日本100名城

いわくにじょう

岩国城

山口県岩国市

別名 : 横山城

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岩国城
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橋吉

岩国城 (2015/03/24 訪問)

河原の無料駐車場にとめました。スタンプは天守閣入口で押しました。所要時間は1時間ほど、その後3時間ほどかけて城下町を歩きました。ゆっくり時間をかけて街歩きするのがおすすめです。

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ぴーかる

岩国城 (2019/07/28 訪問)

【百名城49城目】
<駐車場他>ロープウェイ乗場前に無料あり
<交通手段>18切符・市バス

<見所>隠居所長屋・吉川家墓所・空堀・竪掘・石垣・天守台・模擬天守

<感想>1泊2日で18切符岩国城攻めの旅2城目。この旅メインの岩国城。前乗りして岩国に宿泊し、翌日市バスにて錦帯橋に到着した。まず麓にある錦帯橋・現存長屋・居館跡(吉香神社)・目加田屋敷・吉川家墓所を見てロープウェイにて山城へ行った。予想より山上の石垣遺構がかなり良かった。天守台石垣は積直しだが大きく、傾斜面に建てていたのはちょっと珍しい。空堀・竪掘りもダイナミック、本丸の高石垣、北の丸・二の丸の石垣遺構もよく残っており見応えあった。三重櫓跡・本丸隅櫓跡の石垣が崩れた状態のままだし、北の丸下段の郭跡はそのままでなんともいい破城感があった。南蛮造の模擬天守の唐造りの部分が白漆喰だったが、当時はどうだったのだろうか?想像で楽しめる。予想より結構洒落てました。

<満足度>★★★☆☆

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おがD

岩国城 (2019/08/09 訪問)

錦帯橋で有名な岩国に天守が聳え立つ城。
(今は景観上、史実とは離れた位置に復興天守を建てているそうです)

吉川広家が関ヶ原後に赴任してから築城したものの、
一国一城令で毛利氏の顔色をみて破却してしまったという、短命な城です。

その歴史はともかく、天守からの景色は最高でした。

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ヒロケン

関ヶ原の戦い (2019/07/15 訪問)

岩国城は慶長6年に吉川広家入国後、築城が始められ現地調査の後、山麓の御土居建設から着手されました。続いて山上の城郭工事が計画され、慶長8年から開始されました。岩国城の縄張りは山頂部の本丸を中心として北東側に北の丸、東西側に二の丸、西側に水の手郭4つの曲輪で構成され、本丸には山陽道側に天守が設けられていました。

吉川広家といえば何と言っても思い出されるのが「関ヶ原の戦い」ではないでしょうか?最初、石田三成率いる西軍に属していましたが、徳川家康率いる東軍への寝返り組の一人として記憶しています。
西軍の総大将 毛利輝元 毛利一門でありながら、小早川秀秋・吉川広家が寝返ったことにより、西軍が負け、東軍の大勝利となりました。(諸説あるようですが、戦う以前から徳川家康と密約ができており、毛利家領土112万石安堵を条件に決戦前夜に寝返りを決心したと伝わっていますが、結局、毛利輝元が西軍総大将であったことから、密約が反故にされ周防国の東部と長門国30万石に厳封されてしまいます。)毛利元就公の「三本の矢」は生かしきれていなかったと言えますよね(o゚ω゚)チーン
もし、毛利家一門の裏切りがなく、石田三成・毛利家家臣の安国寺恵瓊等と一緒に戦っておれば、歴史は大きく変わったのではないかと
妄想しながら城跡を堪能させて頂きました。 

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概要

関ヶ原合戦の後、毛利輝元の家臣・吉川広家が新領地の岩国に築いた城。横山山頂の山城と山麓の居館で構成され、四重六階の天守は、4階と6階が下の階よりも張り出している珍しい南蛮造によって築かれた。一国一城令で建物や石垣が取り壊されたが、城中には大釣井と呼ばれる井戸や空堀が残っている。

城郭情報

城地種類 山城(麓に居館)
築城年代 慶長13年(1608)
築城者 吉川広家
主要城主 吉川氏
文化財史跡区分 -
近年の主な復元・整備 平成8年に旧天守台を発掘調査し、復元整備
天守の現況・形態 望楼型 四重六階 鉄筋コンクリート(再建)
主な関連施設 錦帯橋、岩国徴古館、岩国美術館、吉川資料館
主な遺構 旧天守台、石垣、堀、大釣井
住所 山口県岩国市横山
問い合わせ先 岩国市観光課
問い合わせ先電話番号 0827-41-1477