年頃(江戸中期)に小次郎役を演じた歌舞伎役者が佐々木という役者名だったので、それから佐々木の小次郎と呼ばれるようになり、その後1776年に出た二天記の本文には岩流小次郎(注釈には佐々木小次郎)と書かれ、吉川氏の小説のみ佐々木小次郎が使われています。よって私は小次郎で通したいと思います。小次郎が若くてイケメンだったという話も、ドラマを面白くし女性の視聴者を獲得するために、テレビ局が脚色した話ではないでしょうか? よって(写真⑦)のように本当に若くてイケメンだったのかは、これも私は謎のままとしておきたいと思います🤔。

もう一つは、まだ人気のないマイナーな説ですが、豊前の岩石山(がんじゃくやま)で生まれたという説があります。私は九州人なので、あえてこの説で次の話を進めて行こうと思います(すいません、小次郎も謎多き人物です)。

次はその豊前説が残る「岩石城」を訪れます。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

にのまる

春の18きっぷ初日② (2025/03/22 訪問)

新南陽の勝栄寺見学を終え、岩国まで山陽本線で移動しました。

駅からバスに乗り錦帯橋🚏へ。
【錦帯橋・ロープウエー・岩国城】のセット券を購入しました。
山頂からは「歴史と出会いの道」ルートでまわります。
すてきな石垣、そしてメインスポットの空堀へ。破却の痕跡がごろごろと見られる大好きポイントです。
北の丸から階段が設えてあったので下りてみました。ここにも破却された石垣が従容として佇んでいます。

天守台、天守、大釣井などを見学しました。竪堀や登り石垣はわかりませんでした。
前回は帰りのロープウエー券を放棄して歩いて下りましたが今回はそれほど並んでいなかったのでロープウエーで下りました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

翡翠

岩国城 (2021/08/30 訪問)

城びとさんを始めたのが、本当に最近なので、行ったのは4年くらい前です。ロープウェイに乗って上がります。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

錦帯橋 (2013/10/04 訪問)

4日で近畿から九州まで、ニッポン城めぐりの城攻めをしてきました。月間ランキングがかかっているので、ゆっくり見て来れないのがもどかしいところ。それでも幾つかメジャーな城を見て来ています。岩国城も訪問する予定でしたが24日は雪でバイパスが封鎖され無事に帰れるかすら怪しくなってきました。はい、天気予報は見ていません。
岩国も吹雪で錦帯橋がかろうじて見える感じ、周囲は真っ白です。本来はロープウェーで楽に上まで登れるはずですが、この日は攻城を断念。一日ほぼロスってしまいました。それでも今月882城・・・たぶん大丈夫でしょう。空飛ぶ車があれば、一日500くらい攻城できそうだけど、やはり一城づつ丁寧に回って行くのが本来の城攻めですね。来月から緩く「城びと」も「ニッポン城めぐり」も攻めていきたいと思います。この日は帰りの滋賀のバイパスで異能の者を発見!! もっちんか!? テンションがあがりますが、「長谷川等伯」でした。
しばらく落ち込みましたが、贅沢な話ですね。安土桃山を代表する画家で豊臣秀吉や徳川家康と同じ時代を生きた人物です。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

概要

関ヶ原合戦の後、毛利輝元の家臣・吉川広家が新領地の岩国に築いた城。横山山頂の山城と山麓の居館で構成され、四重六階の天守は、4階と6階が下の階よりも張り出している珍しい南蛮造によって築かれた。一国一城令で建物や石垣が取り壊されたが、城中には大釣井と呼ばれる井戸や空堀が残っている。

城郭情報

城地種類 連郭式山城
築城年代 慶長6年(1601)
築城者 吉川広家
主要城主 吉川氏
天守の現況・形態 複合式望楼型[4重6階/1608年築/破却(一国一城令)]、複合式望楼型[4重6階/1962年築/RC造復興]
主な関連施設 天守、旧天守台(発掘復元)、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、横堀(水堀)、横堀(空堀)、隠居所長屋
住所 山口県岩国市横山
問い合わせ先 岩国市観光課
問い合わせ先電話番号 0827-41-1477