日本100名城

いわくにじょう

岩国城

山口県岩国市

別名 : 横山城
旧国名 : 周防

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岩国城
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しんちゃん

錦帯橋 (2013/10/04 訪問)

4日で近畿から九州まで、ニッポン城めぐりの城攻めをしてきました。月間ランキングがかかっているので、ゆっくり見て来れないのがもどかしいところ。それでも幾つかメジャーな城を見て来ています。岩国城も訪問する予定でしたが24日は雪でバイパスが封鎖され無事に帰れるかすら怪しくなってきました。はい、天気予報は見ていません。
岩国も吹雪で錦帯橋がかろうじて見える感じ、周囲は真っ白です。本来はロープウェーで楽に上まで登れるはずですが、この日は攻城を断念。一日ほぼロスってしまいました。それでも今月882城・・・たぶん大丈夫でしょう。空飛ぶ車があれば、一日500くらい攻城できそうだけど、やはり一城づつ丁寧に回って行くのが本来の城攻めですね。来月から緩く「城びと」も「ニッポン城めぐり」も攻めていきたいと思います。この日は帰りの滋賀のバイパスで異能の者を発見!! もっちんか!? テンションがあがりますが、「長谷川等伯」でした。
しばらく落ち込みましたが、贅沢な話ですね。安土桃山を代表する画家で豊臣秀吉や徳川家康と同じ時代を生きた人物です。

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スミヤキ

蛇にまつわる都市・城と言えば… (2025/01/09 訪問)

2025年巳年がスタートしました。
「巳(み)」は、豊穣や金運を司る神様として祀られてきた蛇を意味し、古くから信仰の対象とされてきました。
縁起の良い蛇と言えば、国の天然記念物「岩国のシロヘビ」が、有名ですよね。新年早々、シロヘビのご利益にあずかりに、また百名城スタンプ98城目になる岩国城を登城してきました。

岩国城は、関ヶ原の戦いの後に吉川広家が、山陽道を眼下に見渡せる横山山頂に総石垣の城郭、桃山風南蛮造りという珍しい天守を1608年に完成させます。徳川幕府の一国一城令により、わずか7年で山上の城郭は、破城処理が施された歴史があります。
以後、1962年(昭和37年)に天守が再建、翌年には、山上の城跡と麓を結ぶロープウェイが開通し、現在は錦帯橋と並び岩国観光のシンボルになっています。
復元された旧天守台、現存している石垣や破城痕跡がわかる石垣群、大釣井、大空堀跡など高い築城技術を持つ毛利吉川家の見所満載のお城です。
山上天守からの瀬戸内海、城下を見下ろす絶景、ロープウェイ山麓駅隣の岩国シロヘビの館の「シロヘビ様」も忘れずに。

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たか

やっときた岩国城 (2024/10/08 訪問)

仕事の関係上、いつでも行けるさなどとしてずっと行ってなかった岩国城に行ってきました。
錦帯橋には鵜飼いや屋形船も含めてかなり来ていました。
岩国城がこんなにいいところだとは思わなかったです。

早速、車でロープウェー乗り場まで行って往復切符を買いました。
わたし自身ロープウェーはおそらく小学生以来だと思います。
まあ景色も良いですがこんな斜面を攻城するのは大変だろうと思いました。

到着すると今度は山道か舗装した道かの選択があります。
当日弱い雨でしたので舗装した道を選びました。
これは正解、木が生い茂っているせいで傘もいりません。
上がっていくと大きな井戸の跡、これは水もさることながら有事の際には逃げるための抜け穴と書いてありました。
さらに進むと石垣が!これが本来の天守台とのこと。
小ぶりではありますがなかなか素晴らしい石垣です。
皆さんは現在の天守閣に向かわれましたがわたしはそのまま奥へ進んで空堀を見学。
これはとても深くて素晴らしい。
写真では伝わりにくいんですが、苔とゴロゴロ下に転がっている岩と堀の傾斜がとてもマッチングしています。
わたしはこの場所を独り占め(笑)

それから裏をまわって景色を堪能しながら復興天守へ。
まずは御城印、カードを購入してスタンプを押印。
中の展示品は刀が多く少し急ぎで上へ(笑)
やはりここは天守閣からの錦帯橋を含めた眺めを見なければ!

少し弱い雨で煙っていた感じではありますが、いやいやこれは絶景!
錦帯橋もすごく小さい!お殿様気分とはこのこと!
なんだか童心に帰った感じになりワクワクしました。
あちこちの天守閣は登りましたがここは標高が高いせいか、あるいは見渡す広さが大きいせいかとても良かったです。
最後に下りのロープウェーを待つ間に広場のからくり時計が作動して童謡を聞きこれまた懐かしくて童心に帰るようでした(苦笑)

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トク

平和について考える旅(岩国徳山2/4)-周防大島 (2024/08/03 訪問)

平和について考える旅(2/4)です。岩国城の天守から見えた周防大島へ渡ってきました。岩国駅からJR山陽本線に乗り「大畠駅」で下車。駅前から(写真②)のバスで島内を1時間ほど走ります。島は橋でつながっていて、とても大きな島です。

そして「陸奥記念館前」のバス停で下車しました。そこが沈没点に最も近い場所(写真①)で、そこに記念館が建っています(写真③)。海底から引き揚げられた、陸奥の巨大なスクリューや副砲や高角砲などが野外展示されていて、また館内には同じく引き上げられた乗組員の遺品や、また海底調査からの沈没状況がビデオや模型で説明されていました(写真④⑤⑥⑦)。

記念館の前はキャンプ場になっていました。とてもきれいな場所で、いつかここでキャンプしたいな~と思いました(写真⑧)。さらにその先には水族館やきれいなビーチが広がり、大勢の海水浴を楽しむ家族連れや若者たちでにぎわっていました。ここは「瀬戸内のハワイ」と地元の方々は呼んでいるそうです(笑)。そのビーチを抜け、暑い中海沿いの道を20分ほど伊保田まで歩きました(写真⑨)。 やっぱり海はいいですね! 潮風の爽快感が暑さを忘れさせ、私を平和な気分にさせてくれました。

帰りはその伊保田港に寄港する(松山~柳井フェリー)に乗って(写真⑩)柳井港で下船し、JRで柳井港駅から次に目的地「徳山」へ向かいました。

次は「徳山城」を訪れ、続きを考えていきます。
 

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概要

関ヶ原合戦の後、毛利輝元の家臣・吉川広家が新領地の岩国に築いた城。横山山頂の山城と山麓の居館で構成され、四重六階の天守は、4階と6階が下の階よりも張り出している珍しい南蛮造によって築かれた。一国一城令で建物や石垣が取り壊されたが、城中には大釣井と呼ばれる井戸や空堀が残っている。

城郭情報

城地種類 連郭式山城
築城年代 慶長6年(1601)
築城者 吉川広家
主要城主 吉川氏
天守の現況・形態 複合式望楼型[4重6階/1608年築/破却(一国一城令)]、複合式望楼型[4重6階/1962年築/RC造復興]
主な関連施設 天守、旧天守台(発掘復元)、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、横堀(水堀)、横堀(空堀)、隠居所長屋
住所 山口県岩国市横山
問い合わせ先 岩国市観光課
問い合わせ先電話番号 0827-41-1477